今回の記事では、明治大学野球部の宗山 塁(むねやま るい)選手と、父・宗山伸吉さんについて紹介いたします。
宗山塁選手は2024年現在、明治大学野球部4年生。
2024年度のドラフト会議で、注目の的になっている選手です。
そんな宗山塁選手の活躍を陰で支えたのは、お父さんの宗山伸吉さん。
宗山伸吉さんも、かつては広陵高校野球部に所属していた高校球児。
宗山塁選手も広陵高校を卒業しているので、お父さんは大先輩というわけです!
父・宗山伸吉さんはどんな野球少年だったのでしょう。
そして、息子の宗山塁選手にしていたという「英才教育」とはどんなものだったのでしょうか。
宗山塁選手の経歴やwiki的プロフィールも併せて調査しました。
この日行われたドラフト会議で、宗山塁選手は東北楽天ゴールデンイーグルスに指名されました!
宗山塁選手、おめでとうございます!!!
■宗山塁の父親は広陵高校野球部OB
■宗山塁の父親の英才教育の内容は?
■宗山塁の経歴/小学校時代
■宗山塁の経歴/中学校時代
■宗山塁の経歴/高校時代
■宗山塁の経歴/大学時代
■宗山塁のwiki的プロフィール
宗山塁の父親は広陵高校野球部OB
宗山 伸吉さんは1974年11月9日生まれ。
2024年11月の誕生日で、ちょうど50歳になります!
出身は、広島県三次(みよし)市です。
三次市立三次中学校で、野球部に所属。
中学生時代は、右腕のエース投手として活躍しました。
そして、中学卒業後に進学したのが、広陵高校です。
父/宗山伸吉と中井哲之監督との出会い
宗山塁の父・宗山伸吉さんは、広島県の野球強豪校のひとつである私立/広陵高校へ進学されました。
広陵高校野球部に入部したことで、宗山伸吉さんは、人生で大きな影響を受ける「中井哲之監督」と出会います。
宗山伸吉さんが広陵高校に在籍していたのは、1990年4月から1993年3月までです。
【私立/広陵高等学校】 | |
所在地 | 広島県広島市安佐南区伴東3丁目14−1 |
公式ホームページ | https://www.koryo.ac.jp/ |
宗山伸吉さんは、高校時代の3年間、野球部の「清風寮」で寮生活を送りました。
広陵高校は、その当時から強豪校だったのですが、宗山伸吉さんが入学する頃には、思うような成績を出せていませんでした。
野球部創立後、何度も春のセンバツや夏の甲子園は出場していた広陵高校。
しかし、全国大会出場は1984年の春のセンバツ以降は途絶えていました。
そんな事情もあってか、1990年4月、つまり宗山伸吉さんが高校へ入学した時に、監督が交代。
この時に、新しく野球部監督に就任されたのが、当時27歳の中井哲之監督でした。
高校野球の強豪校の監督としては、かなり若い監督です。
新しい監督のもと、広陵高校はどんどん強くなっていきました。
父/宗山伸吉の広陵時代の戦績
宗山塁選手の父・宗山伸吉さんが、広陵高校時代に初めてベンチ入りしたのは、2年生の秋季大会(広島大会)です。
この頃は、ピッチャーとしてではなく、右投げ左打ちの俊足外野手としてベンチ入り。
しかし、主に代走、守備要因としての役割を求められました。
それでも、部員100名を超える野球部でつかんだ大きなチャンスでした。
高校3年生になる春に、思わぬ事態が起こります。
かねてより、痛めていた右膝が悪化し、4月に半月板の手術をすることになったのです。
この時に、宗山伸吉さんは、その後、選手生活を続けることを断念します。
そして、手術の後、チームに復帰すると、裏方としてチームを支えていきます。
レギュラーを目指して進学したはずが、野球が出来なくなっても、チームを支えようとする宗山伸吉さんに、中井哲之監督は目をかけてくださったようです。
この後、20年以上たってから、息子の宗山塁選手も中井哲之監督に指導してもらうことになるとは、夢にも思っていなかったでしょうね。
宗山 伸吉さんは1993年4月に広陵高校を卒業、地元の三次市役所に勤務します。
その後、地元の少年野球チーム「 三良坂少年野球クラブ」でも指導するようになります。
宗山塁の父親の英才教育の内容は?
