原修太(はら しゅうた)選手は、Bリーグの千葉ジェッツふなばし所属のプロバスケットボール選手です。
日本男子バスケットの日本代表にも選ばれ、2023年8月25日に開幕したワールドカップにも出場されました!
今回の記事では、そんな原修太選手の学生時代にフォーカス!
原修太選手の出身大学や高校・中学時代までさかのぼってを調査!
バスケットを始めたのはいつで、きっかけは何?
原修太は残念ながら、パリオリンピック2024の日本代表メンバー選考からは外れてしまいました。
■原修太選手の出身大学は?
■原修太の出身高校は?
■原修太の出身中学は?
■原修太がバスケを始めたきっかけは?
原修太選手の出身大学は?
原修太選手の出身大学は、東京都にある国士舘大学です。
学部は、政治経済学部でしたので、通っていたのは国士舘大学の世田谷キャンパスです。
原修太選手は、1993年12月17日生まれで、2023年12月に30歳になられました!
そして、大学へは2012年4月入学、2016年3月に卒業という計算になります。
原修太選手は、国士舘大学の1年生の時から試合に出場し、シューターとして活躍されました。
国士舘大学を選んだ理由
原修太選手が、国士舘大学を選んだ主な理由は2つ。
高校時代に何度も対戦していた拓殖大学紅陵高校のバスケ部の監督に
「大学リーグの1部でやるのは厳しいかも」
「でも、2部か3部なら十分できると思うから考えてみるといいよ」
と言われ、当時大学リーグ2部だった国士舘大学に興味を持ったから。
指定校推薦の枠を使えることがわかったから。
どちらかというと、消極的な理由で大学を選んだような雰囲気もありますね。
今の原修太選手の活躍ぶりから考えると、ちょっと想像とは違うイメージです。
国士舘大学といえば、スポーツの強豪校として有名ですよね。
複数の競技で全国大会優勝の実績がありますし、特に柔道ではオリンピックメダリストを多く輩出していることでも知られています。
ですから、当時、国士舘大学のバスケ部が2部リーグだったというのは意外です。
1年生から試合に出場
原修太選手は、大学入学後、1年生の時から試合に出場されています。
しかし、大学入学当初の原修太選手は「活躍が期待されている新入生」ではなかったそうです。
なぜなら、原修太選手はバスケ推薦ではなく、学校の指定校推薦での入学だったから。
つまり、強豪大学に入学してくる選手は、スポーツ推薦で入っている方ばかりなのでしょうね。
原修太選手は、推薦は推薦でも、「バスケット選手として推薦を受けた」わけではなかったので、本人も周りも期待していなかったというわけです。
ですから、本人も周囲も「とにかくまず3年間はBチームで」と思っていたそうです。
しかし!
入学前の3月の練習で初めて原修太選手のプレーを見た監督は、
「午後の練習からAチームに行け!!!」
監督さんは、原修太選手のプレーを見たとたん、彼の中にある高いポテンシャルに気付いたのでしょうね!!!
と、驚かれたことでしょう!
実際に、原修太選手は、入学直後から試合に出場!
新人戦でいきなり二桁得点をマークし、その後秋のリーグ戦からはスタメンに選ばれるようになりました。
「入学したら3年間はBチームで頑張ろう」と思っていた原修太選手。
実際には、入学後半年で、あっという間にチームの中心選手となるなんて!
原選手はのちに大学時代を振り返り、「チームメイトが自分の良いところを引き出してくれた。」
「国士舘のメンバーに出会えたことは、自分にとって運が良かった」と話しています。
1部リーグ昇格に貢献
原修太選手が大学2年生の時には、国士舘大学は大学バスケ1部昇格!!!
原修太選手の活躍が、1部昇格という結果に貢献したことは間違いないでしょう。
こちらのX(旧Twitter)の動画では、1部昇格の時のことをコメントされています↓↓↓
【ダイジェスト】ラストシーン | 全日本インカレバスケ2015
国士舘大学4年・原 修太(SG/187cm/習志野高校)原選手部分はこちら:https://t.co/4k5t2XJc9C pic.twitter.com/VVU71A2w69
— CSPark (@CSPark_JP) November 24, 2015
大学時代の成績
ご紹介した通り、原修太選手が2年生の時に、国士舘大学は1部に昇格!
