荒井大輔(車いすテニス)は超イケメン!いつからテニス?学歴や経歴も

パラ競技
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荒井大輔選手は、2024年パリパラリンピックに出場予定の、男子車いすテニスプレーヤーです。

2023年時点には世界ランキング10位になりました!

 

世界からも注目を集める荒井大輔選手、なんと、かなりのイケメン!

いったいどんな方なのでしょうか?

 

荒井大輔選手がいつからテニスを始めたのか、学歴や経歴についても調査しました!

 

△この記事でわかること△
■荒井大輔(車いすテニス)は超イケメン!
■荒井大輔(車いすテニス)がテニスを始めたのはいつ?
荒井大輔(車いすテニス)の病気について
■荒井大輔(車いすテニス)の学歴
■荒井大輔(車いすテニス)の経歴
■荒井大輔(車いすテニス)のプロフィール

荒井大輔(車いすテニス)は超イケメン!

荒井大輔選手は、お写真からも分かる通り、とってもイケメンなんです!

 

 

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俳優のデイーン・フジオカさんにも似ていますよね!!!

 

目鼻立ちもくっきりで、ハーフっぽいお顔です!

しかし、荒井大輔選手は、東京都生まれの純日本人です。

 

女性ファンも多いのではないでしょうか。

 

そんな荒井大輔選手、2016年・28歳の時にご結婚されています。

奥さんもとってもおキレイなんですよ!

 

 

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これぞ、美男美女カップルというやつですよね!

2024年2月に結婚8年目ということをSNSで投稿しています。

 

素敵なパートナーに支えられながら、今後もますます飛躍していきそうですね。

 

荒井大輔(車いすテニス)がテニスを始めたのはいつ?

荒井大輔選手がテニスを始めたのは、中学校の部活からです。

中学校にはソフトテニス部があり、荒井大輔選手のお姉さんが部長をされていました。

 

一緒に部活見学をした荒井大輔選手の友人が入りたいと言い、それがきっかけで一緒に入部されたようです。

 

荒井大輔選手自身は少し渋々でしたが、やってみようかなという気持ちで入部したそうですよ。

少し渋っていたのは、お姉さんがいたからでしょうか?

自分の姉が部長なら、ちょっと嫌な気持ちもわかりますよね。

 

とはいえ、このような形で荒井大輔選手のテニス人生は、始まりました!

 

この後、車いすテニスを始めたのは、荒井大輔選手が26歳の頃でした!

その件については、後ほど詳しくご紹介しますね!

 

荒井大輔(車いすテニス)の病気について

荒井大輔選手は、先天性脛骨欠損(けいこつけっそん)の障がいを右足に持っており、2歳の頃から義足での生活をしていました。

 

先天性脛骨欠損とは、生まれつき脛骨(すねの骨)の一部または全部が欠けている珍しい病気です。

荒井大輔選手はその病気で、右足の膝が曲がらない状態のため、義足が必要なんですね。

 

 

荒井大輔選手は、中学校の部活では健常者の方と一緒にテニスをされていました。

当時は、人前で義足を見せたり、歩き方を見られることに抵抗があったそう。

 

ですが、テニスのプレーで、相手と互角以上に戦うことで、周囲から特別扱いをされなくなりました。

実力があれば、義足であることは関係なく、平等であることを実感したそうです。

 

なんと、中学校・高校専門学校では部長を務められていたほど!

実力や、リーダーとしての素質があったのでしょうね!

 

つぎでは、荒井大輔選手の学歴について、もう少し詳しくふれていきます。

 

荒井大輔(車いすテニス)の学歴

荒井大輔選手の学歴について、ご紹介します。

 

荒井大輔選手は東京都葛飾区の出身で、出身校は以下の通りです。

小学校 葛飾区立/宝木塚小学校
中学校 葛飾区立/双葉中学校
高校(高校専門学校) 不明
大学 不明

出身校がわからなかった部分もありますが、それぞれ解説していきます。

 

小学校は宝木塚小学校

荒井大輔選手は、葛飾区立宝木塚(ほうきづか)小学校を卒業しています。

【葛飾区立/宝木塚小学校】
住所 東京都葛飾区宝町2丁目29−23
公式ホームページ https://school.katsushika.ed.jp/

 

現在、宝木塚小学校では、オリンピック・パラリンピックについて学ぶ教育というものがあるそうで、勉強や体験を通じて学べる授業を設けています。

もしかしたら、荒井大輔選手の出身ということでこのような取り組みが始まったのかもしれませんね!

