2024年夏の甲子園に、広島県代表として出場したのは、野球の名門校のひとつ「広陵高校」です。
今回の記事では、広陵高校の高尾響(たかお ひびき)選手について、ご紹介します!
高尾響選手は、2024年4月に高校3年生になりましたので、今年の甲子園がが高校生活最後の夏となりました。
そんな高尾響選手は、高校入学後、たった2か月で「背番号1」を背負った不動のエース!
そんな高尾響選手がどのような家庭で育ったのか、気になりますよね?
高尾響選手の父親、母親はどんな方なのでしょうか。
また、高尾響選手は5人兄弟の末っ子との情報も!
高尾響選手の出身中学校や小学校についても、調査していきます!
この日、行われたドラフト会議で、高尾響選手は、残念ながら育成も含めて指名されませんでした。
とっても残念ですが、高校卒業後の進路に注目です!
■高尾響(広陵)の父母はどんな人?
■高尾響(広陵)は5人兄弟の末っ子!
■高尾響(広陵)の出身中学校はどこ?
■高尾響(広陵)の出身小学校はどこ?
■高尾響(広陵)のプロフィール
高尾響(広陵)の父母はどんな人?
まずは、高尾響選手のご両親(父母)について調査してみました!
高尾響選手の父親のお名前は、高尾大輔さんと判明。
そして、高尾響選手の母親の名前は、高尾美穂さんと判明しました。
さらに、高尾響選手のご両親がどのような方なのか、深掘りしてみます!
高尾響の父はこんな人!
高尾響選手の父親・高尾大輔さんについて、調査しました。
高尾大輔さんは、一般の方ということもあり、プライベートな情報はほとんど入手することが出来ませんでした。
しかし、高尾響選手の強みである「強心臓」を手に入れることができたのは、お父さんである大輔さんの教育方針の結果と言えそうです。
そのことがわかる家族内のエピソードを見つけました!
高尾響選手が高校1年生だった2022年の秋の広島大会後に、右足の疲労骨折という怪我をしてしまった時のこと。
強心臓のルーツは「家族」だ。
~中略~
右足を疲労骨折した昨秋には父・大輔さん(48)が言った。
「せっかく背番号をいただけたのだから、もしも投げられると言うのであれば、痛み止めを飲んででも投げればいいんじゃない?」。
怪我をしていても試合に出るというのは、決して良いこととは言えないことではあります。
しかし、何かに立ちむかう時に「逃げてはいけない」「言い訳をしない」ということを、お父さんは伝えたかったのかなと思います。
しかも!
監督や先輩、チームメイトに期待されて、託されたマウンド。
それならば、何としてでもその期待にこたえるべく、精一杯のことをしなさいという教えなのでしょうね。
厳しい中にも、本人の気持ちを尊重するような、お父さんの心遣いを感じます。
ご両親、とりわけ父親から、このような対応をされていたことで、高尾響選手の精神が鍛えられ、何事にも動じないような「強心臓」が作られたのかなと感じます。
高尾響の母はこんな人!
高尾響選手の母親・高尾美穂さんについて、調査しました。
高尾美穂さんは、一般の方ということもあり、プライベートな情報はほとんど入手することが出来ませんでした。
年齢については、2024年春の時点で49歳だということがわかっています。
この後、詳しくご紹介しますが、高尾響選手にはお兄さんが4人います!
つまり、高尾響選手のお母さんは、5人の男の子を出産し、育てた「肝っ玉母ちゃん」と言えます!
しかも、その5人の息子たちは、それほど年が離れていないようなのです!
長男・7歳、次男・6歳、三男・4歳、四男・2歳?、そして末っ子の響選手が生まれる、という感じでしょうか。
しかも、兄弟は全員、何かしらのスポーツをしていたとの情報もあります。
5人の息子たちの食事の用意、大量の洗濯物、買い物だけでもかなり大変ですよね!!!
想像でしかありませんが、高尾響選手のお母さんが、とっても元気で明るい方だったことは、きっと間違いないと思います!
高尾響は「強心臓」の持ち主!
高尾響選手が在籍している広陵高校は、広島県にある野球強豪校のひとつです。
過去には、春のセンバツで3回の優勝経験もあります!
