山内晶大(あきひろ)選手は、2024年パリオリンピックの男子バレーボール日本代表選手の一人です。
2024年7月現在は、「大阪ブルテオン」(旧:パナソニックパンサーズ)に所属しています。
プロとして大活躍中の山内晶大選手。
しかし、バレーボールを始めたのは高校生からなんです!
軽い気持ちでバレーボールを始め、今や日本代表に!
バレーボールを始めるきっかけとなったのは、どんなことなのでしょうか?
この記事では、山内晶大選手のバレーボールを始めたきっかけや、大学時代とプロになってからの戦績を調査しました!
■山内晶大のバレー歴は高校から!
■山内晶大がバレーに転向したきっかけは?
■山内晶大は愛知学院大学へ
■山内晶大の大学時代の戦績
■山内晶大のプロ選手としての戦績
山内晶大のバレー歴は高校から!
山内晶大選手のバレーボール歴はなんと、高校からなんです!
よく、日本代表に選ばれるほどの選手は、プロを目指して「小学校から」「中学校から」と聞くことが多いと思います。
山内晶大選手は大変珍しいパターン。
しかも、バレーボールは「軽い気持ち」で始めたそうです!
もともと、山内晶大選手のお母さんが、バレーボールの経験者だったということもあり、バレーボールには触れてきたようです。
しかし、山内晶大選手の通っていた名古屋市立苗代(なえしろ)小学校にはクラブ活動にバレーボールがなかったそうです。
そのため、小学校4年生からバスケットボールを始めました。
中学校は名古屋市立守山東(もりやまひがし)中学校で、そのままバスケットボールを続けます。
高校も、バスケットボール部かハンドボール部に入る予定でしたが、周りの人たちの体格差に、細身の山内晶大選手は気後れしてしまいます。
当時、すでに180cm以上の高身長ではあったのですが、がっちりした体格の選手と対戦するには、パワー負けるするのではと心配だったのです。
バスケットボールやハンドボールは、相手チームの選手とボールを取り合ったり、接触する競技です.
ですから、「体格がモノを言う」という一面があるのは事実ですよね。
「気後れしてしまう」というのも、頷けます。
そんなことを考えながら、希望の部活の入部に迷っていた時、バレーボール部の顧問の先生から声をかけられたのです!
山内晶大がバレーに転向したきっかけは?
山内晶大選手が通っていた高校は、名古屋市立工芸高等学校です。
2009年4月に入学し、2012年3月に卒業しました。
【名古屋市立工芸高等学校】 | |
所在地 | 愛知県名古屋市東区芳野2丁目7−51 |
公式ホームページ | https://www.nagoya-c.ed.jp/school/kogei-th/ |
山内晶大選手が高校1年生の時に、高校のバレーボール部顧問である志水洋先生から
「バレーはバスケよりもきつくないからやってみないか」
と言われました。
先程ご紹介したように、バスケットボールは相手選手と必然的に接触プレーがある競技。
それに比べて、バレーボールはネットを挟んで相手と戦います。
そのような意味では、当時の山内晶大選手にとってもチャレンジしやすい競技だったのではないでしょうか。
そんな軽い気持ちで、山内晶大選手はバレーボール部へ入部。
これが山内晶大選手の人生を変えるきっかけとなったのです。
身長はみるみる伸び続け、高校入学時に182〜183cmだった身長は、高校2年生で192cmに。
さらに伸び続け、2024年現在の公式発表では、山内晶大選手の身長は204cm!
まさに、バレーボールに恵まれた体型ですよね!
顧問の先生も、ここまで山内晶大選手が成長するとは思ってもいなかったかもしれませんね!
山内晶大選手が通った工芸高等学校の男子バレー部は、特別に強かったわけではなさそうです。
「初心者でも大歓迎!」という雰囲気だったようで、山内晶大選手はバレーボールを純粋に楽しみながら、その魅力に引き込まれていったのではないでしょうか。
この時に、バレーボール強豪校ではなかったことが幸いしたのかもしれません。
もし、そのようなチームだったら、入部されなかった可能性もありますよね。
山内晶大選手は、その長身と持ち前の運動神経の良さで、バレーボール部で活躍されますが、県代表などを含めた選抜チームのメンバーに選ばれることもなかったようです。
つまり、高校生時代には、まったくの「無名選手」だったと言えそうです。
山内晶大は愛知学院大学へ
山内晶大選手は、高校生時代に「無名選手」だったとご紹介しましたが、なんせ200cmもある高身長!