 

幼い頃から、障害者スポーツなどに親しみがあると、より身近に感じることができますよね!

 

中学校は双葉中学校

荒井大輔選手は、地元葛飾区にある葛飾区立双葉(ふたば)中学校出身です。

2001年4月に入学し、2004年3月に卒業しました。

【葛飾区立/双葉中学校】
住所 東京都葛飾区お花茶屋1-10-1
公式ホームページ https://school.katsushika.ed.jp/swas/index.php?id=futaba_j

 

2022年2月、双葉中学校の伝統行事である「立志式」に荒井大輔選手が呼ばれ、講演会をしました。

 

先ほどもご紹介したように、荒井大輔選手は、双葉中学校の部活動でテニスを始めています。

講演会では、双葉中学校のテニスとの出会い、車いすテニスとの出会いなどのお話をされたそうですよ。

 

在校生にとって、自分の出身校に有名な方がいるということは、学校に対して誇りに感じることができますよね!

荒井大輔選手のお話は、生徒たちが自分自身の未来を考えるきっかけになったのではないでしょうか!

 

高校ではなく高専へ入学

荒井大輔選手は、高校ではなく、高校専門学校(高専)に通っていました。

学校名は公表していないようで、調査しましたが、学校名まではわかりませんでした。

 

荒井大輔選手は1988年の生まれなので、2004年4月に入学したことになります。

一般的に、高校専門学校は5年間の学びの期間があります。

ですので、現役入学・卒業と考えると、2009年3月に卒業したことになりますね。

 

高校専門学校は、技術者を目指す方の志望が多く、荒井大輔選手もその一人です。

荒井大輔選手の生まれが、葛飾区の製造業のお家であったことから、当時はその道に進むことを考え、進路を決めていたのかもしれませんね。

※ご実家が、具体的にどのような商売?をされていたのかまでは、わかりませんでした。

 

先ほどもご紹介していますが、高校専門学校でも、部活動ではソフトテニス部に所属していました。

部長を務めていた経験もあるので、テニスの腕前はなかなかのものだったのでしょう!

この頃は、まだ車いすではなく、義足を使って、健常者の方々とテニスをプレーされていました。

 

高専を卒業後、大学へ編入

荒井大輔選手は、高校専門学校を卒業後、大学に編入しているということがわかりました。

残念ながら、大学名など詳細はわかりませんでした。

 

高校専門学校を卒業したのは、2009年3月。

荒井大輔選手が21歳の年のことです。

 

大学へ編入した場合、一般的に大学3年生からのスタートとなるため、そのまま2年間を過ごし、2011年3月に卒業したと考えられます。

 

その後の就職時期などから考えると、以上の流れで間違いなさそうです。

 

荒井大輔(車いすテニス)の経歴

荒井大輔選手は、大学を卒業後1年間は、ワーキングホリデーとしてオーストラリアへ行っていました。

ワーキングホリデーとは18歳から30歳の若者を対象に、海外に住みながら働くことができる制度です。

 

オーストラリアで、具体的にどのような生活をされていたのか、詳細はわかりませんでした。

しかし、1年間の海外生活は、荒井大輔選手にとって、かけがえのない経験となったのではないでしょうか。

 

帰国後は就職し、転職を経てからプロの車いすテニスプレーヤーとなります。

順に詳しくご紹介していきますね。

最初の就職先は岐阜の福祉機器メーカー

荒井大輔選手は、2013年にオーストラリアから帰国されます。

 

障害者スポーツに関わる仕事がしたいという思いから、岐阜県の福祉機器メーカーへ就職。

荒井大輔選手は、営業マンとして働きだしました。

 

たまたま配属になった電動車いすの営業の部署で、荒井大輔選手は運命の出会いをします。

営業先にいた車いすテニス選手からのお誘いで、車いすテニスを始めるようになったのです。

 

その選手というのが、諸石光照(もろいし みつてる)さんです!

諸石光照さんは、クアードクラス(手に障がいのあるクラス)でプレーされている、プロの車いすテニスプレーヤーです。

 

諸石光照さんが荒井大輔選手を車いすテニスの世界に誘った時期は、2014年。

諸石光照さんは、2012年のロンドンパラリンピックの出場者ということもあり、荒井大輔選手にとっては、とても大きな存在でした。

 

諸石光照さんのお誘いもあり、車いすテニスの練習に参加するようになります。

「岐阜車いすテニスクラブ」に所属し、諸石光照さんの元で車いすテニスを学んでいました。

 

ですが、荒井大輔選手の職場は営業部署だったため、出張が多く、車いすテニスは月に1回程度しか参加できなかったそうです。

当時は、それまで義足でテニスをできていたこともあり、車いすでテニスを行うことの難しさや、車いすに頼ることの抵抗感もあったとおっしゃっています。

 

ですが、2014年10月、義足をつけていた右足に怪我をしてしまいます。

その右足をかばっていたことが原因なのか、左足の半月板を損傷してしまうのです。

手術をし、しばらくは歩くことが困難な状況になったことがきっかけとなり、本格的に車いすテニスの道へ進むことになりました。

 

この頃、2015年の2、3月ころだったそうなので、荒井大輔選手が26歳の時になります。

それから車いすテニスを本格的にプレーしていくのですね。

 

転職しプロのテニスプレーヤーに

岐阜の福祉機器メーカーに務めていた荒井大輔選手でしたが、世界で戦ったことをきっかけに、プロを目指す決意をします。

 

荒井大輔選手は、2017年1月にオーストラリアで行われた世界大会で、初めて海外選手と対戦!

1月にオーストラリアで行われる大会というと「全豪オープン」が有名ですが、荒井大輔選手は2023年に初の全豪オープンに参加しています。
そのため、この時の大会名は公表していませんが、「シドニー国際」の大会という可能性が高いです。
こちらは全豪オープン直前に行われるテニスのトーナメント大会です。

 

この試合に出場し、海外の選手と対戦するなかで、本格的に車いすテニスと向き合うことを決意!

車いすテニスを始める新しい環境を探すため、当時勤務していた岐阜の会社を辞めることにしました。

 

なんと、そんな大きな決意をした同じ年の7月に、荒井大輔選手は結婚されています!

 

二人の新生活が始まったばかりなのに、職を失ってでも新しい挑戦を後押ししてくれる奥様、とてもカッコイイですよね!

パートナーを信じて新たな挑戦をする荒井大輔選手も、とっても素敵です!

お二人の関係性にも憧れますね!

 

岐阜の職場を辞めるときは、まだ次の働き先を見つけていませんでした。

それでも、車いすテニスに挑戦したいという気持ちの方が大きかったのでしょうね!

 

 

そして、同じ年の2017年夏には、BNPバリパへ転職!

荒井大輔選手は、プロの車いすテニスプレーヤーとなりました!

この会社には、2024年現在も所属されています。

 

【BNPバリパ】
BNPバリパとは、ヨーロッパをはじめ世界を代表する金融機関のひとつ。
毎年3月前半に、アメリカ/カリフォルニア州で「BNPバリパオープン」というテニスの世界大会を開催するなど、テニスを支援する活動も行っています。

 

前職に比べ、テニスの練習時間も増えたそうで、県外の練習や海外遠征にも行けるようになりました。

 

2018年には、現コーチ・穂積善行(ほづみ よしゆき)さんの元でプレーすることで、成績がアップ!

