小田凱人(ときと)選手は、日本の男子車いす選手の若き第一人者です。
2024年4月に高校3年生になった小田凱人選手。
高校生になったと同時にプロデビュー。
世界的にも有名な全仏オープンやウィンブルドン、全豪オープンなどで、多くの「史上最年少優勝」記録を作り続けています。
ダブルスでも銀メダル獲得です!
「車いすテニス」の選手ですので、普段私たちが目にする小田凱人選手は、車いすに乗っています。
しかし、小田凱人選手は少しなら歩けるそうなんです!
今回の記事では、小田凱人選手が「歩ける」というところの実情を調査してみたいと思います。
小田凱人選手は、9歳の時に骨肉腫を発症。
その後、小学4年生で車いすテニスの世界に飛び込み、わずか4年ほどで世界ジュニアの大会で優勝!
中学1年生の時に、ジュニア世界ランキング1位となりました!
■小田凱人は「歩ける!」
■小田凱人の病気は骨肉腫で9歳で発症
■小田凱人は小4で車いすテニスの世界へ!
■小田凱人は病気の再発も経験
■小田凱人は中1で車いすテニスジュニア世界一に!
小田凱人は「歩ける!」
私たちが、普段小田凱人選手を見るのは、車いすテニスの試合の時がほとんど。
ウルスポテニス🎾
全仏オープン 車いすテニス男子
シングルス決勝
小田凱人🇯🇵(第2シード) vs G・フェルナンデス(第3シード)
7-5
6-3
18歳の小田が全仏オープン連覇達成🎊
四大大会4度目制覇㊗️#テニス #全仏オープン #小田凱人 #車いすテニス #ウルスポpic.twitter.com/P41h8QVwKs— ウルトラスポーツ(ウルスポ) (@ULTRASPORTS7) June 8, 2024
ですから、車いすに乗っているところしか、見ることがありませんよね。
しかし、小田凱人選手は、少しなら歩くことが出来ます!
小田凱人選手は、病気がわかってから行った手術により、左脚には人工関節が入っています。
それでも、長い距離は難しいですが、短い距離なら杖をついて歩けるのです!
下記の動画は、小田凱人選手が愛知県一宮市にある母校・西成中学校を訪れたときのものです。
杖をついて立っている姿を拝見できます。(20秒あたりから)
また、誰の手も借りずに杖を使って階段も上り下りできるのだとか。
「筋力の低下を防ぐためにも、普段は立って生活するようにしています」
と、本人はリハビリを理由にあげるが、通底しているのはカッコいい自分でありたいという想い。
とにかく、見え方、見られ方を強く意識している(ように見える)。
ちなみに、上記のインタビューの際も、車から杖を使って歩いて降りてきたそうです。
確かに、筋肉は使わなければ使わないほど、どんどん落ちてしまいますよね。
【追記/2024.9.18付】
小田凱人さんが、ご自身のInstagramに投稿された写真が注目を集めています!
いつもとは違って、大人っぽいブラックスーツ姿!
杖を突いていますが、とってもカッコイイ!!!
この投稿をInstagramで見る
これは、見た目だけではなく、精神的なカッコよさも追及してると思います!
小田凱人選手の心の強さも感じられますよね!
小田凱人の病気は骨肉腫で9歳で発症
小田凱人選手が、足に違和感を感じたのは、9歳のこと。
大好きなサッカーをやっていても、左脚が痛くて痛くて、最終的には靴下も履けなくなるくらいでした。
そこで病院に行ったところ、左足の股関節部分に骨肉腫を発症していることが判明!
【骨肉腫】
骨肉腫は骨に発生する悪性腫瘍(がん)の中で最も頻度の高い代表的ながんです。10歳代の思春期、すなわち中学生や高校生くらいの年齢に発生しやすい病気ですが、約3割は40歳以上で発生します。
日本国内でこの病気にかかる人は1年間に200人くらいであり、がんの中では非常にまれな部類に入ります。
引用元:がん情報サービスより
小田凱人選手は、すぐに入院、手術をすることになってしまいました。
その手術は、12時間もかかるような大手術でした。
小学生の小田凱人選手にとって、体力的にも精神的にもとても辛い手術だったと思います。
「約1年治療して、血液検査しても、『死ぬんじゃないか』っていうくらいの数値が出たこともあった。
誰も経験したことないような経験。
すごいラッキーだったな」
「自分の病気も珍しくて、何万人に1人。
選ばれたつもりで、胸を張って」
突然のことで、本人はもちろんご両親にとっても、なかなか受け入れるのが難しいことだったのではと思います。
また、治療はつらく、壮絶なものだったのでしょう。
そんな中でも、前向きに病気をとらえるようにもなったそうです。
小学生の頃はサッカー少年!
