2023年8月25日から開催されたバスケットボールワールドカップ2023で、活躍された選手の一人が、馬場雄大(ばば ゆうだい)選手です。
2024年7月に開催されるパリでも、出場が期待されています。
馬場雄大選手は、日本のトップレベルのバスケ選手ですが、彼の学歴についてはあまり知られていません。
そこで、この記事では、馬場雄大選手の学歴と、富山第一高校時代から筑波大学時代の活躍ぶりをご紹介!
大学在学中にプロデビューされた経緯についても調査しました!
■馬場雄大の学歴まとめ
■馬場雄大の高校時代
■馬場雄大の大学時代
■馬場雄大は大学在学中にプロデビュー
馬場雄大の学歴まとめ
馬場雄大選手は、1995年11月7日生まれ。
2024年の誕生日で、29歳になります。
小学校入学は2002年4月という計算になりますね。
馬場雄大選手が通っていた学校名は以下の通りです。
小学校 | 埼玉県越谷市立越ヶ谷小学校 (2年生の時に富山県に転居/ 富山の小学校は不明) |
中学校 | 富山県富山市立奥田中学校 |
高校 | 私立富山第一高等学校 |
大学 | 国立筑波大学 |
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馬場雄大の高校時代
馬場雄大選手が通っていたのは、富山県富山市にある私立富山第一高等学校です。
2011年4月に入学し、2014年3月に卒業されています。
高校のバスケ部監督はお父さん
馬場雄大選手が、富山第一高校を選んだ理由は?
それは、馬場雄大選手の父親がこの高校のバスケット部監督だったから!
馬場雄大選手の父・馬場敏春(ばば としはる)さんは、元バスケットボール選手。
現役時代は、三井生命のバスケ部で活躍されていました。
日本代表にも選ばれたことがある方です。
最初は、父親が監督をしている高校への進学には積極的になれなかったようです。
確かに、自分の父親が学校に入学するのは、子供からしたらちょっと嫌ですよね(笑)
県外の高校に行こうと思っていましたが、2年のジュニアオールスターが終わった時に父親から
「富山第一高校で(強化に)力を入れていこうと思う」
「ジュニアオールスターのメンバーを集めるから、お前がその先頭に立ってやってくれ」
と言われて。
少し悩んだ末、富山第一で父の指導を受けようと決断しました。
悩んだ末に決意した富山第一高等学校への入学。
実際に、父親が監督を務める中での部活動は、どうだったのでしょうか。
――父親の下ではやりづらさも感じたと思います。
馬場 試合に負けたり、自分のミスで勝敗を左右してしまったりしたら、家でオフになることができませんでした。練習中、チームの流れが悪い時は一番怒られていましたが、タフになったと思いますし、今に活きていると感じます。
「家でもオフになれない」のはキツそうですね。
でも、その時に鍛えられたことで「今に活きている」と言えるのはスゴイです!
2019年2月3日に北日本放送(KNB)で放送された「希望〜富山とバスケの物語〜」を #Bリーグ 公式YouTubeチャンネルに公開しました‼️
📸A東京#6 馬場雄大選手と父・敏春さん
視聴はこちら👇https://t.co/XV7scWzW9f pic.twitter.com/WOBVQXhs92
— B.LEAGUE(Bリーグ) (@B_LEAGUE) February 19, 2019
※残念ながら、↑こちらのTwitterに添付されているYouTubeの動画は2024年7月現在は試聴できない状態です。
馬場雄大が入部して強くなった?
では、馬場雄大選手が、父親でもあり監督でもある馬場敏春さん率いる富山第一高校に入学して、チームは強くなったのでしょうか?
高校バスケでは、インターハイ(高校総体)、国体、ウインターカップというのが主要3大大会。
馬場雄大選手が入学する前年の2010年は、富山第一高校は、その主要3大大会には出場が出来ませんでした。
富山県内では、決して弱いチームではありませんが、県の代表として全国大会にいくことは出来なかったのです。
しかし!
馬場雄大選手が入学すると、徐々に実力をつけ、2年生の時には富山県代表として念願のインターハイとウィンターカップ出場を果たしました!
