大分明豊高校の校歌はなぜ南こうせつ?作曲の経緯や関係を調査!

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大分県代表として、甲子園に出場することも多い明豊(めいほう)高校は、別府市にある私立中高一貫校です。

実は、この明豊高校の校歌が注目を集めています!

この校歌は、シンガーソングライターの南こうせつさんが作曲されました。

では、なぜ、南こうせつさんが明豊高校の校歌を作ることになったのでしょうか。

 

そのあたりの経緯や、学校と南こうせつさんとの関係、そしてこの校歌の評判について調査してみました。

▽この記事でわかること▽
明豊高校の校歌を作ったのは南こうせつ夫妻!
■明豊高校の校歌を南こうせつが作ったのはなぜ?
■明豊高校の校歌の評判
■南こうせつのプロフィール

明豊高校の校歌を作ったのは南こうせつ夫妻!

大分県別府市にある私立明豊高校の校歌が出来たのは、この学校が創立された時。

この学校は「別府大学付属高等学校」「明星中学・高等学校」という2つの私立学校が合併して出来た学校で、創立は1999年ですから、まだまだ新しい学校ですね。

この新しい学校である明豊高校の校歌を作ったのが、シンガーソングライターの南こうせつさんです。

明豊高校は中高一貫校ですから、正確に言うと、明豊高校の校歌であると同時に、明豊中学の校歌でもあります。

南こうせつさんは、この校歌の作曲を担当されています。

それならば、歌詞は誰が作られたのでしょうか。

 

調べてみると、作詞は「南 育代」とのクレジットが。

この「南 育代」さんは、南こうせつさんの奥様です。

南こうせつさんの奥様である南育代さんは、クラッシックの音楽家ですが、エッセーストとしても活躍されています。

校歌のタイトルは「明日への旅」です。

★学校名について★
「明豊」という名前の由来は?
明豊の「明」は、「明星高校」から。
では「豊」は?

その答えは「別府大学付属高等学校」が元々は「豊州女学校」という女子高だったことから。
明豊の「豊」は、「豊州」からでした。

明豊高校校歌「明日への旅」は3番まであります。

フルで聞いてみたい方は、こちらで聞けますよ!

 

明豊高校の校歌を南こうせつが作ったのはなぜ?

それでは、明豊高校の校歌を南こうせつさんが作ることになったのはなぜなのでしょうか。

その経緯と、明豊高校と南こうせつさんとの関係について、見てきます。

南こうせつは大分出身で現在は大分在住!

明豊高校の校歌を南こうせつさんが作られたのは、南こうせつさんが大分出身で、現在は大分県杵築市に住んでいることが、背景にあります。

南こうせつさんは、大学入学を機に大分から上京され、シンガーソングライターとしてデビュー。

音楽活動を行いながら、長らく東京で生活されていたと思われますが、いつの頃からか故郷大分にご家族で移住され、現在は杵築市にお住まいのようです。

 

大分に戻られた時期を調べてみましたが、正確な情報を見つけることが出来ませんでした。

 

しかし、この後ご紹介しますが、息子さんが高校時代を大分で過ごされていることは確実なので、少なくても30年近く前には大分で生活をされていたのかもしれません。

※南こうせつさんが結婚されたのは、1973年のこと。

息子さんの生年月日のついてはわかりません。

しかし、息子さんが高校入学された時期を、結婚されてから約20年前後(1990~1995年頃?)と仮定。

そう考えると、すでに大分での生活は約30年ほどになるのでは?と考えました。

しかし、息子さんは、高校に入学するよりも、もっと幼い頃から大分で育っているかもしれませんね。

 

南こうせつと明豊高校との深い縁

南こうせつさんと明豊高校の間には、どうやら深い縁があるようです。

1999年に「明豊中学校・明豊高等学校」として新たに学校がスタートする際に、当時の別府大学理事長の西村駿一氏からの依頼で、南こうせつさんが校歌を担当することになりました。

南こうせつさんは2001年に毎日新聞に掲載されたエッセーで

「(明豊は)別府大付属高校と明星高校が合併してできた学校です。

(当時の)別府大理事長の西村駿一先生とは、もう長いお付き合いです。

大分に移った時、妻がクラシック音楽をやっていた関係で授業を頼まれ、非常勤講師として教え、同じころ、長男も高校に入学しました。

そんなことがあって、新しい高校の校歌作りを依頼されたんです」

と説明している。

引用元:毎日新聞

当時の別府大学の理事長先生とお知り合いだったのですね!

