愛工大名電高校出身の岩瀬法樹(いわせ のりき)選手は、2022年夏の高校野球で、もっとも注目された選手の一人です。
愛工大名電高校を卒業した後、2023年4月に愛知大学へ進学されました。
そんな岩瀬法樹選手の小学校・中学校時代についてご紹介します!
また、元プロ野球選手で岩瀬法樹選手の父親である、岩瀬仁紀(ひとき)さんについても調査してみました!
■岩瀬法樹の小学校時代
■岩瀬法樹の中学校時代
■岩瀬法樹の父・岩瀬仁紀は元プロ野球選手!
■岩瀬法樹のプロフィール
岩瀬法樹の小学校時代
岩瀬法樹選手が通っていた小学校は、名古屋市立田代小学校です。
そして、小学校時代には、TMジュニアという少年野球チームでプレーしていました。
残念ながら、小学生時代の具体的な戦績については、情報を見つけることが出来ませんでした。
岩瀬法樹選手が野球を始めたのは、9歳の頃。
決して早いとは言えない年齢でのスタートだったようですね。
友達に誘われたのがきっかけのようで、父親である元プロ野球選手の岩瀬仁紀さんから勧められたわけではないようです。
父親としては「自分からやりたいと言い出すまでは・・・」と見守っていらっしゃったのかもしれませんね。
また、岩瀬法樹選手にはお兄さんがいます。
お兄さんについての情報は、ほぼ公開されていないのですが、2歳差くらいだそうです。
そのお兄さんも、野球をしていたとの情報があります。
ですから、岩瀬法樹選手はお兄さんの影響もあって野球を始めたとも考えられます。
父・岩瀬仁紀さんが現役を引退されたのは2018年。
当時、岩瀬法樹選手は中学2年生でした。
岩瀬法樹選手は、父親の活躍ぶりも、苦しんでいた様子も、しっかりとわかる年齢で、すぐそばで見ていたことになります。
9歳という年齢ながら、強い気持ちをもって、父と同じ野球への道を歩みだしたのではないかと思います。
岩瀬法樹の中学校時代
岩瀬法樹選手は、名古屋市立城山(しろやま)中学に通い、学校の部活で野球を続けます。
公立中学の野球部ですから、軟式野球ということになります。
多くの野球少年が、中学になる際に「軟式野球をやるか」「硬式野球をやるか」迷うところです。
最近の傾向としては、高校から硬式野球をするより、中学時代から硬式に慣れておく方が良いという考えが増えていると聞いたことがあります。
そのため、中学では学校の部活ではなく、硬式のクラブチームに入る選択をする子が多いらしいのですが、岩瀬法樹選手は、軟式野球を選んだのですね。
身体がまだ出来上がっていないうちに硬式野球をすると、故障が多くなるという話も聞いたことがあるので、岩瀬法樹選手は、そちらを重視して選択をされたのかもしれません。
そのあたりの決断については、本人の意思もあったでしょうが、父・仁紀さんの考えもあったのではと思います。
城山中学は、野球強豪校で、過去にも良い成績を残しています。
こちらは、岩瀬法樹選手が中学2年生の2019年2月に行われた愛知県中学選抜軟式交流大会の決勝戦についての投稿です。
中学3年生の先輩が引退されて、岩瀬法樹選手たち中学2年生が中心となった新チームでの快挙!
しかも、岩瀬法樹選手は、4番打者で、背番号はエースナンバーの1番!
第16回愛知県中学選抜軟式交流大会
2019年2月23日 決勝 刈谷球場
東山クラブ
0000000=0
0000001x=1
名古屋市立 城山中#城山中 初優勝
中日 岩瀬仁紀さん長男 先頭の四番・岩瀬法樹①君が左越え二塁打で出塁し一死2,3塁。挟殺プレーの隙を突き生還サヨナラ。8年前の再戦を再び制す pic.twitter.com/FPnU1uisok— HALUHI@高校野球・中学野球 (@Iambanekko) February 23, 2019
岩瀬法樹の父・岩瀬仁紀は元プロ野球選手!
岩瀬法樹選手の父親は、元プロ野球選手の岩瀬仁紀(ひとき)さんです。
1974年11月10日生まれで、2025年の誕生日で51歳になるという計算です。
1999年から2018年の20年間、ずっと地元/愛知県の中日ドラゴンズに在籍されました。
ドラゴンズ愛を貫かれた選手です!
セントラルリーグにおいて、最多登板数(なんと1002登板)記録保持者!
さらに通算セーブ数は407セーブで、これも最多セーブ数記録保持者でもあります。
アテネオリンピックにも出場され、銅メダリストでもあります!