2003年に、長男・宗山 塁選手が生まれます。
「塁」というのは、野球の「1塁・2塁・3塁」の「塁」。
命名したのは、父・伸吉さんの「自分の野球への思いを託した」とのことです。
野球強豪校に進学したにも関わらず、これからという時に怪我のために野球を断念した経験からでしょうね。
宗山伸吉さんは、そんな想いを胸に、息子・塁に対して「野球の英才教育をした」といいます。
それは、どのような内容だったのでしょうか。
宗山塁選手の小学生時代まで、さかのぼってみましょう。
宗山塁の父との約束
父による英才教育が始まったのは、小学校に入学した頃からです。
宗山塁選手は小学校に入ると、父が監督を務める三良坂少年野球クラブに入ります。
その時、父・伸吉さんとした約束は「毎日練習する」こと。
そして、伸吉さんも、宗山塁選手の練習の手伝いを欠かしませんでした。
まさに、二人三脚で野球の基礎を身につけたのです。
普通であれば、練習よりも友達との遊びに夢中になっていきそうな年頃です。
しかし、宗山塁選手は父との約束を忘れず、中学卒業までの9年間毎日練習を欠かさなかったそうです。
そして、その間、父・伸吉さんは宗山塁選手が不平不満や愚痴をいうところを聞いたことがないそうです。
一方的に「練習をしろ」と強制するのではなく、一緒に練習に付き合ってくれる父。
そんな風に、毎日一緒に頑張ってくれる父の背中を見て、「一人じゃない」「お父さんがいる」と勇気づけられたことでしょう。
そして、何事も「基本が大事」ということを、毎日の練習で身に染みて学んだのではないでしょうか。
練習環境を作ってくれた父
父・伸吉さんは、毎日の練習に付き合うだけでなく、練習環境そのものを整えてくれました。
宗山塁選手は、自宅の庭にティー打撃用のネットを張ってもらい、毎日バッティングの練習をしていました。
さらに、知り合いに頼んで、雨の日でも練習ができるように屋根をつけてもらったそうです。
かなり大がかりな工事で、お金もかかったと思います。
屋根設置の工事の際に、奥さんからは「何をしているの?!」と聞かれた伸吉さん。
それに対して、「これは、先行投資や!」と言ったそうです。
「家に屋根付きのティー打撃ができるスペースをつくってもらって、そこでやっていました。
最初は『本当に楽しい』という気持ちでずっとやっていて、それがだんだん『どうすればもっとうまくなるんだろう』『野球で生活していきたい』と変化していきながら、習慣になっていきました」
練習のために使っていた木製バットは、9年間で3本も変える必要があったそうです。
木製バットは、芯の部分でボールを捉えると衝撃が分散され、壊れにくいと言われています。
それでも、木製バットを3本も使い込んだ宗山 塁選手の練習量は、相当なものだったと分かりますね。
影響を受けた中井哲之監督の野球哲学
父・宗山伸吉さんの教育方針に影響を与えたのが、広陵高校野球部の中井 哲之監督です。
中井哲之監督がインタビューを受けた動画をご紹介します。
その中で、中井 哲之監督は自身の監督哲学/野球哲学を語っています↓↓↓
個人的な偏見だとは思いますが、高校野球の監督というと、上下関係に厳しい怖い人を思い浮かべます。
しかし動画内で語る中井哲之監督には、厳しさの中にも選手たちの自主性や考え方を重要視する姿が見られます。
他のインタビューでも、中井哲之監督はこう語っています↓↓↓
野球の技術の指導もしますが、それ以上にうるさく言うのは生き方に関して、ですかね。
人の話を聞くときは目を見て聞くとか、返事や挨拶はちゃんとするとか。
このような中井哲之監督の考え方に影響を受けた父・宗山伸吉さんは、同じ気持ちで息子・宗山塁選手に指導をし続けてこられたのだと思います。
野球の実力より人間との接し方や生き方に関して、大事なことを優先していることが一貫していますね。
父親、中井哲之監督、さらには明治大学の監督・コーチからも、指導を受けてきた宗山塁選手。
そんな宗山塁選手の好きな言葉は「感謝」です。
宗山塁選手が、ここまで頑張ってこれたのは、野球の才能があっただけでなく、生き方や団体競技をするうえで大事なことをお父さんを始め、多くの人から学んだからこそ。
それが分かっているからこそ、「感謝」という言葉が出てくるのではないでしょうか。
宗山塁の経歴/小学校時代
宗山塁選手は、三次市立みらさか小学校に入学。
2009年4月~2015年3月まで在学していました。
【三次市立みらさか小学校】 | |
所在地 | 広島県三次市三良坂町三良坂2772−1 |
公式ホームページ | https://www.school.miyoshi.hiroshima.jp/mirasaka/elementary/ |
