松山恭助(まつやま きょうすけ)選手は、2024年パリオリンピックのフェンシング代表選手です。
2021年の東京オリンピックの時から、フェンシング男子フルーレ団体の主将をつとめています。
東京オリンピックでは、男子フルーレ団体で4位という好成績を残している松山恭助選手。
学生時代はいったいどんな学生だったのでしょうか。
今回の記事では、松山恭助選手の高校時代、中学時代、大学時代について調べました!
また大学での同級性だった加納虹輝(かのう こうき)選手とのエピソードについてもお伝えしますね。
■松山恭助の高校時代
■松山恭助の中学時代
■松山恭助は早稲田大学出身
■松山恭助と加納虹輝は早稲田大学の同級生
松山恭助の高校時代
松山恭助選手は2012年から2015年まで、東亜学園高等学校に在籍していました。
東亜学園高等学校は、フェンシング強豪校として有名な学校です。
【東亜学園高等学校】 | |
所在地 | 東京都中野区上高田5丁目44−3 |
公式ホームページ | https://toagakuen.ac.jp/ |
松山恭助選手は、高校時代のフェンシング部でのエピソードとして、夏期合宿の過酷さを語っています。
朝5時に起床し、5時半から3~5km走。
それから15分程度の筋力トレーニングをして朝食を摂るが、お茶碗3杯以上は必須。
その後、9時から12時までフットワークで脚を動かすのもやっとという疲労を抱えながら、昼食は牛丼や中華丼など丼ぶりメニューにしっかり主菜や副菜、汁物もつくボリュームメニューを食す。
午後はフェンシングの実戦メニュー中心に3~4時間汗を流し、夕食もしっかり食べて20時から22時までは夜間練習。
ヘトヘトに疲れ果てて就寝し、また翌朝5時に起床、というハードメニューが1週間続くのだが、その合宿でも「誰よりも追い込んだ」と松山は言う。
読むだけで、どれだけ過酷な合宿だったのかが想像できますね。
でも、最後に「誰よりも追い込んだ」と言っているところが、さすがですね。
ストイックな性格を表しています。
「これだけやったんだから、結果はついてくる」と思えるような日々を送っていたのでしょうね。
この合宿が、松山恭助選手をフェンシングの強豪選手への成長を手助けしたと言っても過言ではないでしょう。
というのも、松山恭助は高校時代にインターハイの男子フルーレで3連覇しているんです!
それだけではなく、2012年4月(高校1年生)にモスクワで開催された世界ジュニア・カデ・フェンシング選手権大会で個人優勝もしています。
ジュニアという年齢制限のある試合ですが、世界1位です!!!
この頃から松山恭助選手はフェンシング界では「ポスト太田雄貴(おおた ゆうき)」と呼ばれていました。
日本のフェンシング界のレジェンド。
2008年北京五輪にて日本初のフェンシング銀メダリスト。
東京五輪2020では、誘致活動でも活躍。
3連覇がかかった高校3年生の時のインターハイ前は、プレッシャーがすごく、自信をつけるために「とにかく練習して自分を追い込んでいた」と語っています。
プレッシャーや周囲の期待に押しつぶされることなく3年間優勝し続けた松山恭助選手、その信念はとてもかっこいいですね!
松山恭助の中学時代
松山恭助選手の出身中学校は、東京都台東区にある、台東区立駒形(こまがた)中学校です。
松山恭助選手は、2009年から2012年までこの中学校に在籍していました。
松山恭助選手は東京都台東区西浅草出身なので、自宅から学校までは徒歩10~15分ほどで通える距離だったようです。
松山恭助選手の中学時代は、フェンシングで無双状態が続いていました。
その強さは日本だけにとどまらず、世界大会にも出場しています。
中学1年生だった2009年には、フランスのマラソンフルーレ大会で優勝しました。
そのほか国内の大会でも優秀な成績を収めており、まさに負けなしの状態だったようですね。
松山恭助は早稲田大学出身
松山恭助選手は、高校卒業後、早稲田大学のスポーツ学科に進学しました。
大学在籍は、2015年から2019年まででした。
早稲田大学といえば慶應義塾大学と並ぶ、日本最難関の私立大学です。
早稲田大学には、多種多様な学部があり、全学部合わせて約40,000人の学生が在籍しています。
大学2年生で日本一に!