先ほどもご紹介しましたが、2018年に現役を引退された時には、息子である法樹選手は中学2年生。
しっかりと、父親の活躍ぶりを記憶されている年齢ですよね。
それは、父親としては、とても嬉しいことなのではないかなと思います。
別の見方をすると、息子である法樹選手にとっては、簡単には追いつけない&追い抜けない父の背中が、いつも目の前にあることになります。
しかも、親子そろってピッチャー!
実際の法樹選手の投球フォームを見た父・岩瀬仁紀選手ファンがざわついています!!!
投球フォームまで遺伝するんだな。足上げる所からテイクバックまでがお父さんの生き写しだ https://t.co/XOyLuObhzP
— えんがわ (@engawanikan) August 7, 2022
2世ならではの悩みもあるかと思いますが、大学卒業後にプロになるという夢を実現させるために、精一杯活躍して欲しいなと思います!
現役を引退された後、野球解説者・野球評論家として活躍されている岩瀬仁紀さん。
2025年シーズン/中日ドラゴンズのホーム開幕戦始球式に登場されました↓↓↓
真ん中高めに109キロ 元中日の岩瀬仁紀さんがホーム開幕戦の始球式に#中日ドラゴンズ #ホーム開幕戦 #岩瀬仁紀
▼記事はこちらhttps://t.co/95tV6iRGMl— 中日新聞 (@chunichi_denhen) April 1, 2025
岩瀬法樹選手のプロフィール
岩瀬法樹選手のプロフィールをまとめました。
氏名 | 岩瀬法樹(いわせ のりき) |
生年月日 | 2004年4月6日生まれ |
年齢 | 2025年の誕生日で21歳 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
学歴 | 名古屋市立田代小学校 名古屋市立城山中学校 私立/愛工大名電高校 私立/愛知大学(2023年4月~) |
身長 | 167cm |
体重 | 72kg |
利き手 | 右投げ/右打ち |
ポジション | 投手 |
最高球速 | 142km/h |
球種 | ストレート カーブ スライダー チェンジアップ |
先ほども少し触れましたが、岩瀬法樹選手は次男。
2歳ほど年の離れたお兄さんがいることが分かっています。
お兄さんも野球をしていたそうですが、その活躍ぶりを報じるメディア情報を見つけることは出来ませんでした。
2025年現在は、すでに大学も卒業し、社会人として活躍されているのかもしれません。
高3の夏の甲子園でベスト8!
2022年、岩瀬法樹選手が高校3年生の夏の甲子園。
愛工大名電高校は、ベスト8という成績を残しました。
岩瀬法樹選手は、背番号10番をつけ、初戦・2回戦・3回戦まではリリーフ投手として、そして4回戦では先発として登板しました。
特に、2回戦・3回戦ではピンチの場面での継投でしたが結果を残し、ベスト8進出に大きく貢献したとして、注目を集めました。
【 #甲子園 】愛工大名電・岩瀬法樹が好リリーフ…父は元中日・仁紀氏 https://t.co/i7YWGas00D #野球 #baseball pic.twitter.com/TY1LqKQjb1
— スポーツ報知 (@SportsHochi) August 12, 2022
岩瀬法樹選手が高校へ入学したのは、2020年の春。
ちょうど、新型コロナウィルス感染症が猛威を振るうようになった年です。
夏の甲子園も中止となり、思うように試合や練習が出来ない日々を送りました。
翌2021年には、夏の甲子園出場をかけた愛知県大会で優勝!
甲子園出場を果たしますが、岩瀬法樹選手は残念ながらベンチ外。
チームも、1回戦で敗退しています。
父の母校である愛知大学へ進学!
岩瀬法樹選手は、高校を卒業後の進路として、父である岩瀬仁紀さんの母校である愛知大学を選びました!
愛知大学野球部は、1947年に発足。
すでに80年近い歴史があり、リーグ優勝回数は11回を数える名門チームです。
岩瀬法樹選手は、大学卒業後にプロ野球選手になることを目標に、日々練習を重ねています。
父/岩瀬仁紀さんは、愛知大学を卒業後、1997年春に社会人野球のNTT東海に入社し、活躍。
1998年秋のドラフトで、いわゆる「逆指名」の末、相思相愛だった地元/名古屋の中日ドラゴンズへと入団されました。
息子さんである岩瀬法樹選手が、この後、どのような道を進まれるのか、楽しみですね!
まとめ
今回は、野球の岩瀬法樹(いわせ のりき)選手にフォーカス!
小学生・中学生時代について、ご紹介しました。
また、父親である元プロ野球選手の岩瀬仁紀さんについてもご紹介しました。
目の前にそびえる「父」という山が高くそびえていて、なかなか追いつけない&追い越せないと感じるかもしれません。
しかし、父である岩瀬仁紀さんは、追い越して欲しい!と思って、応援されていることと思います。
2023年4月には、父の母校である愛知大学へ進学されました。
大学での活躍ぶりにも期待したいですね!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
コメント