その翌年の3年生の時には、1部6位、全日本学生5位という成績を収めています。
その3年生シーズンでは、個人的にも結果を残しています。
3年生の関東大学リーグ戦では、55本もの3ポイントシュートを決め、「3ポイント王」に選ばれています。
第90回関東大学バスケットボールリーグ戦
【1部個人賞】
●得点王
拓殖大学 No.23ジョフ・チェイカ・アハマド バンバ 506点
●3ポイント王
国士舘大学 No.22原 修太 55本
●アシスト王
青山学院大学… http://t.co/D67PctN6VC— 関東大学バスケットボール連盟 (@KCBBF_90) November 2, 2014
さらに、4年生では、関東学連の公式戦での総得点数で1位!
3ポイントシュートでの得点数でも3位に輝いています!
Thanks Four Years | 原 修太(国士舘大学4年/SG/187cm/習志野高校/NEXT→ @CHIBAJETS )
【STATS】※関東学連の公式戦
総得点 1685得点(1位)
総3ポイント 152本(3位) pic.twitter.com/UPbEaKz6oK— CSPark (@CSPark_JP) March 25, 2016
ユニバーシアード大会に出場
原修太選手は、国士舘大学での活躍だけでなく、4年生の時にユニバーシアード大会に日本代表として出場されています。
原修太選手を、学生日本代表に召集したのは、拓殖大学バスケ部監督だった池内泰明さんでした。
原修太選手は、池内泰明監督のことを「最大の恩人」と語ります↓↓↓
「池内さんは今でも僕が“最大の恩人”だと思っている人です。
池内さんが自分を見出して代表チームの合宿に呼んでくれなかったら、今の自分はなかったとはっきり言えます。
この学生日本代表に選ばれたことで、原修太選手の意識が大きく変わりました。
それまでは、大学卒業後について「卒業したら関東実業団のチームに入って働きながらバスケットが続けられたらいいなとぼんやり考えていました」といいます。
しかし、プロバスケット選手になることが現実的にイメージできるようになってきた時に、届いたのが千葉ジェッツから「アーリーエントリーでうちに来ないか?」というお誘い!
そのオファーに対し、原修太選手は即断!!!
それは、大学4年の2015年12月のことでした。
こうして、プロバスケットボール選手・原修太が誕生しました!
このたび原修太選手が千葉ジェッツに入団することとなりましたのでお知らせいたします。
詳細はこちら⇒https://t.co/6PrpfLxEDR#千葉ジェッツ #バスケ #NBL #bj #Bリーグ #バスケ #原修太 pic.twitter.com/8LREzAyWgA— 千葉ジェッツふなばし 🛫PAINT IT JETS✨ (@CHIBAJETS) December 8, 2015
原修太の出身高校は?
原修太選手の出身高校は、千葉県の習志野市立習志野(ならしの)高等学校です。
習志野高校と、この後ご紹介する原修太選手の出身中学・船橋市立高根台中学校とは、約6kmほど離れています。
原修太選手のご実家は、高根台中学の近くだと思いますので、高校へは自転車通学だったかもしれませんね。
習志野高等学校は、全国でもトップクラスと言われる吹奏楽部や、スポーツ強豪校としても有名です。
卒業生には、「ミスタータイガース」と呼ばれた掛布雅之さん、サッカーワールドカップ代表の玉田圭司さん、同じくサッカーワールドカップ代表で現在は横浜FCの監督を務める四方田修平さん、その他にも多くのプロ野球選手・Jリーガー・プロゴルファーなどがいます。
原修太選手は、初めから習志野高校を目指していたわけではありませんでした。
小学生の頃には、地元・千葉県でバスケ強豪校として有名な船橋市立船橋高等学校に憧れの気持ちを持っていたようです。
しかし、実際に中学生になると、
と進学を断念。
意外にネガティブだったのですね!
いや、自分のことを冷静かつ客観的に見ることが出来ていた、というべきでしょうか?
そんな原修太選手を、習志野高校へとつなげてくれたのは、大好きなお祖父さんでした。
原修太選手のお祖父さんには麻雀友達がいて、その友達が習志野高校でバスケットを教えていたのです!
