青山学院大学陸上部の田中悠登(ゆうと)選手は、2024年4月に4年生になりました。
2024年現在、青山学院大学陸上部の主将をつとめています。
気になるのは、大学卒業後の進路ですね。
実は、田中悠登選手は、もう内定先が決まっていて、公表されています!
田中悠登選手の就職先は、田中悠登選手の地元・福井県のテレビ局!
田中悠登選手が、大学卒業後、陸上を続けるのではなくアナウンサーになるという道を選びました。
そこで、田中悠登選手がなぜアナウンサーになる道を選んだのか。
実業団で陸上を続ける道を選ばなかった理由について、調査しました!
■【青学】田中悠登の内定先は地元/福井放送!
■【青学】田中悠登がアナウンサー志望したのはなぜ?
■【青学】田中悠登が実業団に行かなかった理由
■【青学】田中悠登のプロフィール
【青学】田中悠登の内定先は地元/福井放送!
青山学院大学の田中悠登選手が、大学卒業後の就職先として内定をもらったのは、田中悠登選手の地元にある福井放送!
アナウンサー志望の #青山学院大学 ・田中悠登主将が地元の福井放送に内定「太田蒼生や平林清澄の活躍を伝えたい」 https://t.co/xlq3gD8qIx #箱根駅伝
— スポーツ報知・箱根駅伝情報 (@hochi_hakone) October 4, 2024
実は、田中悠登選手は、以前より大学卒業後について、アナウンサー志望ということを公言されていました。
ですから、それを知っていたファンの皆さんにとっては、驚く結果ではなかったのではないでしょうか。
しかし!
田中悠登選手と言えば、陸上強豪大学・青山学院大学の陸上部で活躍されてきたトップランナー!
しかも、最終学年である4年で主将にも選ばれました。
そんな中で、アナウンサーになるべく準備を続けてきた田中悠登選手。
どれだけ大変な日々を過ごしてきたかについては、原晋監督も以下のようにコメントされています↓↓↓
「3年、4年はね、アナウンサー試験ですっごい大変だったんです。
それもやり、陸上もやり、チームをまとめて3刀流で頑張ってくれましたね」
引用元:中日スポーツ(2025.1.6)
有言実行で、「アナウンサーになる」という夢を実現されました。
新たなチャレンジを始める田中悠登選手のことを、卒業後も応援したいですね。
【青学】田中悠登がアナウンサー志望したのはなぜ?
では、田中悠登選手はなぜアナウンサーになることを志望されたのでしょうか。
何か、大きなきっかけがあったのかと調査したところ、原晋監督が以下のようにコメントされていました↓↓↓
TBSの佐藤(文康)アナからそそのかされて、
『君、アナウンサー、どうなの』っていう風に言われたんです。
それがきっかけでアナウンサーを目指したんですよ」と話すと、
「余計なこと言いやがったと僕は思ったんです」
と”恨み節”を口にした。
引用元:中日スポーツ(2025.1.6)
なんと、きっかけになったのはTBSアナウンサーの佐藤文康アナウンサーの一言だったというのです。
佐藤文康アナウンサーは、こちら↓の左側の男性です!
/
女子バレーボール✨#ネーションズリーグ 🏐
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絶好調の #眞鍋ジャパン🇯🇵
第2️⃣戦は古豪ブルガリア🇧🇬
初戦の大金星⭐️勢いのまま連勝へ👍
解説は元日本代表 #荒木絵里香 さん
実況 佐藤文康アナでお送りします📣✨🇧🇬ブルガリア戦🇧🇬
今日午後5時30分~録画放送👀🇩🇪ドイツ戦🇩🇪… pic.twitter.com/KYGeEb9hqF
— TBS バレーボール (@TBSvolleyboo) May 17, 2024
実際に佐藤文康アナウンサーが声掛けをされたのでしょうが、きっと田中悠登選手は元々アナウンサーになりたいという気持ちも持っていたのではないでしょうか。
【青学】田中悠登が実業団に行かなかった理由
田中悠登選手が、大学卒業後に実業団へ行かない選択をした理由については、明確なものを見つけることができませんでした。
青山学院大学陸上部の原晋監督は、田中悠登選手に対して複数の実業団チームから声がかかっていたと明言されています。
そのことからも、田中悠登選手が「実業団に行く力を持っていながら、その道を選ばなかった」ことは明白です。
では、なぜ期待されていながらも、自ら陸上を辞める選択をされたのでしょうか。
その理由については、想像の域を出ませんが、以下のように考察してみました。
田中悠登が実業団に行かなかった理由①
田中悠登選手が実業団に行かなかった理由。
その一つは、「大学の4年間で、燃え尽きたから」ではないでしょうか。
田中悠登選手が、箱根駅伝に初出場したのは2年生の時。
8区を走り、区間5位という成績でした。
3年生では、残念ながら箱根路を走る10名には選ばれず。
そして、最終学年である4年生では主将という立場で9区を好走!
区間2位という成績で、最終ランナーである小河原陽琉(1年)選手に1位でタスキを渡しました。
同級生には、1年生の時から毎年箱根に出場し活躍し続けた太田蒼生選手や、「若の神」と呼ばれた若林宏樹選手などスター選手がいる中で、悔しい思いをしたこともあったのではないでしょうか。
しかし、最後には主将に選ばれ、その大きな任務も遂行。
やり切った感は、十分にあるのではないでしょうか。
田中悠登が実業団に行かなかった理由②
田中悠登選手が実業団に行かなかった理由。
その一つは、アナウンサーになるという夢を見つけたからではないでしょうか。
先ほどもご紹介したように、TBSの佐藤文康アナウンサーに声を掛けられたことがきっかけかもしれません。
しかし、アナウンサーになりたい!と思っても、なかなか簡単になれるものではないことは皆さんもご存じの通り。
そんな大きな夢を持ち、その夢を実現させた今、陸上への未練は全くないのではないでしょうか。
【青山大】田中悠登のプロフィール
田中悠登選手は、福井県出身。
高校時代は、スポーツ強豪校の「敦賀気比(つるがけひ)高校」の出身。
同じ福井県出身で、國學院大學の平林清澄選手とは、高校時代からのライバル同士なんです!
その平林清澄選手は、大学卒業後の進路として、実業団・ロジスティードに決まっています。
平林清澄選手としても、大学卒業後も田中悠登選手と切磋琢磨したかったのではないかな、なんて想像します。
氏名 | 田中悠登 |
生年月日 | 2002年8月1日 |
身長 | 180cm |
体重 | 61kg |
学歴 | ■越前市武生第二中学校 ■敦賀気比高等学校 ■青山学院大学(2025.3月卒業予定) |
國學院大學の平林清澄選手の進路先については、こちらをご覧ください↓↓↓

まとめ
今回の記事では、青山学院大学の田中悠登選手の大学卒業後の進路について、ご紹介しました。
田中悠登選手は、陸上強豪大学の筆頭である青山学院大学で活躍されていますが、地元のテレビ局である福井放送に内定しています。
田中悠登選手の陸上の実力から考えると、そのまま実業団でも絶対に活躍できると思いますが、自分の夢を叶えた田中悠登選手。
これからも、テレビの中で田中悠登選手に会えることを楽しみにしたいと思います!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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