3年生の時にも、同じくインターハイとウィンターカップに出場!
もちろん、バスケットボールは団体競技です。
馬場雄大選手ひとりの活躍によって得た結果ではありません。
しかし、馬場雄大選手が入学・入部したことで、部活全体の雰囲気に変化が起こり、レベルアップにつながっていったのは間違いなさそうです。
ウィンターカップは初戦敗退
先ほどご紹介した通り、高校バスケでは、インターハイ(高校総体)、国体、ウインターカップというのが主要3大大会。
その中でも、一番注目度が高く、思い入れが強いのはウィンターカップでしょう。
馬場雄大選手が高校に在籍していた3年間のうち、ウィンターカップ本選に出場できたのは、2年生と3年生の2回でした。
しかし、いずれも初戦敗退という結果でした。
2年生で臨んだウィンターカップでは、いきなり初戦で強豪校・能代工業高校と対戦。
馬場雄大選手個人は、29得点12リバウンドという活躍を見せましたが、58対111という大差で敗戦。
しかも、馬場雄大選手は試合途中で足をねん挫して退場するアクシデント!
県内の予選大会の相手とは全く違う強豪校と対戦することで、自分たちとの圧倒的な実力の差を実感。
そして3年生で、2回目のウィンターカップへ。
前年が広島での開催だったのに対し、この年のウィンターカップは東京で開催されました。
そのことも影響し、再び初戦で敗退してしまいました。
東京体育館はコートが4面あって、観客の数もすごいじゃないですか。
あのような大舞台でプレーすることはなかったので、圧倒され、出鼻をくじかれてしまい、試合にも影響したと思います。
当時は緊張するタイプでもあったので。
ちなみに、インターハイ(高校総体)については、2年生の時には2回戦で敗退。
3年生の時には初戦で敗退という結果でした。
富山代表にはなっても、全国大会では結果を残せませんでした。
この後ご紹介しますが、馬場雄大選手個人は、U-16やU-18の日本代表に選ばれています。
その日本代表でチームメイトだった選手たちが、ウィンターカップという華やかな舞台で活躍し、勝ち進んでいくのを目の当たりにして、とても悔しかったといいます。
いい思い出よりも悔しい思い出しかないですね。
ただ、あの負けがあったからこそ(筑波)大学で取り返そうと思いましたし、実際に1年目から日本一を取ることができました。
ウインターカップの悔しさがなければ、あそこまで奮起することはなかったと思います。
高校3年間ではバスケに向き合う姿勢を学ぶことができました。
高校時代の悔しかった経験をプラスに変換させていくことで、馬場雄大選手はドンドン進化していったのですね!
U-16&U-18日本代表として活躍
馬場雄大選手は、高校1年生の時にU-16日本代表に選出されています。
そして、U-16アジア選手権で3位という結果に貢献されました。
さらに、高校2年生では飛び級でU-18日本代表に選ばれ、U-18アジア選手権4位の結果を残しました。
馬場雄大選手が、高校時代に大きく成長しレベルアップされたことがわかりますね。
高校2年生のU-18アジア選手権では、3位になれば世界選手権出場の権利が得られるという状況で、イランと対戦。
しかし、4点差で惜しくも敗戦。
この時、同じチームメイトとして一緒に戦ったのが、当時キャプテンを務めいていた渡邊雄太選手でした。
※左から、馬場雄大選手、八村塁選手、渡邊雄太選手のスリーショット↓↓↓
NBA ALLSTAR 2020の一環で行なわれたRisingStarsでの八村塁(@rui_8mura )選手/馬場雄大選手(@babaseyo )/渡邊雄太選手(@wacchi1013 )の貴重な3ショット写真✨✨☺️#NBA#NBAallstar#NBARisingStars #NBAAllStar2020 #GLeague
©Chris Marion/NBA pic.twitter.com/XNBOF9scP6
— TIPOFFバスケットボール (@tipoff_bball) February 17, 2020
学業も優秀!推薦で筑波大学へ
馬場雄大選手は、子供の頃から、バスケットだけでなく勉強にもしっかり取り組んでいました。
まさに、文武両道に優れていたと言えるでしょう。
高校2年と3年生の時は、学業成績がクラスでトップ!