奥様である育代さんが、クラッシックの音楽家として、別府大学で非常勤講師をされていたことがあったとのこと。

別府大学にはどのような学部・学科があるのか大学のホームページで調べてみると、

【国際言語・文化学科】

  • 日本語・日本文学コース
  • 英語・英米文学コース
  • 芸術表現コース
  • 史学・文化財学科
  • 世界史コース
  • 日本史・アーカイブズコース
  • 考古学・文化財科学コース

このような学科やコースがあり、育代さんは「芸術表現コース」で教えていたのかもしれませんね。

さらに、息子さんが高校(合併前の別府大学付属高等学校ではないかと思われます)に通われていたとのこと。

息子さんが、別府大学付属高等学校に通われていたならば、南こうせつさんにとっては保護者としても、この学校に思い入れがあったのでしょう。

このように、南こうせつさんと明豊高校(別府大学・別府大学付属高校)とは、色々な縁があったことが分かりました。

2つの学校が合併して、心機一転、新しい校歌を作ろう!という話が持ち上がった時に、南こうせつさんご夫妻に白羽の矢が立ったのにも納得です!

明豊高校の校歌の評判

明豊の校歌「明日への旅」は、シンガーソングライターの南こうせつさんが作曲し、奥様の育代さんが作詞されました。

この校歌の特徴をまとめてみると、以下の通り!

★学校名が一切入らない!

★ポップス調の爽やかなメロディー

★昔風の言いまわしや、古い校歌に使われがちな文言が含まれず、現代的な歌詞

 甲子園の夏空にこの曲が流れると、ネット上では「今風ですね」「素敵な歌謡曲」「カラオケで歌いたくなる」など、絶賛の声が相次いでいる。

引用元:スポーツ報知

Twitter上でも、この曲が南こうせつ作と知って驚いたという声や「この曲好き!!!」という声が多く寄せられています。

その他にも、この校歌が好きで、明豊高校野球部のファンになったというような声もありました。

この校歌が、明豊高校を有名にすることに一役買っていることは、間違いなさそうですね。

南こうせつのプロフィール

南こうせつさんと聞いて、すぐにいくつかの曲が思い浮かぶのは、もしかしたら50代以上の皆様かもしれませんね。

ということで、若い皆さんにも、南こうせつさんのことをちょこっと知っていただきたいと思いまして、簡単にプロフィールをご紹介させていただきます!

本名 南 高節(こうせつ)
愛称 おいちゃん
生年月日 1949年2月13日
年齢 73歳(2022年8月現在)
出身地 大分県大分市
(旧:大分郡竹中村)
実家 曹洞宗勝光寺
現在は兄が住職
大学 明治学院大学中退
活動期間 1970年~
所属していたグループ 「かぐや姫」
メンバーは、南こうせつ・伊勢正三・山田パンダ
※1975年かぐや姫解散後はソロ活動
代表曲 「神田川」(かぐや姫)
「夢一夜」
「愛する人へ」
「さよならの街」
「妹」
出演ドラマ TBSドラマ「東中学3年5組」
教師役で主演

まとめ

数年前から、高校野球ファンの間で多くの注目を集めている、明豊高校の校歌。

明豊高校は、2つの学校が合併して出来た、まだ新しい学校で、学校が創立された1999年に校歌も誕生しています。

その校歌を作ったのが、南こうせつさんと奥様の南育代さん。

なぜ南こうせつさん夫婦が、明豊高校の校歌を作ることになったのか、その経緯を調べてみました。

南こうせつさんが、大分のご出身で現在も大分県内に住んでいることに加え、奥さんである育代さんが別府大学で非常勤講師をされていたり、息子さんが明豊高校の前身の別府大学付属高校の出身(仮説)など、明豊高校と深い関係・深い縁があることがわかりました。

そして、この校歌の評判について調査してみました。

多くの皆さんが、この校歌を高評価されていることがわかりましたね!

1999年に2つの学校が統合されて生まれ変わり、新しい歴史を作りだした明豊高校。

その明豊高校が有名になり、人気高校になることに、この校歌が一役買っていることに間違いなさそうです。

これからも、明豊高校野球部の皆さんが活躍され、甲子園にこの校歌が何度も流れるといいですね!

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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