広島県内だけでなく、全国から優秀な選手たちが集まって来るこの高校で、高尾響選手は入学後2か月の時から「背番号1」を任されています。
もちろん、その理由は、高尾響選手の投手としての実力でもありますが、もうひとつの大きな理由は、「肝っ玉の強さ」と「強心臓の持ち主」だから!
1年生の時から、相手が先輩であっても、まったくひるむことなく、淡々と強気のピッチングをしたといいます。
しかも!
1年生で「背番号1」を付けることになったことに対してどう思うかと聞かれても、
と、意に介さない様子だったそうですから、大物ですよね!!!
普通?の選手なら、嬉しいというよりも、ビビッてしまいそうです!
高尾響選手は、試合に勝っても負けても、ほとんど表情を変えることなく、ましてや涙を流すことはないとのこと。
そういったところからも、「強心臓ぶり」を感じます。
広陵高校の中井哲之監督は、
「ふてぶてしい昭和の男。
いまの時代にこんな度胸がある子がおるんかと驚いた」
と話す。
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■高尾響投手 / 広陵
まさに糸を引くような理想のストレート
今大会実績ナンバーワン右腕「先輩にも遠慮しない」
名将ほれこむ才覚と度胸
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監督も驚くレベルの、「何があってもたじろがない強心臓」を持っているのは、先ほどご紹介したようなご両親に育てられたから。
さらに、もうひとつの理由は、5人兄弟の末っ子として育ったからなのではと思います!
高尾響(広陵)は5人兄弟の末っ子!
高尾響選手は、5人兄弟の末っ子です!
4人のお兄さんたちに囲まれた生活は、高尾響選手を「強心臓」の育てた要因のひとつだと思います!
2024年現在、高尾家の5人兄弟のお名前と年齢は以下の通りです。
5人兄弟の末っ子だったなら、さぞや可愛がられたでしょうね!
と思ったのですが、どうやら違ったようです。
というのも、4人のお兄さんたちは、それぞれスポーツをしていて、「スポ根」的な雰囲気だったようなのです。
自分に厳しく、兄弟にも厳しく、といった感じでしょうか。
「先輩」「後輩」といった感覚が、兄弟間にもあったのかもしれませんね。
ですから、末っ子だからといって、決して「甘えん坊」ではなかったそうです。
ちなみに、4人のお兄さんたちが、何のスポーツをされていたのかは、情報が見つかりませんでした。
しかし、お一人くらいは、野球をしていたのではないでしょうか。
高尾響選手は、幼い頃から負けず嫌いだったそうで、それは、他の兄弟よりも顕著だったようです。
高尾響選手のお母さんは、以下のように証言しています↓↓↓
5人兄弟の末っ子で、負けず嫌いは幼少期から。
遊びのサッカーでも負ければ兄に“おかわり”を要求した。
母美穂さん(49)も
「一番下なんですが、一番気持ちが強い」
と証言する。
高尾響選手は、4人のお兄さんたちに、日々鍛えられていたのでしょうね。
高尾響選手は、ゲームでお兄さんたちに負けても、泣きながら勝つまで何度もチャレンジしていたそうです。
兄弟がいる人にとっては、よくある風景ですよね。
末っ子の響選手は、なかなかお兄さんたちには勝てなかったと思いますが、そんな中でも繰り返し戦いに挑んていたことが、結果的にメンタルを鍛えることになったのではないでしょうか。
とはいえ、やはり家族から愛されていた末っ子。
野球の練習を離れたところでは、先輩の皆さんに可愛がられるキャラクターだったようです。
幼い頃から、4人のお兄さんたちと過ごしてきたからこそ、年上の先輩との距離のつめ方も上手なのかも?
末っ子ちゃんは、いつでもどこでも「愛されキャラ」になりがちですよね。
高尾響(広陵)の出身中学校はどこ?