高校卒業後の進路については、かなり悩んだ時期があったようですが、普段から学校の定期テストで高い成績を維持していたことで、大学の推薦枠を獲得!!!
しかも、国立難関校である筑波大学の推薦!!!
筑波大学の推薦枠が取れるなんて、相当成績が良かったのでしょうね。
もちろん、いわゆる「スポーツ推薦」なので、高校時代のバスケの実績が合否判定に考慮されますが、それだけでは筑波大学クラスの推薦枠は取れません。
志望校が定まってからは、推薦入試の課題である小論文の対策に専念し、92点という素晴らしい点数で見事に合格されました!
馬場雄大の大学時代
馬場雄大選手は、2014年4月、茨城県つくば市にある国立筑波大学体育専門学群に進学されました。
馬場雄大選手は高校卒業後の進路について、かなり悩んだ時期がありました。
高校卒業後、アメリカに行くか、日本の大学でプレーするか。
しかし、最終的には筑波大学に進学し、日本でバスケットを続けるという決断をされました。
体育の教員免許取得!
馬場雄大選手が筑波大学進学を決めた理由のひとつは、教員免許の取得をしたいと考えたからです。
馬場雄大選手は、バスケットボールだけで人生を送ることはできないと考えていたので、現役を引退した後の人生を見据えてた末の決断でした。
馬場雄大選手が筑波大学で取得したのは、体育の教員免許。
筑波大学の体育専門学群は、その名の通り体育専門の学部として日本国内ではトップクラスの水準を誇ります。
将来、体育教師としてのキャリアをスタートさせる際に、筑波大学卒というのは評価が高いと考えたことも、筑波大学を志望した理由のようです。
1年生からレギュラーに大抜擢
馬場雄大選手が筑波大学に入学されたのは、2014年4月。
馬場雄大選手が入学当初から掲げていた目標は「4年後の大学日本一」、「天皇杯優勝」でした!
入学して早々の2014年5月~6月に行われた関東大学バスケットボール選手権大会では、レギュラーに抜擢されました。
結果は、準優勝!!!
筑波大学がこの大会の決勝に進出したのは、1989年以来、実に27年ぶりのことでした。
実は、前年の2013年度の筑波大学バスケ部の主な戦績は以下の通り。
■関東大学バスケットボールリーグ戦 5位
■全日本大学バスケットボール選手権大会 7位
上記の通り、表彰台にあと一歩で手の届く位置にいました。
それが、2014年度開始早々にいきなり準優勝!
馬場雄大選手も、その才能を存分に発揮し、チームの準優勝に大きく貢献しました。
打倒・東海大学!
2014年春の関東大学バスケットボール選手権大会決勝で戦った相手は、東海大学。
決勝戦のスコアは、67-82という大差をつけられての敗戦でした。
その後、2014年秋に行われた関東大学バスケットボールリーグ戦で、東海大学とは2度対戦。
9月17日には、72-79で敗戦。
さらに、10月18日にも、63-93で敗戦。
春の大会と合わせると、東海大学に3連敗!!!
では、東海大学に勝つためにはどうすればいいのか。
そのために必要なものは何か?
その問いに、2021年に行われたインタビューで馬場雄大選手は当時を振り返り、次のように語っています↓↓↓
「もちろん自分がマッチアップする相手の研究はしていましたが、何より足りていないのは経験だと思っていました。
大事なのはリーグ戦や練習試合でいかに負けて、負けて、そこから何を学ぶか。
学びを得るために、何事にも恐れずぶつかっていくようにしました」
そんな最大のライバル・東海大と、もう一度戦うチャンスが訪れます。
それは、2014年11月に行われた全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)の決勝。
その結果は?
筑波大学は最大のライバル・東海大学に勝利し、優勝を果たしました!!!
スコアは、67-57で逆転勝ち!
というわけで!
馬場雄大選手は入学当時に宣言していた「4年後の大学日本一」の目標を、大幅に前倒して1年生の11月に達成させました!