子供の頃には、お祖父さんと一緒に習志野高校のバスケの試合の応援にも行ったことがあったそうです。
幼いころから自他ともに認める「おじいちゃんっ子」だった原修太選手ですが、中学3年生の時にお祖父さんを亡くしてしまいます。
その時の弔問にも、習志野高校バスケ部の関係者が沢山いた事も印象に残っているそうです。
原修太選手が高校に進学される頃、お祖父さんの麻雀仲間が再びバスケットのコーチに復帰する事もあり、習志野高校に縁を感じ入学しました。
県内では習志野もそんなに弱くはなかったし、自分は試合に出たかったので、結構あっさりと決めました。
引用元:BOJ(2016.1.25付)
確かに、強豪校へ行ってレギュラーになれないよりも、試合にガンガン出て経験値を上げる方が、力を付けることが出来る可能性が高い場合がありますよね。
その後の原修太選手の活躍ぶりから考えると、結果的に、原修太選手の選択は正しかったと言えます。
習志野高校時代の最高成績は、2年生の時の千葉県6位。
原修太選手が3年生の時には、最高成績は県ベスト16でした。
3年生の関東大会県予選では、試合中に左手を骨折!
引退試合となった最後のインターハイ予選には何とか出場できたものの、直前まで全然練習できなかったそうです。
さらに、試合の直前には、チームをまとめていたキャプテンがケガをしてしまうというアクシデントも!
原修太選手は、自身もケガから復帰したばかりでしたが、キャプテンの分まで頑張りたいと奮起!
しかし、結果的に負けてしまいました。
負けてロッカールームに戻ろうとしていた原修太選手に、この時の対戦相手だった拓殖大学紅陵高校の監督からすれ違う時に呼び止められて、以下のような声をかけられました。
「できるならお前はバスケを続けた方がいいぞ」
「大学リーグの1部でやるのは厳しいかも」
「2部か3部なら十分できると思うから考えてみるといいよ」
これは、先ほど、すでにご紹介済ですね!
原修太選手が、国士舘大学に進学するきっかけになった、あの言葉です。
拓殖大学紅陵高校とは、公式試合だけでなく練習試合でもたびたび対戦していたため、あちらの監督さんは、相手校の選手だった原修太選手の実力を、よくご存じだったのですね。
相手校、しかもライバル校の選手にも、このような声をかけてくださる拓殖大学紅陵高校の監督さん。
指導者として、本当に素晴らしい方だなと思います!
こうして、高校では一度も全国大会出場の経験がなかった原修太選手でしたが、国士舘大学を経て、今や日本代表にも選ばれています。
個人的には、こういう選手だからこそ、応援したくなってしまいます!!!
原修太の出身中学は?
原修太選手の出身中学は、千葉県船橋市にある船橋市立高根台(たかねだい)中学校です。
この高根台中学校は、地元の中学校で、バスケの強豪校ではありません。
放課後の部活では、他の部活との関係で基本的にハーフコートしか使えませんでした。
そもそも、中学でバスケ部に入ったのも、小学生時代のミニバス仲間が入ったから。
バスケが特別好きだったわけでもなく、「バスケットボール」というスポーツに強い思い入れはなかったそうです。
中学時代の戦績としても、原修太選手が3年生の時には船橋市5位くらいで、県大会も出られないようなチームでした。
原修太選手は、インタビューの中で、中学時代を振り返って以下のようにコメントされています↓↓↓
「中学時代は……なんか正直、バスケに関する記憶が薄いんですよね(苦笑)。
1、2年生のときは全く試合に出られなくて、自分たちの代になってようやくスタメンになれた感じでしたし」
引用元:BOJ(2016.1.25付)
あまり、バスケットに身が入っていない雰囲気が漂っていますね。
県大会に出られなかったとしても、そういった試合を見に行くことも勉強になると思うのですが、そういうこともしない。
チームとしては強くなかったとはいえ、当時の監督さんは原修太選手に市選抜にチャレンジすることを勧めてくれたそうですが、・・・
当時の自分は反抗期というか、そういうアピールがちょっと恥ずかしくて。
中学生って、頑張るのが恥ずかしいみたいなところあるじゃないですか。
今思えば一生懸命やれば良かったなと思いますし、もちろん一生懸命やったところで受かるか分からなかったわけですけど、結局、市の選抜はいきなり1次で落とされました。
引用元:BOJ(2016.1.25付)
なんと!