高尾響選手は、福岡県糟屋郡粕屋町(かすやぐんかすやまち)の出身です。
中学校は、粕屋町立粕谷東中学校に通っていました。
在籍していたのは、2019年4月~2022年3月です。
【粕屋町立粕谷東中学校】 | |
所在地 | 福岡県糟屋郡粕屋町江辻430 |
公式ホームページ | https://kasuyahigashi.jhschool.info/ |
高尾響選手は、「飯塚ライジングスターボーイズ」というチームで、野球をしていました。
飯塚ライジングスターボーイズのホームページを見てみると、とっても強いチームだということが分かります。
中学3年生の時には、中学クラブチームの日本一を決める「日本少年野球選手権大会/中学生の部」(通称「ボーイズ選手権」)にも出場されています。
高尾響選手のポジションは、ピッチャーですが、中学時代の最速記録は143km/h!
これは、中学生では、相当速い記録です!
中学生の平均的な投手の球速は以下の通り↓
■軟式野球:100~110km
■硬式野球:110~120km
高尾響(広陵)の出身小学校はどこ?
高尾響選手は、粕屋町立粕屋中央小学校に通っていました。
在籍していたのは、2013年4月~2019年3月までです。
【粕屋町立粕屋中央小学校】 | |
所在地 | 福岡県糟屋郡粕屋町若宮2丁目2−1 |
公式ホームページ | https://kasuyattyu.jimdofree.com/ |
高尾響選手が通っていた粕屋中央小学校と、粕屋町立粕谷東中学校の距離を地図上で確認していたところ、徒歩で15分程度しか離れていないことがわかりました。
高尾響選手のご実家は、今でもこのあたりにあるのかもしれませんね。
高尾響選手は、小学校時代に野球を始めました。
小学1年の時に、「土井ジャガーズ」に入団。
小学6年生の時に、福岡ソフトバンクジュニアのセレクションを受けました。
しかし!
何と、惜しくも不合格!
これは、かなりショックだったでしょうね。
しかし、これが転機になります!
この時の悔しい想いから、ますます熱心に野球に向き合うようになったそうです。
幼い頃から、とにかく負けず嫌いだった高尾響選手。
結果的に、セレクション不合格という辛い経験も、高尾響選手のメンタルを強化するのに役立ったのでしょうね!
高尾響(広陵)のプロフィール
広陵高校入学後、すぐに「背番号1」を背負った高尾響選手。
高校1年生からずっと、名門高校のエースとして君臨してきました。
そんな高尾響選手の名前が全国レベルで有名になったのは、2024年春のセンバツの時かもしれませせん。
2024年3月27日におこなわれたセンバツ高校野球の試合で、青森山田高校と対戦した時のことです。
高尾響選手が投げたボールが、青森山田高校の対馬陸翔選手の木製バットを折ってしまったのです!
高校生の投球で、木製バットが折れてしまうのは、なかなかレアなことです。
それだけ、高尾響選手の投げたボールの勢いがスゴイ!ということで、大変話題になりました。
氏名 | 高尾 響 (たかお ひびき) |
生年月日 | 2006年5月22日 |
出身地 | 福岡県糟屋郡粕屋町 (かすやぐんかすやまち) |
身長 | 172cm |
体重 | 73kg |
利き手 | 右投げ/右打ち |
球速 | 最速152km/h 平均135km/h |
可能な球種 | スライダー カーブ チェンジアップ |
まとめ
今回の記事では、広島県にある野球の強豪校・広陵高校のエース、高尾響選手について、ご紹介しました。
高尾響選手のお父さん、お母さんは、高尾響選手を厳しくも愛情たっぷりで育ててきました。
そして、高尾響選手の4人のお兄さんたちも、高尾響選手が末っ子だからといってただ甘やかすのではなく、スポーツ一家らしい厳しさをもって対応してこられました。
そんな環境のおかげで、高尾響選手は「強心臓の持ち主」と呼ばれるほど、何があっても動じない強いメンタルを手に入れたようです。
高尾響選手は、小学校1年生で野球を始め、中学では学校の野球部ではなく、クラブチームでプレーしてきました。
高尾響選手は、セレクションに不合格になるなど、辛い経験もされましたが、そのようなこともすべてプラスに変えていく力がある方ですね。
2025年3月には、高校を卒業されます。
高校卒業後の進路についても興味深いですね!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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