鍵山優真選手は、2022年2月に行われた北京オリンピックに日本代表として出場。
フィギュアスケート男子シングルで、銀メダルを獲得しました。
2024年4月には中京大学3年生となり、スケート部に所属しています。
鍵山優真選手について検索をすると、「お母さんが蒸発をした」という情報がありました。
また、お父さんが病気で脳梗塞になり、祖母が母親代わりでサポートをしていたという情報も!
今回は、鍵山優真選手のご家族について、紹介させていただきます。
■鍵山優真の母は蒸発?
■鍵山優真の父は病気で脳梗塞!
■鍵山優真は祖母が母親代わりでサポート!
鍵山優真の母は蒸発?
鍵山優真選手のお母さんについて、調査しましたが、詳しい情報は得られませんでした。
しかし、調べていく中で
■お母さんが蒸発した
■お母さんとは音信不通である
という文章を、何度か目にしました。
しかし、その情報元や、信ぴょう性の高い裏付けなど、確かな情報は得られませんでした。
唯一、確かな情報としては、鍵山優真選手のご両親が”離婚”されたということです。
正和さんには離婚歴があり、シングルファーザーとして鍵山選手を育てた。
引用元:女性自身 2021年4月7日
※「正和さん」は、鍵山優真選手の父・鍵山正和さんのこと。
離婚という情報が、独り歩きをして「蒸発」「音信不通」といったインパクトの強い注目されやすい言葉になってしまったかもしれません。
確実に言えることは、「母親は蒸発した」や「母親とは音信不通」ということについては、ウワサの域を出ない情報ということです。
また、鍵山優真選手は3人兄弟だったようです。
姉と弟がいて、鍵山優真選手は第2子。
しかし、鍵山優真選手は「父一人子一人」で育っていますので、お姉さんと弟さんは、お母さんと一緒に住んでいたと考えるのが自然だと思います。
なぜ、鍵山優真選手だけが父親の元に残ったのかは不明です。
しかし、鍵山優真選手がスケートをしていて、父親から指導を受けていたということが、その理由だったのではないかと言われています。
ご両親の離婚に関しては、他人には計り知れない様々な事情があったことは間違いないと思います。
鍵山優真選手のお母さん、お姉さん、弟さんが、今もどこかで幸せに暮らしていたらいいですね。
きっと、鍵山優真選手の活躍ぶりを見て、応援してくれているのではないでしょうか。
鍵山優真の父は病気で脳梗塞!
鍵山優真選手のお父さんの名前は、鍵山正和さんです。
正和さんも、有名なフィギュアスケータ―です。
1971年4月12日生まれで、2024年の誕生日で53歳になられました。
全日本フィギュア選手権では、1991年から1993年まで、3年連続で優勝。
オリンピックには1992年のアルベールビル、1994年のリレハンメルと2大会連続出場をした一流選手でした。
選手引退後は、スケートのコーチとして活動をしていて、息子・鍵山優真選手のコーチも務めています。
そんな鍵山正和さんが病に倒れたのは、2018年のことでした。
2018年6月23日に、スケートの指導先であった中京大で倒れて、緊急搬送されました。
病名は「脳梗塞」でした。
当時、正和さんは47歳。
鍵山優真選手は15歳でした。
ここでは脳梗塞と表記させていただきます。
父・正和さんの病気を乗り越えて
鍵山優真選手は、お父さんと2人暮らし。
父・正和さんが倒れる前までは、鍵山優真選手はお父さんに朝ごはんを作ってもらい、4時に起こしてもらっていました。
それから準備をして、コーチであるお父さんと一緒に、早朝練習をやることが日課でした。
しかし、その生活もお父さんの病気で一変、鍵山優真選手は自ら変わることを決意します。
振付師であった佐藤操さんに、臨時コーチをお願いし、練習メニューを鍵山優真選手自身が考えました。
今までお父さんが考えてくれたことを、鍵山優真選手自身が考える生活。
鍵山優真選手の心境にも変化があったそうです。
毎日続けていたら、自然に『じゃ、次これやらなきゃ』とか、『これが明日の課題だな』と考えることができた。
自分にとって一つの大きな成長だったかなと思います。
お父さんが倒れた、約2か月後。
2018年8月4~5日にタイで行われた「アジアフィギュア杯」にジュニア男子シングルで出場。
人生初の国際大会で、鍵山優真選手は優勝しました!
お父さんの病気、そして初の国際大会、ベストからは遠いコンディションだったと思います。
しかしそれらを跳ね返す、鍵山優真選手のメンタルの強さが、発揮された結果でした。
父・正和さんのその後の様子
正和さんが大病を患った後の様子についても、調べました。
2021年3月30日の日刊スポーツの記事には、正和さんが乗る車いすを押す鍵山優真選手の姿が映っています。
その姿から、正和さんには後遺症が残っていると思われます。
やはり、脳梗塞は、大変な病気ですよね。
正和さんは、その後もリハビリを続けているとのことです。
↓こちらの動画は、2024年3月に行われた世界フィギュアスケート選手権でのフリーの演技後のキス&クライの様子です。
向かって右端にいる正和さんは、左手が上手く動いていない様子です。
残念ながら、まだ少し麻痺が残っているように見えますね。
フリー演技の採点が発表されると、正和さんは誰よりも、嬉しそうな表情を見せています。
嬉しさがこちらにも伝わって来るようです。
この大会で、鍵山優真選手は銀メダルを獲得しています。
正和さんにとって、息子・鍵山優真選手の頑張る姿が、リハビリを頑張ろうという原動力になっているのでしょうね。
父・正和さんは2回離婚している!