そして、バスケットボールで鍛えた運動能力を持ち合わせていますから、高校からバレーボールを始めたと言っても、目立っていたのは確かでしょう。
そんな山内晶大選手は、その将来性を期待され、声がかかった私立愛知学院大学へ入学。
2012年4月に入学し、2016年3月に卒業されました。
愛知学院大学は、愛知県内では名前の知れたバレーボール強豪大学のひとつです。
山内晶大の大学時代の戦績
では、山内晶大選手の大学時代の戦績をご紹介します。
2014年の大学3年生からは、日本代表としても活躍されました!
2012年4月 〜5月 (大学1年生) |
平成24年 東海大学バレーボールリーグ戦春季大会 |
2位 ※個人では 最優秀新人賞 |
|
2013年6月 (大学2年生) |
2013年度第39回 西日本大学バレーボール大学男子選手権大会 (西日本インカレ) |
準々決勝敗退 | |
2014年9月 〜10月 (大学3年生) |
日本代表 | 第17回 アジア競技大会(韓国/仁川) |
準優勝 |
2015年5月 〜7月 (大学4年生) |
日本代表 | 2015年 FIVBバレーボール・ワールドリーグ |
13位 |
2015年秋 | 日本代表 | FIVBワールドカップバレーボール2015 | 6位 |
2015年7月 〜8月 |
日本代表 | 2015年 バレーボール男子アジア選手権 |
優勝 |
2015年11月 | 第68回秩父宮賜杯 全日本バレーボール大学男子選手権大会 (インカレ) |
3回戦敗退 |
大学に入学されてからの山内晶大選手は、入学後すぐに行われた「東海大学バレーボールリーグ戦春季大会」で活躍!
「最優秀新人賞」を受賞されています。
この試合で、少なくても東海地区のバレーボール界隈では、山内晶大選手の知名度がググっと上がったのではないでしょうか。
その後も、少しずつ存在感が際立ってきた山内晶大選手。
とはいえ、2014年、大学3年生の山内晶大選手が日本代表に選ばれたのはなぜ?
何がきっかけだったのでしょうか。
大学3年生で日本代表へ!
山内晶大選手は、大学3年生の時に日本代表へ選抜されています。
当時、山内晶大選手がメンバーに選ばれた、その理由のひとつは、2014年から南部正司(なんぶ まさし)氏が日本代表の監督に就任されたこと!
この南部正司監督が、当時の山内晶大選手他、計4人の大学生を、将来日本のバレーボール界を引っ張って行く選手に育てようとプロジェクトを立ち上げたのです!
それが「NEXT4」!
「NEXT4」誕生!!!
実は、この頃の男子バレーボールというのは人気が低迷し、チーム自体の戦績も振るわず、かなり問題になっていました。
そんな日本の男子バレーボール界を変えるきっかけになればと結成されたのが、「NEXT4」だったのです。
2014年に当時の代表監督だった南部正司(現・男子強化委員長)が東京五輪を見据えて選出した大学生4人
2015年に彼らを「NEXT4」と命名し、どん底の時代から10年… あの時誰が世界ランク2位までたどり着くことを想像できただろうか
さぁ集大成のときが来たhttps://t.co/SVnR3twlcV
— (@vb_tawagoto) July 27, 2024
日本男子バレーボール界の未来を担うべく結成された、若手選手4人組によるユニット。
メンバーは、以下の4人です。
■石川祐希選手(当時19歳)
■柳田将洋選手(当時22歳)
■山内晶大選手(当時21歳)
■高橋健太郎選手(当時20歳)
南部正司監督は、山内晶大選手の高さを評価されたようで、「(日本代表の)練習生として参加しないか」と声をかけられたそうです。
これは、かなり思い切った大抜擢だったようです。
山内晶大選手は、南部正司監督の「秘蔵っ子」でした!