そして、先ほどご紹介したように、小学1年生から三良坂少年野球クラブに通っています。
三良坂少年野球クラブでの成績は残念ながら、情報がありませんでした。
しかし、実力は折り紙付きだったようです。
小学6年生の時、広島カープJr.のセレクションに合格します。
広島カープJr.とは広島県内から集まった軟式野球少年による選抜チーム。
毎年年末に行われるプロ12球団のジュニアチームによる大会ENEOS CUPのために集まります。
宗山塁選手は、背番号6番内野手のレギュラーとして選ばれます。
そして、このチームのコーチには、父・宗山伸吉さんも入っています。
宗山塁選手としては慣れない環境でも、お父さんの姿が見られることは心強かったのではないでしょうか。
この年の広島カープjr.は、グループリーグ敗退(1敗1分)という悔しい結果には終わりますが、宗山塁選手にとっては全国のレベルを体感できる貴重な機会だったと思います。
宗山塁の経歴/中学校時代
宗山 塁選手は、三次市立三良坂(みらさか)中学校に進学します。
2015年4月~2018年3月まで在学していました。
「三良坂中学校」と、「みらさか小学校」は隣接していて、ふたつ合わせて「みらさか学園」と呼ばれるようです。
どちらも、三次市立なので、公立の学校です。
他の地域では、こういった制度はあまり聞かないような気がします。
面白いですね!
宗山塁選手は中学校の野球部に入らず、軟式野球クラブの高陽スカイバンズに入団します。
チーム名 | 高陽スカイバンズ |
公式ホームページ | https://momonga-net.com/baseball/HomeTeam.do |
中学時代のポジションは、投手・内野手です。
このチームへの入団理由については明確に書かれていません。
しかし、考えられる理由は、このチームの監督が二岡 聡さんだったから。
二岡 聡監督は、かつて読売巨人軍で大活躍された二岡智宏選手のお兄さん。
さらに、広陵高校OBで、父・宗山 伸吉さんの1学年先輩にあたります。
実は、宗山 塁選手のあこがれの選手は、二岡智宏選手 。
つまり、二岡 聡監督は、あこがれの選手のお兄さんで、広陵高校在籍時には、センバツ優勝をレギュラーとして経験した方でもあります。
そういった背景が、このチームへの入団理由になったのではないかと思います。
また、宗山塁選手が入団された同じタイミングで、父・宗山伸吉さんも高陽スカイバンズのコーチとして入ることになりました。
宗山 塁選手が在籍していた期間の、高陽スカイバンズの主な成績はこちらです。
2016年9月24日 | ZETT旗争奪中学生軟式野球大会 | 準優勝 |
2016月11月12日 | 広島県議長杯 | 優勝 |
2017年7月30日 | 三次市議会議長杯 | 優勝 |
2017年11月11日 | 広島県議長杯 | 優勝 |
2018年6月16日 | 新市スポーツ杯争奪野球大会 | 優勝 |
宗山 塁選手は、中学1年の秋から投手として出場することもあったようです。
ご紹介した全ての試合に出場していたかは、定かではないですが、チームを引っ張っていた中心選手の一人だったのではないかと思います。
宗山塁の経歴/高校時代
宗山塁選手は、広島の野球の名門校・広陵高校に進学します。
2018年4月~2021年3月まで在学していました。
進学先に広陵高校を選んだきっかけは、父・伸吉さん。
宗山塁選手は小学生の頃から、広陵高校行きを決意していたそうです。
「父親が広陵野球部OBで、中井哲之監督の教え子だったこともあって、アルプススタンドで応援していたんです。
先輩方が広陵の野球を貫いて勝ち上がっていくのを見て、憧れがさらに強くなっていきました」
宗山塁選手は、広陵高校に入学する前から、心に決めていたことがあると言います。
それは、以下の2点。
高校ルーキーとしてプロを目指すのではなく、最初から大学卒業後にプロになる未来予想図を描いていたのですね。
そして、広陵高校に入学後は、父・宗山伸吉さん同様、清風寮で集団生活を経験しました。
親元を離れての寮生活は、いいことばかりとはいかなかったと思います。
しかし、この寮生活からも学ぶことが多かったことは想像できます。
父・宗山伸吉さんも、インタビューで以下のようにコメントされています↓↓↓
広陵高校に入ってから中井先生の下で、寮生活では自分の身の回りのことをやらないといけない。
目配り、気配りを鍛えてもらったと思います。
宗山塁/高校1年の成績
宗山塁選手は、高校1年の夏からベンチ入りして、甲子園にも出場しました。
広陵高校からプロ入りした選手は2024年現在で70名を超えている全国レベルの強豪校です。
そんな広陵高校の夏の甲子園で1年からベンチ入りしていたことに、父・宗山伸吉さんはかなりびっくりしていたそうです。
2018年8月12日 | 夏の甲子園 | 2回戦敗退 |
2018年10月13日 | 秋季広島大会 | 優勝 |
2018年11月4日 | 秋季中国大会大会 | 優勝 |
2018年11月10日 | 明治神宮大会 | 準々決勝(初戦)敗退 |
2019年3月30日 | 春のセンバツ | 2回戦敗退 |
秋からは、二塁レギュラーとして定着。
11月には明治神宮大会で対決した、当時星稜高校3年の奥川恭伸選手(現ヤクルト)から2安打を打つ活躍をしています。
1年ながらもレギュラーに選ばれるのも納得ですね。
宗山塁/高校2年の成績
2年生の夏の甲子園へは、広島大会ベスト4という形で終わりました。
2019年4月14日 | 春季広島大会 | 2回戦敗退 |
2019年7月26日 | 夏の甲子園広島予選 | ベスト4進出 |
2019年10月6日 | 秋季広島大会 | 4位 |
宗山塁/高校3年の成績
宗山 塁選手にとって最後の高校野球の年は、コロナによって狂わされます。
コロナによって夏の甲子園、春のセンバツは中止となりました。
部活もままならず、清風寮も閉めて、自宅で過ごすことを余儀なくされました。
環境が大きく変わった2020年。
しかし、そんな中で行われた独自大会、夏季広島大会で広陵高校は準優勝を果たします。
2020年8月9日 | 高校野球広島大会 | 準優勝 |
1年生で甲子園の土を踏むことが出来たとはいえ、2年生ではそれも叶わず、3年生の夏にすべてをかけていたと思います。
宗山塁選手だけでなく、日本全国の高校球児の気持ちを思うと、今でもとても辛い気持ちになりますね。
宗山塁の経歴/大学時代
2021年4月、宗山 塁選手は六大学野球の名門、明治大学へ進学します。
明治大学へ進学した理由は、次の3点。
広陵高校の中井哲之監督は、あるインタビューで「プロへ行くことが目的ではなく、プロの世界で活躍する自信を得て、飛び込んで欲しい。」と語っています。
高校からプロへ行って上手くいった選手、上手くいかなかった選手を見てきたうえでの言葉だったと思います。
そのため、広陵高校野球部は、高校卒業時にすでにドラフト候補だったとしても、大学へ進学する生徒が多いことでも有名です。
広陵高校から明治大学に進学された選手は、過去に6人もいます。
宗山塁選手は、そんな先輩たちの後を追って、明治大学に進学されたのだと思います。
http://meiji-bbc.net/introduction/professional/
宗山塁/大学1年の成績
明治大学でも、宗山塁選手は1年生ながら試合に出場していました。
そして、秋季リーグではベストナインに選ばれる活躍を見せています。
この結果に父・伸吉さんも驚いたのではないでしょうか。
2021年 | 春季リーグ戦 | 3位 |
2021年 | 秋季リーグ戦 | 3位 ベストナイン選出 |
宗山塁/大学2年の成績
この年については、後に、父・伸吉さんも「大学時代で一番調子がいい時だった」と語っています。
この結果を受けて、侍ジャパン大学代表にも選出されるようになります。
正に飛躍の年ですね。
2022年 | 春季リーグ戦 | 優勝 (首位打者、ベストナイン) |
2022年6月9日 | 全日本大学野球選手権 | ベスト8 |
2022年7月15日 | ハーレムベースボールウィーク2022 (侍ジャパン大学代表) |
4位 |
2022年 | 秋季リーグ戦 | 優勝 (ベストナイン) |
2022年11月24日 | 明治神宮大会 | 優勝 |
宗山塁/大学3年の成績
3年生の時には、侍ジャパントップチームからも選出されます。
しかし、2024年2月29日宗山塁選手は大学野球のオープン戦でデッドボールを受けて、右肩甲骨骨折。
懸命にリハビリを行い、全治3か月と言われたケガを1ヶ月程で治して、チームに戻ってきました。
2023年 | 春季リーグ戦 | 優勝 |
2023年7月13日 | 日米大学野球選手権大会 | 優勝 |
2023年 | 秋季リーグ戦 | 2位 |
宗山塁/大学4年の成績
2024年2月の怪我は、春季リーグに間に合うことができたのですが、その後の試合中に打球が当たり、今度は右手中指を骨折。
不運が続くような結果となってしまいました。
春季リーグは、チームとしては2位になったものの、宗山塁選手自身は5試合出場にとどまります。
2024年 | 春季リーグ戦 | 2位 |
しかし!