先ほどご紹介したように、正和さんは鍵山優真選手のお母さんにあたる方と離婚されています。
しかし、実は、正和さんは離婚を2回経験されています。
私生活では二度の離婚を経験。
コーチとして日本各地のリンクを転々としながら、男手一つで優真くんを育て上げたのです。
引用元:週刊文春
ということは!
鍵山優真選手のお母さんというのは、最初の結婚相手だったのか、2番目の方だったのか気になります。
その答えについては、それを証明する情報は見つけられませんでした。
しかし、多くの情報を見ていると、どうやら最初の奥さんとの結婚生活はとても短く、お子さんもいなかったようです。
私自身は確認が取れませんでしたが、正和さんが1993年に開催されたリレハンメル五輪に出場された際に、左手の薬指に指輪としていたという情報もありました。
当時、正和さんは23歳。
これが結婚指輪だとすると、この時には既婚者だったことになります。
23歳での結婚は、特別に珍しいことではないかもしれませんが、比較的若い時期に結婚されたという印象はありますよね。
鍵山優真選手が生まれたのは、2003年。
当時、父・正和さんは、32歳。
このような状況から予想すると、鍵山優真選手、お姉さん、弟さんの母親は、2番目の奥さんの可能性が高そうです。
鍵山優真は祖母が母親代わりでサポート!
父・正和さんが脳梗塞で入院した時、生活のサポートをしてくれたのは祖母・平川佐治子さんでした。
2018年当時、名古屋に住んでいた佐治子さんは、息子である正和さんが倒れたと聞き、父子二人暮らしをしていた横浜の自宅に住み込みます。
正和さんの代わりに、朝4時に鍵山優真選手を起こして、朝練に連れていく。
そして、朝連をしている間に、学校に持っていくお弁当を作ってくれたそうです。
そして、2日に一度は、名古屋市内で入院していた正和さんのお見舞いに行っていたそうです。
話を聞くだけで、目が回るような忙しさです。
その生活が、正和さんが退院するまでの5ヶ月間続いたそうですので、想像を絶する大変さだと思います。
辛かったのは、もちろん、佐治子さんだけではありませんでした。
(佐治子さんは)鍵山に一度、聞いたことがある。
正和さんが退院するまでの数カ月間、「さみしくなかったの?」と。
「どうしてそんなことを聞くの」。
そう答えた表情を思い出すと胸が締めつけられる。
父であり、コーチであった正和さんの入院。
人生初の国際大会では、付き添ってくれる予定だった父の姿はありませんでした。
当時、鍵山優真選手は、まだ15歳の少年です。
鍵山優真選手にとって、物凄い不安や寂しさがあったに違いありません。
それを支えてくれたのは、母親代わりをしてくれた佐治子さんでした。
実は、佐治子さんご自身も離婚の経験者。
シングルマザーとして、息子・正和さんを一流スケート選手に育て上げました。
だからこそ、息子と孫のピンチに、全力でサポートしてくださったのでしょうね。
「鍵山」ではありませんが、正和さんの実母であることは間違いありません。
もしかしたら、佐治子さんは「平川」姓の方と再婚されているのかもしれません。
2022年4月から、鍵山優真選手は愛知県の中京大学へ進学。
練習や生活の拠点も、横浜から愛知県へと変わりました。
正和さんも、息子と一緒に、拠点を横浜から愛知県に移しています。
鍵山優真選手の所属する中京大学スケート部は、中京大学豊田キャンパスが拠点となっています。
名古屋駅からクルマで40分ほどの場所に、豊田キャンパスがありますので、祖母・佐治子さんのご自宅で同居されているわけではないようです。
しかし、同じ愛知県内。
今でも、佐治子さんは、時々息子と孫のお世話をしてくださっているようです。
まとめ
今回は、鍵山優真選手のご家族について、紹介させていただきました。
お母さんについては、詳しい情報は得られませんでした。
しかし、タイトルにあった「蒸発した」という情報には根拠がなく、わかっていることは、鍵山優真選手のご両親は”離婚”したということでした。
お父さんの正和さんは、2018年に脳梗塞で緊急入院されましたが、2024年現在も鍵山優真選手のコーチを務めています。
父・正和さんが入院していた間、鍵山優真選手の生活をサポートしたのが祖母・佐治子さんだと分かりました。
いくつもの困難を乗り越えてきた鍵山優真選手。
これからどんな成功をつかみ、どんな笑顔を私たちに見せてくれるのでしょうか。
今後の鍵山優真選手からも、目が離せませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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