こちらの動画は、その決勝戦のもので1時間20分の長さがあります。
お時間がある時に再生速度をアップして是非ご覧ください!
なお、この試合で両チーム合わせて一番最初に得点を入れたのは馬場雄大選手です!!!
この決勝は、東海大学にとって3連覇がかかった試合でした。
そんな絶対王者と呼ばれていた最強チーム・東海大に、筑波大が勝って優勝を決めたということで、試合会場はもちろん、SNS上でもかなり盛り上がりを見せました。
インカレバスケ男子決勝
東海大対筑波大見てる
凄いいい試合— 横山桂子 (@fukkey_unico) November 30, 2014
@rk_basketball 今年、筑波すげーわヾ(゚▽゚*)
関東リーグも決勝いっとったしー!— しゅんすけ (@10_1024) November 30, 2014
大学バスケの大会の男子決勝見てた。筑波のみなさんかっこよかった!
— 黎 (@sak_Sachertorte) November 30, 2014
その後、筑波大学は馬場雄大選手が2年生(2015年度)、3年生(2016年度)についても、インカレで優勝!
インカレ3連覇を達成されました!
その他にも、馬場雄大選手が3年生の時には、関東学生選手権優勝、リーグ戦優勝なども達成されています。
数年前の筑波大学から、かなりレベルアップしているのがわかりますね!
その戦績の立役者のひとりが、馬場雄大選手であることは間違いないでしょう。
在学中に日本代表へ
馬場雄大選手は、筑波大学在学中に日本代表としても活躍されました。
2015年(大学2年生)の時には、学生日本代表としてユニバーシアードに出場。
この時の日本チームは、24チーム中21位という成績でした。
学生のオリンピックとも呼ばれます。
また、同年には、日本代表(いわゆるA代表)候補にも選ばれました。
その後、2017年2月(大学3年)には、東アジアバスケットボール選手権大会の日本代表に選出!
東アジアバスケットボール選手権大会は2017年6月(大学4年)に開催され、馬場雄大選手はとうとうA代表としてデビューを果たしました!
この大会で、日本チームは韓国や中国などのアジアの強豪国を破り、6チーム中3位の成績でした。
Top Play Today 👀 #馬場雄大 ポスタライズダンク! 🏀🔨💪💥🔥😎 2017/6/4 東アジアバスケットボール選手権大会 Game2 日本🇯🇵 vs. マカオ🇲🇴 #AkatsukiFive pic.twitter.com/RBB81iXsz1
— 名寄地区バスケットボール協会HP管理人🦊 (@nayorobb) June 4, 2017
この結果により、日本チームはFIBA ASIAカップ2017(2017年8月開催)への出場権を獲得。
馬場雄大選手は、FIBA ASIAカップ2017にも日本代表として出場されました。
🇯🇵いよいよ明日開幕🇯🇵
#6 馬場選手と#24 田中選手が出場する「FIBA ASIAカップ2017」が開幕します‼️
決戦の地レバノンへ日本から熱い声援を送りましょう📣#アルバルク東京 #AkatsukiFive
大会詳細は→ https://t.co/dQ0mknmE3u pic.twitter.com/sL5vO3PtHV— アルバルク東京【ALVARKTOKYO】 (@ALVARK_TOKYO) August 7, 2017
FIBA ASIAカップ2017では、日本チームはグループリーグで2位通過。
最終成績は16チーム中9位で閉幕しました。
大学在学中にも、馬場雄大選手がどんどん進化され、活躍の場を広げていっているのがわかりますね。
馬場雄大選手は、日本のバスケットボール界の将来を担う有望な選手として注目を集めるようになっていきました。
ワークアウトに挑戦
馬場雄大選手は、大学3年生のシーズンオフ期間に、ワークアウトに挑戦されました。
馬場雄大選手は、A代表の候補合宿やユニバーシアード日本代表の際にお世話になっていたハヴィチェヴィッチコーチに、将来は海外でプレーしたいという夢と、ポイントガードに挑戦したいという希望を伝え、今後について相談しました。
すると、ハヴィチェヴィッチコーチは「個人スキルをもっと磨く必要がある」とアドバイス。
そこで、大学3年生の大学バスケのオフシーズンである1月11日~2月2日に、ハヴィチェヴィッチコーチに指導をしてもらいながら「ワークアウト」という形でスキルアップを図ることに挑戦されました。
大学で活躍し将来プロになることを目指している選手の中には、オフシーズン中に「特別指定選手」となってBリーグでプレーすることがあります。
16歳以上22歳以下の選手が、Bリーグの試合に出場できるシステム。
将来有望な現役高校生や大学生が、プロに混じってプレーする経験ができる。
ただし、プロ契約ではなくアマチュア契約で、参加期間中の報酬はありません。
チームに参加できる期間は、1シーズン3か月という規定があります。
それに対して、馬場雄大選手がチャレンジされた「ワークアウト」とは?