小田凱人選手は、幼い頃からサッカーをしていて、小学生の頃の夢は「プロサッカー選手になること」でした。
実際にサッカーがとても上手で、チーム内やご近所さんからも将来を期待されるような少年でした。
大好きなサッカーをやっている中で、違和感を感じた左脚。
一番つらかったのは、サッカーができなくなること。
病気が分かってからも、いつかはサッカーを出来る日がくると信じていたといいます。
9カ月の入院生活
運動神経抜群の元気いっぱいの少年が、いきなり9カ月にも及ぶ入院生活を強いられました。
まずは、左脚の股関節と大腿骨の一部を切除した上で、人工関節を取り付けるという大手術。
さらには、抗がん剤治療。
そして、長く辛いリハビリ。
まずは、歩けるようになりたい!
そして、最初はサッカー選手になりたいという夢も、すぐには諦めることが出来ませんでした。
しかし、実際には厳しい現実が待ち受けていました。
小田凱人選手の左脚には、後遺症が残ってしまったのです。
「もう走れなくなる」と医師に告げられ、手術の後遺症で左脚の自由を失った。
手術の前は、退院して、サッカーに戻りたいという気持ちが強かったといいますが、
そう確信したそうです。
夢を断念するしかないとわかった小田凱人選手は本当につらいものだったと思います。
しかし、その後、小田凱人選手に希望を与えた人物があらわれるのです!!
小田凱人は小4で車いすテニスの世界へ!
小田凱人選手が、車いすテニスの世界に飛び込んだのは、小学校4年生の時です。
小田凱人選手は、幼い頃から運動神経抜群で、サッカー選手になることを目指していたほど!
サッカーからテニスへ種目が変わっても何のその!
あっという間に上達していくことになります。
では、小田凱人選手が、どのようにして車いすテニスと出会ったのか、ご紹介しましょう!
入院中に見つけた新しい夢
9カ月にわたる入院生活中に、小田凱人選手はあるアスリートの映像を目にしました。
それは、国枝慎吾選手がロンドンパラリンピックで金メダルに輝いた時のものでした。
国枝慎吾がロンドンで金メダルを獲得!#Paralympics #パラリンピック pic.twitter.com/khhAVU3lY3
— Paralympics_JP (@Paralympics_JP) August 6, 2021
ロンドンパラリンピックは2012年に行われていますので、小田凱人選手が入院していた時期よりも3年以上前のこと。
ですから、タイムリーにその試合の映像を見たわけではありません。
しかし、小田凱人選手にとって、これが運命を変えた大きな出会いとなります。
サッカーは無理だけど、車いすテニスなら僕にも出来る!
国枝慎吾選手みたいになりたい!!!
さらに、競技用の車いすにも惹かれたと言います。
「最初は、競技用の車いすがものすごくかっこよく見えたんです(笑)
~中略~
初めて競技用のものを見てみて、本当に惹かれて『競技用の車いすに乗ってみたい』というのが最初。
おもちゃ感覚というのか(笑) 」
新しい夢を見つけた小田凱人選手は、お年玉でテニスラケットを購入!
まだ入院中にも関わらず、病室のベットの上でラケットを振ってテニスの練習を開始!!!
その時点で「車いすテニスで世界一になる!」という目標を掲げたのです!
まだ10歳の少年が、まだ闘病中で、入院中であるにも関わらず、この大きな夢を実現させるべく、行動開始したと聞いて、鳥肌が立ちました!!!
なかなか出来ることではないですよね。
この新しい目標に出会えてからの小田凱人選手は、退院したらテニスをやるんだ!ということがモチベーションになって、辛いリハビリにも取り組むことが出来たそうです。
退院後には、近所の公園で父親相手に初めてのラリーをした小田凱人選手。
そして、車いすテニスが出来るテニスクラブを探して、本格的に練習を開始!!!