松山恭助選手は、2016年大学2年の時に、全日本選手権で初優勝しています。
「全日本選手権」は、その名の通り、日本国内で1位を決める大会ですから、学生だけでなく社会人選手も出場する年齢制限のない大会です。
しかし、中高生までは無双状態だった松山恭助選手でも、大学進学とともに勝つことが難しくなってきました。
2017年21歳の時の世界選手権では、1歳年下の西藤俊哉(にしふじ としや)選手が銀メダルを獲得。
シニアの個人戦の難しさと、負けたことでのジェラシーを感じます。
ライバル出現です!!!
大学時代の後半は、なかなか思うような結果が出せない日々が続きました。
今まで特別なライバルもいない中、夢想状態で常勝してきた選手だからこそ、一回の敗戦の経験で自分の限界を感じたり、競技から足が遠のいてしまいそうですよね。
実際に、「負けた後の対処法がわからなかった」という言葉を残しています。
しかしその経験さえも自分の成長に変えてしまうのが、松山恭助選手のすごい所なんです!
結果が出せない時期でも、その経験をきっかけに、自分自身のメンタリティに向き合うようになり、冷静に自分を見つめる事が出来るようになりました。
大学時代に苦悩と挫折を味わった事で、自分自身と向き合うことができた松山恭助選手。
この時期の頑張りが、大学卒業してからのフェンシング人生をより良いものにしてくれているようです!
大学卒業からパリ五輪まで
先ほどご紹介したように、松山恭助選手は、2016年/大学2年生で全日本選手権を制し初優勝。
しかし、その後は、この大会において、なかなか結果を出すことが出来ず、2020年になってようやく2回目の優勝を果たすことが出来ました。
ここで、ちょっと安心されたことでしょうね。
本来の調子が戻ってきたところで、東京オリンピック2020出場決定!
前代未聞の1年延期を経て、2021年に東京オリンピックが開催され、男子フルーレ団体4位という結果を残しました。
さらに、2022年10月ドイツワールドカップでは初めて個人で優勝を飾っています。
そして迎える、パリオリンピック2024!
自身2回目のオリンピックでは、前回の東京オリンピックよりも良い結果が残せるといいですね。
松山恭助と加納虹輝は早稲田大学の同級生
松山恭助選手が早稲田大学在籍中、同級生だったのが加納虹輝選手です。
2人とも、2015年4月から2019年3月まで、早稲田大学に在籍していました。
ふたりともフェンシング部に所属しながら一緒にトレーニングを重ね、切磋琢磨した学生生活だった様です。
フェンシング部OBとして、松山恭助選手と加納選手2人そろって早稲田大学を訪問した時の記事がこちらです。
早稲田大学フェンシング部OB
東京五輪2020フェンシング
金メダル・加納虹輝選手と4位・松山恭助選手
田中愛治総長と懇談加納選手@kanokoki1219「パリオリンピックでも金メダル」
松山選手@kyosuke_1219「パリへの挑戦」#tokyo2020 #早稲田スポーツ #早大 https://t.co/uVTUoUQjJI— 早稲田大学競技スポーツセンター (@wasedau_sports) November 30, 2021
早稲田大学卒業後、松山恭助選手は、JTBへ入社されます。
加納虹輝選手は、JALへ。
所属は別々になりましたが、日本代表チームでは相変わらずチームメイト。
今回のパリオリンピックという舞台でも、共闘する2人。
お互いの活躍が刺激になってよい結果になること間違いなしですね。
まとめ
今回の記事では、フェンシング日本代表の松山恭助選手の学生時代について調べました。
高校時代は東亜学園高等学校で、インターハイ3連覇し無双状態でした。
早稲田大学時代には、それまでの松山恭助選手とは一変、勝てない時期が続きました。
しかし、同級生の加納虹輝選手と切磋琢磨しながら、メンタル面の成長も行った様ですね。
フェンシング発祥の国フランスで開催される2024年オリンピック。
得意の「ジャンピング振り込み」での活躍を楽しみにしています!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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