一般的に、ワークアウトとはメンタルやフィジカルを鍛えることを意味します。
バスケットボールのワークアウトでは、コーチやトレーナーにサポートしてもらいながら、集中して自身のウィークポイントを克服すべくトレーニングします。
参考になるような動画を見つけましたのでご紹介します。
馬場雄大は大学在学中にプロデビュー
馬場雄大選手は、大学4年生の春に大きな決断をしました。
2017年5月の関東大学バスケットボール選手権大会終了後に、筑波大学バスケ部を退部したのです。
退部の理由は「NBAで活躍するため」!!!
これは、どういうことでしょうか?
馬場雄大選手は、高校を卒業する際にも日本の大学への進学とアメリカ進出のどちらを選ぶか、悩んだ経験があります。
筑波大学に進学してからも、アメリカのNBAでプレーすることは、ずっと目指している夢であり目標でした。
ですから、筑波大学の4年目は、そのまま大学に籍を置きながら、日本のBリーグや日本代表で活躍をして、NBAから評価を得られるような実績を作ることを選んだのです。
馬場雄大選手は、退部するにあたり、部員の前でこのように話しています↓↓↓
「俺の夢はNBAやアメリカでプレーすること。そのためには1年でも早く力を身につけたい。
インカレ3連覇も達成したし、次のステージに進みたいと思っている」
馬場雄大選手は、大学4年生だった2017年6月19日に、Bリーグのチームのひとつであるアルバルク東京と2017-2018シーズンのプロ契約を結びました。
アルバルク東京というチームを選んだ理由のひとつは、ワークアウトでもお世話になったハヴィチェヴィッチ氏が、このシーズンからヘッドコーチに就任されたから。
それまでにも指導を受け、信頼しているハヴィチェヴィッチHC(ヘッドコーチ)のもと、プロバスケットボール選手としての第一歩を踏み出されました。
【選手契約基本合意のお知らせ】
この度、アルバルク東京では#6 馬場雄大選手とのB.LEAGUE2017-18シーズンの選手契約に合意しましたのでお知らせいたします。#アルバルク東京 #Bリーグ #馬場雄大詳しくはこちら→ https://t.co/aF2YLE2LX5 pic.twitter.com/hJlGnF6nrD
— アルバルク東京【ALVARKTOKYO】 (@ALVARK_TOKYO) June 29, 2017
馬場雄大選手は大学に在籍しながらプロへの道を歩み始めましたが、こちらでご紹介する河村勇輝選手は大学を中退してプロになる道を選ばれました。
こちらの記事も是非ご一読ください!
まとめ
今回の記事は、バスケットボール選手の馬場雄大選手をご紹介しました。
馬場選手は、文武両道で常に勉強も成績上位。
高校は、父が監督の富山第一高校へ進学し、世代別日本代表としても活躍されました。
大学は筑波大学へ。
大学では、3年間でインカレ3連覇などの結果を残し、4年生の春でバスケ部退部!
大学に在籍したまま、アルバルク東京に入団しプロバスケット選手としてデビューされました。
その後の活躍ぶりは、以下にまとめていますので、是非ご一読ください!
今回も読んでいただき、ありがとうございました。
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