 

コーチと選手としての相性も良かったのでしょうね。

 

 

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↑一緒に写っている左側の方が穂積義行コーチです。

 

スロバキアオープン、台北オープンでシングルス優勝など、2019年は計6つの大会シングルス優勝を果たしました!

そこで荒井大輔選手の世界ランキングがさらにアップ!

2021年には東京パラリンピックへ出場となりました。

 

出会いや経験を重ね、どんどん強くなっていく荒井大輔選手。

 

転職はとても大きな覚悟がいるものですが、同じようにスポーツを続けたい人や挑戦したい人など、将来に悩む方へ勇気を与えてくれますね!

 

主な経歴はこちらの動画の中でお話されていました!

荒井大輔選手の素敵な声にも注目です!

荒井大輔選手は、イケメンなだけでなく「イケボ」の持ち主でもあるんです!

 

荒井大輔(車いすテニス)のプロフィール

荒井大輔選手にとって、2024年パリパラリンピックは、2度目のパラリンピックです。

前回の2021年東京パラリンピックでの成績は以下の通りです。

2020東京パラリンピック(2021年実施)

・男子シングルス  17位
・男子ダブルス(ペア:三木拓也選手)  9位

 

パリパラリンピックでのダブルスの相手は、眞田卓(さなだ たかし)選手です。

シングルスもダブルスもどちらも楽しみですね!

それでは荒井大輔選手のプロフィールをご紹介します!

氏名 荒井大輔
(あらい だいすけ)
生年月日 1988年5月14日
年齢 2024年の誕生日で36歳
出身地 東京都葛飾区
身長 不明
体重 不明
右利き/左利き 右利き
血液型 不明
家族構成 両親と姉と妹の5人家族
父:巌/いわお(荒井大輔選手が33歳の時に他界)
母:不明(荒井大輔選手が18歳の時に他界)
姉:利枝子(SOL’S COFFEE代表)
妹:不明(あだなは「いっちゃん」)
学歴 小学校:葛飾区立宝木塚小学校
中学校:葛飾区立双葉中学校
高校専門学校:不明
大学:不明
所属 BNPパリバ
公式Instagram https://www.instagram.com/daisuke_arai/

荒井大輔選手は、ご両親をすでに亡くされています。

母親は、荒井大輔選手が18歳の時に他界されています。

ご病気だったのか、その理由については公表されていないようです。

 

荒井大輔選手の父・荒井巌さんは、荒井大輔選手が車いすテニスのプロ選手になることについて、もともとは反対されていたそうです。

今回の記事の中でご紹介した通り、会社を辞めることも含めた大きなチャレンジでしたし、ご結婚された時期でもありました。

父親としては、反対する気持ちも理解できます。

しかし、その後は息子・大輔選手のことを応援してくださっていました。

それなのに!

2021年に開催された東京パラリンピック大会の開会式前日の2021年8月23日に亡くなられてしまいました。

お父さんが亡くなられた直後、荒井大輔選手は8月27日にイスラエル出身の選手と対戦。

結果は、見事勝利!

試合後のインタビューでは、以下のようにコメントされています。

「一つの試練。

特等席で見ていたと思う。

勝ちを見せられて良かった」

引用元:サンスポ(2021.8.27付)

母親を18歳で亡くし、父も亡くした荒井大輔選手が、父の訃報の数日後にパラリンピックの舞台に立ったというのは、その時の胸中は察するに余りあります。

そんな中でも、試合に集中し勝利したのは、とても素晴らしいと思います。

 

間もなく開催される2024年パリパラリンピックでは、どのようなプレーが見られるのでしょうか!

とっても楽しみですね!

 

 

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まとめ

この記事では、荒井大輔選手のことについて、ご紹介しました。

とってもイケメンな荒井大輔選手の、プレーはもちろん、ビジュアルにも大注目ですね!

2024年パリパラリンピックの男子車いすテニスシングルスは2024年8月30日に1回戦がスタートです!

さらにダブルスは2024年8月31日に1回戦がスタート!

どちらも見逃せませんね!

ぜひ、応援しましょう!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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