この時から、小田凱人選手の車いすテニスライフが始まりました!
小田凱人は病気の再発も経験
小田凱人選手が、車いすテニスとの出会い、その後、すべてが順調に進んでいったわけではありませんでした。
残念ながら、病気が再発してしまったのです。
小田凱人選手の抱えていた「骨肉腫」というのは、ガンの一種。
そして、11歳と13歳の時の2回、小田凱人選手は、肺がんと診断されたのです。
これは、新しく別の病気になったというのではなく、元々のがん細胞が肺に転移してしまったということのようです。
ここで、小田凱人選手は、再び手術へ。
肺の一部を切り取るという手術でした。
ここでも、小田凱人選手は気丈にこの試練と向き合い、克服されました!
小田凱人選手も、そしてご家族の皆さんも、本当に厳しい精神状態の中、乗り越えれてこられたのですね。
この時、ガンという病気の治療だけでなく、メンタルトレーニングなどにも取り組まれたようです。
自分の精神状態を理解し、それをコントロールすることを学ぶ。
当時、まだ小学生だというのに、なんてスゴイ人なのでしょうか。
小田凱人は中1で車いすテニスジュニア世界一に!
小学4年生で始めた車いすテニス。
もともと運動神経抜群の小田凱人選手は、あっという間に上手になっていきました!
病気の再発にも負けず、車いすテニスに打ち込む毎日。
中学1年生だった2020年1月~2月に行われたジュニアマスターズの国際大会「クライフ財団ジュニアマスターズ(Cruyff Foundation Junior Masters)」にて優勝!
競技を始めて4年もたたないうちに、ジュニアの国際大会で優勝したんですから、すごいですよね!
その後、中学3年生になった2021年4月には、史上最年少でITF(国際テニス連盟)車いすジュニアテニス(男子)世界ランキング1位となりました!
この時、小田凱人選手は世界大会で22戦無敗という快挙も同時に達成されています!
マネジメントしている車いすテニス🎾👩🦼の小田凱人君。
トルコ遠征🇹🇷でシニアとJr.の両方の大会に出場し、1週目はシニア単優勝、複準優勝、Jr.優勝。2週目はシニア単複優勝、Jr.優勝。
この結果、恐らく史上最年少での世界ジュニアランキング1位になりました!(14歳)おめでとう、ときと! pic.twitter.com/dDLGT9NhLS
— 軍司和久|広告会社スポーツビジネス担当|がんサバイバー|フットゴルファー|W杯2018日本代表 (@kazuhisagunji) April 28, 2021
小田凱人選手は、2006年5月8日生まれですから、ジュニア世界ランキング1位になった2021年4月は14歳11か月!
世界ジュニアの年齢制限は18歳までですから、14歳で1位になることはかなりスゴイこと!
まさに、一気に世界で戦える選手へと進化し続けた中学時代ですが、2020年初春から始まったコロナ禍真っ最中でもありました。
小田凱人選手が中学生になったのは2019年4月なので、中学1年生が終わる頃に学校の一斉休校などが始まったことになりますね。
先ほどご紹介したように、世界のジュニアランキングで1位になりましたが、多くの試合が中止や延期、無観客試合になった時期でもありました。
思うように練習が出来ない期間もあったことでしょう。
そんな中でも、集中力を切らすことなく、モチベーションもキープして結果を残したことは、大きな意味があるのではないでしょうか。
まとめ
今回の記事では、日本の車いすテニスの若手ナンバーワン選手、小田凱人選手について、ご紹介しました。
小田凱人選手は、「車いすテニス」の選手ですが、2024年現在、実は少しなら歩けるということがわかりました。
小田凱人選手は、9歳の時に骨肉腫を発病。
病気になったことで、サッカー選手になる夢は諦めることにはなってしまいましたが、もともと運動神経が抜群に良かった小田凱人選手!
小学校4年生で始めた車いすテニスですが、中学1年生の時には、ジュニア世界ランキング1位に上り詰めました!
その後も、車いすテニスプレーヤーとして、着実に、その類まれな才能を発揮されています!
これからも、小田凱人選手の活躍に期待できそうですね!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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