しっかり、どっぷり反抗期だったのですね!
普通にどこにでもいる「こじらせ気味の中学生」。
そういったところも、個人的には好感を持てます!
ちなみに、原修太選手は中学時代の3年間で25cmほど身長が伸び、卒業するときには183㎝くらいだったそうです。
そんな原修太選手ですが、千葉ジェッツに入ってから、母校の後輩にバスケットボールのオンラインレッスンをする機会がありました。
その際には、後輩たちに以下のようなメッセージを送っています↓↓↓
「中学3年間は本当に早いと思うので、バスケも含めてたくさん楽しむことが大事。
自分が中学生の時はBリーグがなかったけれど、今は目標にするチームや選手がいるのはすごくいいこと。
ちなみに、船橋市立高根台中学校出身の卒業生には 山下智久さん(元ジャニーズ)や、市井紗耶香さん(元モーニング娘。)等がいらっしゃいます。
原修太がバスケを始めたきっかけは?
原修太選手が、バスケをはじめたきっかけは、2歳上のお姉さんに影響されたためです。
原修太選手は、姉と妹に挟まれた3人きょうだいの真ん中です。
原修太選手のお姉さんは、ミニバスチーム「高根台MBC」に入っていました。
小学校3年生の時に、お姉さんの試合を見に行った際、ミニバスのコーチに「バスケをやらないか」と誘われた事が、バスケットを始めるきっかけになったようです。
しかし、最初から熱心にバスケに取り組んでいたわけではなさそうです。
親にも「すぐ辞めるかもしれない」と思われていたようですよ↓↓↓
小学生のときに水泳とかもやってみたんですけど、辞めちゃって…。
だから親も、『すぐ辞めるかもしれないから』って考えていたみたいで、最初はバッシュを買ってもらえなかったんですよ。
引用元:BOJ(2016.1.25付)
原修太選手にとって、転機になったのは小学校6年生の時。
所属していたミニバスチーム「高根台MBC」が、近くの小学校のミニバスチームと合併したのです。
そのチームが強豪チームで、合併してできた新チームを率いたのは強豪チームの監督さんでした。
そこから、急に練習も厳しくなり、6年生で最上級生だったにも関わらず、毎試合叱られて泣いてばかりだったと言います。
実は、原修太選手のご両親は、バスケ経験者。
5年生までは、原修太選手のバスケに口を出すことがほとんど無かったのですが、6年生からはご両親もヒートアップ!!!
監督にもご両親にも、ダメ出しばかりされる日々だったそうです。
チームが強くなって、周りも上手い選手が多かったので、自分だけがダメで足を引っ張る試合もありました。
そしたら試合のあと、帰りの車の中で親にすっごいダメ出しされるんです。
そこでまた泣いて(笑)。
あの1年間は、怒られて泣いた記憶ばっかりですね。
引用元:BOJ(2016.1.25付)
ちなみに、小学校を卒業する頃の原修太選手の身長は、160cmくらいだったそうです。
まとめ
今回は日本代表として、バスケワールドカップ2023に出場された、原修太選手(千葉ジェッツ)について紹介をしてきました。
大学2部リーグだったからこそ選んだ国士舘大学。
しかも、バスケ推薦ではなく、指定校推薦での入学でしたので、本人も周りも即戦力になるとは思っていなかったところ、1年生から大活躍!
チームの1部昇格にも貢献されました。
高校を選ぶ時も、強豪校への進学を回避。
これは、大学を選ぶときと同じですよね。
そして、その年齢らしい反抗期を過ごした中学時代。
そんな時代を経ていることは、ずっと陽の当たる道を歩いてきたエリート選手とは違う、原修太選手の強みになっているのではないでしょうか。
お姉さんやお祖父さんがきっかけを与えてくれたバスケットボール。
原修太選手は、ワールドカップの日本代表に選抜されるまでに成長されました。
残念ながら、パリオリンピック2024の男子日本代表メンバー選考からは外れてしまいましたが、今後も3Pシュートで勝利に貢献してくれることでしょう!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント