篠木健太郎の出身中学/高校時代を調査!経歴やwiki的プロフも!

野球
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篠木(しのぎ)健太郎選手は、法政大学野球部に所属する投手です。

東京六大学野球で活躍し、2024年のドラフトの上位指名が予想されています。

また、完成度が非常に高く、即戦力投手としても期待大の選手です!!

 

今回は、2024年ドラフト上位指名候補・篠木健太郎選手の、中学・高校時代のこと。

また、野球をはじめたのはいつだったのでしょうか?

法政大学での戦績や、プロフィールまで、調査してみました!!

△この記事でわかること△
■篠木健太郎の出身中学はどこ?
■篠木健太郎の高校時代を調査!
■篠木健太郎の経歴/野球を始めたのはいつ?
■篠木健太郎の経歴/小学校時代は?
■篠木健太郎の経歴/法政大学時代の戦績まとめ
■篠木健太郎のwiki的プロフィール

篠木健太郎の出身中学はどこ?

篠木健太郎選手の出身中学校は、群馬県にある、明和町立明和中学校です。

2015年に入学し、2018年に卒業しています。

明和町立明和中学校HP:http://meiwa-school.ed.jp/meiwachu/

 

中学時代は、硬式野球チーム・館林ボーイズに所属し、プレーをしていました。

多くの大会で優秀な結果を残しているチームで、いわゆる野球の強豪高校に進学する生徒もたくさんいるようです。

 

館林ボーイズは、主に群馬県館林市近郊で活動しており、篠木健太郎選手の通っていた明和中学校から、主に練習していたと思われるグラウンドとは、車で10分ほどの距離にあったようです。

自転車や、ご両親の送り迎えなどで通っていたのかな・・・と想像できます。

 

また、篠木健太郎選手は、中学3年春までは、「センター」兼「2番手投手」。

当時は、走・攻・守の三拍子揃った「野手」としての注目度の方が高い選手でした。

 

2年生秋には外野手として「東日本選手権大会」に出場・チームは準優勝しています。

 

そんな篠木健太郎選手は、中学3年生になってから徐々に「ピッチャー」として認められるようになっていきました。

エースだったのは3年夏だけです。

夏休みに入った頃からいきなりボールが速くなりまして。

もともと体が小さかったのですが(中学入学時は身長158cm)、身長が(172cmくらいに)伸びたことと(現在は177cm)、体全体を使って投げていたのがうまくかみ合ったのかもしれません」

引用元:4years.(2023.8.10付)

そして、投手としての才能が開花し、

中学3年の秋に、 東日本報知オールスター群馬県選抜に選出され、最速・135kmをマーク!!

大注目の選手になり、県内の強豪私立全てから声がかかるほどでした。

 

 

篠木健太郎の高校時代を調査!

篠木健太郎選手の出身高校は、千葉県木更津市にある、木更津総合高等学校です。

2018年に入学し、2021年に卒業しています。

 

篠木健太郎選手は、中学から成績優秀。

木更津総合高校では、野球部員のほとんどがスポーツコースに在籍していますが、篠木健太郎選手は、特別進学コースに在籍して、文武両道を貫きました。

 

木更津総合高校は、野球強豪校であり、甲子園常連校。

木更津総合高校HP:https://www.kimigaku.ed.jp/

卒業生に、

■東京ヤクルトスワローズ・山下輝(ひかる)投手
■日本ハムファイターズ・鈴木健矢投手
■東北楽天ゴールデンイーグルス・早川隆久投手

などがいます。

 

2024年の全国高校野球選手権大会に出場し、惜しくも初戦で敗退しましたが、6年ぶり8回目の甲子園出場を果たしているのは記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。

 

木更津総合高校を選んだ理由とは

先ほどお伝えしたように、篠木健太郎選手は中学時代、県内の強豪私立校全てから声がかかるほどの才能の持ち主。

ではなぜ、木更津総合高校を選んだのでしょうか。

理由を調べてみました!

 

・甲子園で勝利した時に行う、全力校歌の姿に惹かれたから
※全力校歌・・・勝利の後に、チーム全員で大声で校歌を歌う。伝統行事。
・楽天の早川隆久投手や、ヤクルトの山下輝投手のような好投手を育てているから。
・戦国千葉と呼ばれている激戦区で、甲子園常連になれるのはなぜか、興味を持ったから。
・中学2年の時に、東京六大学にあこがれを持ち、卒業後は大学進学を考えていた。
大学への進路の強さも木更津総合高校を志望した理由の一つ。

 

中学のときから、常に先々のことを見据えて、しっかり考えて、木更津総合高校を選んだのがよくわかりますね!

 

1年のときからベンチ入り!!

篠木健太郎選手は、1年生の時からベンチ入りをしていました。

2018年夏の東千葉大会では6試合中、5試合に救援登板し、5回2安打無失点12奪三振。

3年連続の夏の甲子園出場に貢献しました!!

 

 

ですが、篠木健太郎選手初の全国の舞台は、甘くありませんでした。

3回戦の山口県・下関国際高校との試合でマウンドに立ちましたが、8回から登板し、2回2失点。

 

チームは敗退してしまいました。

完全に甲子園の雰囲気にのみ込まれてしまいました。

捕手までは遠く感じたのに、(3万6千人の)観客が迫ってくる感じがして……。

何もできずに終わってしまいました」

 

試合後は先輩たちに「申し訳ありません」とひたすら頭を下げたという。

「甲子園の土」は持って帰らなかった。

必ず戻ってくると、心の中で誓っていた。

引用元:4years.(2023.8.10付)

自分の投げるこの1球が、先輩たちの夏を終わらせてしまうかもしれない。

そんなプレッシャーを感じながら、必死で投げたそうです。

悔しい結果に終わりましたが、その経験がきっとその後も生きているのだと思います。

 

2年からエースナンバーを!

篠木健太郎選手は、2年生の夏からエースナンバーの「1」を背負いました。

ボールの質もあがってきて、三振も多く取れるようになってきていました。

 

しかし、2年の夏・秋ともに千葉大会の準決勝で敗退しています。

背番号1を背負っている中で、最後までマウンドを守りきれなかったことが情けなかったと思っています。

引用元:YAHOOニュース(2024.8.9付)

 

それでも、秋の大会のあと、監督から主将になるように告げられました。

その後は、主将兼エースとして、チームを引っ張り、甲子園に戻るべく、充実した日々を送っていました。

しかし、高校3年生になる2020年春・・・新型コロナウィルスの影響で、

センバツ高校野球大会・各地の大会・夏の甲子園も開催されませんでした。

 

そんな悔しい思いの中、独自大会である、千葉県高等学校野球大会が開催されました。

甲子園につながっていなくても、気持ちが入っていた。

地区大会決勝の志学館高校戦で、12三振を奪って1安打完封。

2ランも放った。

専大松戸高校との決勝も4安打で1失点完投。

主将兼エースの役割を果たし、独自大会制覇に導いた。

引用元:4years.(2023.8.10付)

 

篠木健太郎選手は、全7試合中5試合で、計30回を投げ、3完投・2完封・防御率は0.60と圧巻のピッチングをみせ、チームを優勝に導きました。

 

野球ができることは当たり前ではない。

コロナ禍で開催された大会は、そんな思いを実感した大会でした。

 

篠木健太郎の経歴/野球を始めたのはいつ?

篠木健太郎選手が野球を始めたのは、小学3年生の頃。

地元の軟式野球チーム「明和西ジュニアヒーローズ」に入団されました。

先ほどお伝えしたように、中学2年から東京六大学野球にあこがれを持っていた篠木健太郎選手。

それは、小学生の頃からの夢でもありました。

 

本当は、小学1年から野球を始めたかったといいます。

本来は小学1年生から野球を始めたかったんですが、しっかりとした成績を残してからでないとダメだ、と、3年生からになりました。

引用元:週刊ベースボールONLINE(2021.10.25付)

 

教育熱心なご両親で、中学に入ってからも学年順位で上位をキープできないと、野球の練習に行けませんでした。

野球を続けるためには、勉強をする必要がありました。

学ぶことによって見える世界も変わる。

両親には感謝しています。

引用元:週刊ベースボールONLINE(2021.10.25付)

大好きな野球を続けるために、勉強し、高校まで良い成績を残し続けてきた篠木健太郎選手。

小学校の頃からの文武両道。

とっても大変なことだったと思いますが、それができたからこその今があるのでしょう。

 

篠木健太郎の経歴/小学校時代は?

篠木健太郎選手の出身小学校は、群馬県にある、明和西町立明和西小学校です。

2009年に入学し、2015年に卒業しています。

 

出身中学の、明和中学からは2.6kmほどの距離にあるので、おそらく実家もこの辺りなのではないでしょうか。

先ほどお伝えしましたが、篠木健太郎選手は小学校3年生から野球を始めています。

教育熱心な家庭に育ち、小学校時代から、勉強に関してはかなり厳しかったようです。

 

篠木健太郎選手は小学校時代から、野球と勉強の両立。

文武両道を頑張ってきました。

 

それでもご両親は小学校の頃から、勉強だけでなく、野球の素晴らしさにも触れさせてくれました。

幼い頃からなんでこんな厳しいんだろうと思っていたり、強く当たったりしてしまっていた時期もありましたが、公園での球遊びから始まり、よく野球観戦に連れて行ってくれて野球の素晴らしさ、影響力に触れさせてもらいました。

引用元:TOKYOROCKS・法政大学野球部ブログ(2024.9.11付)

※ちなみに↑のブログで、小学校時代のプレーしている写真が見られます!

 

厳しいご両親だったようですが、

野球を全力でやれているのはお父さんお母さんのおかげ。

今では心から感謝をされているそうです。

 

篠木健太郎の経歴/法政大学時代の戦績まとめ

篠木健太郎選手は、高校卒業後、法政大学へと進学しました。

2021年に入学し、2025年に卒業予定です。

 

 

 

実は、高校3年生の時点で、「ドラフト中位で指名されるのではないか」ともささやかれていました。

しかし、強いあこがれを抱いていた東京六大学野球への目標は変わらずに、プロ志望届は出さず、法政大学への進学を決めました。

法政大学野球部HP:https://hosei-baseball.jp/

 

篠木健太郎選手は、1年の秋期リーグで初登板。

2年の春期リーグから先発として出場し、今やエース級の投手に成長した篠木健太郎選手。

投手としての、戦績を簡単にまとめてみました。

 

篠木健太郎・戦績まとめ

※2024年10月現在

シーズン 試合 防御率 勝利 敗戦 チーム順位
2021
春季リーグ
※出場なし
4位
2021
秋季リーグ
※規定数未満
3 2.25 0 0 5位
2022
春季リーグ
9 3.38 2 2 4位
2022
秋季リーグ
9 3.44 2 2 5位
2023
春季リーグ
※最優秀防御率
7 0.68 3 2 2位
2023
秋季リーグ
※規定数未満
5 2.82 1 1 4位
2024
春季リーグ
8 1.41 3 3 4位
2024
秋季リーグ
4 3.48 1 1
合計 45 2.33 12 11

 

・1年の秋季リーグに初登板。
・2年の春には、エース番号「18」を託されています。
・そして、その後も経験を積み、2023年の秋季リーグではリーグ1位の防御率0.68という素晴らしい数字を残しています。

 

しかし、2023年の秋季リーグ、右肩の張りで離脱してしまいます。

2年生の春からフル回転してきたので、疲労もあったそうです。

「あれほど長く試合で投げられなかったのは、野球人生で初めてです。

どこかで、自分はいくら投げても大丈夫、という過信めいたものがあったのかもしれません。

もっと体をいたわらなくては、と思いました」

引用元:4years.(2024.3.10付)

 

ただ、この休養は悪いことだけではなく、自分を見つめなおし、フォームを見直したといいます。

修正したのは足の上げ方です。

高く上げていたのを少し低くしました。

そうしても出力は変わらないと気づいたからです。

足を高く上げていたのは、大きくない体をめいっぱい使うためでしたが、筋力がアップするなど、年々、体が成長していくなか、余分な動きになっていたのです。

余分な動きはエネルギーの消耗にもなります。

長くマウンドに立つためにも、フォームは出来るだけシンプルにしていくつもりです。

引用元:4years.(2024.3.10付)

まだまだ進化を続ける篠木健太郎選手。

 

2024年は、ドラフトイヤーという特別な年です。

秋季リーグも残りわずかですが、悔いのないように頑張って欲しいですね!

 

篠木健太郎のwiki的プロフィール

篠木健太郎選手は、かなり早い時点で、2024年のドラフト上位と言われていました。

しかし、2023年秋のシーズン中に右肩の張りで戦線を離脱。

2023年12月に行われた大学日本代表の紅白戦では、本調子とは言えない内容で、視察したスカウト陣から心配の声もあがっていたといいます。

 

ですが、そんな心配をよそに、2024年の最終学年では、開幕戦で先発を任され、不安を払拭するようなナイスピッチングをみせています。

そんな篠木健太郎選手のプロフィールをご紹介します。

氏名 篠木 健太郎
(しのぎ けんたろう)
生年月日 2002年5月7日
年齢 2024年10月現在22歳
出身地 群馬県
身長 177cm
体重 80kg
投打 右投左打
血液型 B型
学歴 小学校:明和町立明和西小学校
中学校:明和町立明和中学校
高校:木更津総合高校
大学:法政大学・経営学部
好きな言葉 天真爛漫
法政大学野球部HP内・篠木健太郎プロフィール

 

篠木健太郎選手には、篠木康太郎さんという3歳年下の弟さんがいます。

実はその弟さんも、篠木健太郎選手と同じ時期に野球を始め、兄を追いかけて同じ木更津総合高校に進みました。

そして、2024年に獨協(どっきょう)大学に進学し、大学野球で外野手として、プレーをしています。

獨協大学硬式野球部HP:https://dokkyobaseballclub.wixsite.com/dbbc

 

篠木健太郎選手が野球をする上で、弟さんはとても大きな存在だそうです。

私を追いかけて、同じ高校に進み、弟にしかない苦しさや難しさもあったと思いますが、必死に頑張る姿に力をもらいました。

私の登板日にオフが重なれば神宮に来てくれることもあり、弟の存在が私にとって頑張る力になっています。ありがとう。

引用元:TOKYOROCKS・法政大学野球部ブログ(2024.9.11付)

リーグは違いますが、大学野球という同じ舞台で戦う弟さんの存在が、励みになっているのですね!

 

篠木健太郎選手の今後の運命が決まる、2024年プロ野球ドラフト会議は、10月24日です。

2024年プロ野球ドラフト会議HP:https://draft.npb.jp/draft/2024/

 

 

ドラフト1位候補と言われている篠木健太郎選手を、どこの球団が指名するのか。

 

どこの球団に入ろうとも、プロとしてマウンドに立つ、篠木健太郎選手の姿をみるのがとっても楽しみです。

 

まとめ

今回の記事では、法政大学野球部・ドラフト1位候補である、篠木健太郎投手についてお伝えしました。

篠木健太郎選手が野球をはじめたのは小学校3年生のころでした。

出身中学は、群馬県にある明和中学校で、館林ボーイズでプレーしていました。

 

高校は、千葉県にある木更津総合高校。

1年のときからベンチ入りし、2年のときにはエースナンバーの背番号「1」を託されています。

3年のときは、コロナ禍で夏の甲子園も中止に・・・ですが、独自大会である、千葉県野球大会でチームを優勝に導きました。

 

その後、六大学野球に強い憧れを抱いていた篠木健太郎選手は、法政大学に進学。

1年の秋季リーグに初登板し、2023年の秋季リーグでは、リーグ1位の防御率0.68という素晴らしい数字を残しています。

 

ドラフト1位候補の篠木健太郎選手は、プロとしてどこのチームでプレーをするのか!?

要注目です!!

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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