怪我から復帰した2024年9月21日秋季リーグ対東大戦を観戦したスカウトからは、以下のように絶賛する声が聞かれたのです!
「ケガ前よりも復帰後のほうが、明らかにパワーアップしています。」
「基本がしっかりしている。」
「開幕前のオープン戦を視察しましたが、守備も春よりもレベルアップしている。
「即戦力で間違いないです。」
また、怪我で野球ができない時期でも、しっかりとトレーニングを欠かさなかったことも、スカウトの方は見ていました!
リハビリ期間中はウエートトレーニング、明治グラウンド入口にある坂道でダッシュを繰り返す姿を見てきました。
ケガがあっても落ち込むのではなく、できることをする。
野球がうまいだけではなく、メンタルの強さが宗山 塁選手の魅力だと実感できるお話です。
宗山塁のwiki的プロフィール
それでは、宗山塁選手のWikipedia的プロフィールもご紹介しましょう!
氏名 | 宗山 塁 (むねやま るい) |
生年月日 | 2003年2月27日 |
年齢 | 21歳 (2024年10月現在) |
出身地 | 広島県三次市 |
利き手 | 右投げ/左打ち |
身長 | 175cm |
体重 | 78kg |
ポジション | 内野手 |
家族 | 父:伸吉 母:香代 姉:楓 |
憧れの野球選手 | 二岡智宏選手 |
趣味 | サッカー |
憧れの人 | 本田圭佑選手(サッカー元日本代表) |
所属チーム歴 | 三良坂少年野球クラブ(小学生時代) 高陽スカイバンズ(中学生時代) 広陵高校野球部(高校生時代) 明治大学野球部(大学生時代) |
日本代表歴 | 2022年侍ジャパン大学代表 2023年侍ジャパン大学代表 2024年侍ジャパン |
2024年ドラフト会議の結果は?
2024年10月24日に行われる予定のドラフト会議では、宗山塁選手は、どこの球団も注目しています。
そんな中、広島カープはいち早く宗山 塁選手を事前に1位指名すると公表しました。
宗山塁選手は広島出身ですから、地元・広島カープが指名するのは当然かもしれませんね。
毎年、様々なドラマを作っているドラフト会議。
どの球団のユニフォームに袖を通すのかは、2024年10月24日になるまで目が離せません。
その結果を、楽しみに待ちたいと思います!
まとめ
今回は、明治大学野球部の宗山塁選手と父・宗山伸吉さんについてご紹介しました。
父・宗山伸吉さんも、宗山塁選手と同じ広陵高校出身であることが分かりました。
宗山塁選手が小学校に入り、野球を始めた時から、お父さんによる英才教育がスタート!
親子で、小中学校時代の9年間毎日練習を続けました。
父・宗山伸吉さんの野球に対する考え方は、広陵高校の中井哲之監督から影響を受けていることもご紹介しました。
宗山 塁選手は、野球選手としてはもちろん、明治大学野球部主将に選ばれるほど信頼を得る中心選手へと成長されました。
2024年のドラフト会議で、どの球団に決まるのか楽しみですね。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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