中でもサプライズは愛知学院大3年の山内晶大だった。
柳田、石川は高校時代に全国を制した戦績があり、高橋は石川と共にU18日本代表に選出されるなど将来を期待される選手の1人ではあった。
だが、中学まではバスケットボール部で名古屋市立工芸高入学後にバレーボールへ転向したばかりで、全国大会出場の経験すらない山内の選出に、周囲の反応は同じ。
「この選手、誰だ?」
高校、大学、アンダーカテゴリーでの経験や実績があるわけではないのだから、無理もない。
当然ながら自然と注目が集まる。
まさにそれこそが、南部の狙いだった。
当時、この4人のことを「アイドル」かのように扱い、広告塔のようにされていた記憶があります。
若い女性向けの雑誌やムック本などが発売されるなど、本当にすごい人気でした。
そして、男子バレーボールの試合にも、徐々にお客さんが入るようになっていきました。
つまり、「NEXT4」作戦は、大成功!!!
なんだか、ウソみたいな話なのですが、これ本当なんです!!!
もちろん、「実力が伴っていた」からこそ!
男子日本代表が勝てるようになってきたからこその、人気復活でした。
しかし、山内晶大選手含む「NEXT4」の存在も、とても大きかったと思います!
山内晶大のプロ選手としての戦績
山内晶大選手は2016年3月大学卒業後、パナソニックパンサーズへ入団します。
パナソニックパンサーズへ入団するきっかけになったのも、南部正司監督。
南部正司監督は、2014年に日本代表監督に就任される直前まで、パナソニックパンサーズで監督を務めていたのです。
2021‐2022シーズンからはキャプテンに就任し、そこから継続して、2024‐2025シーズン現在までキャプテンとしてチームを引っ張っています!
もちろん、大学時代に引き続き、プロになってからも日本代表選手として活躍されています。
プロになってからの戦績もまとめました!
2016年8月 | 日本代表 | リオデジャネイロオリンピック | 最終予選 敗退 |
2017年7月 〜8月 |
日本代表 | バレーボール男子アジア選手権 | 優勝 |
2018年5月 〜7月 |
日本代表 | FIVB男子バレーボールネーションズリーグ | 12位 |
2019年5月 〜7月 |
日本代表 | FIVB男子バレーボールネーションズリーグ | 10位 |
2019年9月 | 日本代表 | バレーボール男子アジア選手権 | 3位 |
2019年10月 | 日本代表 | ワールドカップバレーボール2019 | 4位 |
2020年10月 〜2021年4月 |
2020-21 V.LEAGUE DIVISION1 | 準優勝 個人ベスト6 初受賞 |
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2021年5月 〜6月 |
日本代表 | FIVB男子バレーボールネーションズリーグ | 11位 |
2021年8月 | 日本代表 | 東京オリンピック | 7位 |
2021年9月 | 日本代表 | バレーボール男子アジア選手権 | 準優勝 |
2021年10月 〜2022年4月 |
2021-22 V.LEAGUE DIVISION1 MEN | 準優勝 個人ベスト6 |
|
2022年6月 〜7月 |
日本代表 | FIVB男子バレーボールネーションズリーグ | 5位 |
2022年10月 〜2023年4月 |
2022-23 V.LEAGUE DIVISION1 MEN | 3位 個人ベスト6 |
|
2023年6月 〜7月 |
日本代表 | FIVB男子バレーボールネーションズリーグ | 3位 |
2024年5月 〜6月 |
日本代表 | FIVB男子バレーボールネーションズリーグ | 準優勝 |
2024年7月 ~8月 |
日本代表 | パリオリンピック |
このように見ると、日本代表チームがどんどん強くなっていっているのが分かりますね。
山内晶大選手は、もはや絶対にかかせないメンバーの一人だと思います!
今後の活躍も見逃せませんね!
パナソニックパンサーズは「大阪ブルテオン」へ!
大阪ブルテオン公式HP https://www.osaka-bluteon.com
大阪ブルテオン公式X https://x.com/OSAKA__BLUTEON
まとめ
この記事では、山内晶大選手のバレーボールへの転向のきっかけや、大学時代、プロでの戦績をご紹介しました。
204cmという長身を武器に、世界を相手に果敢に戦う山内晶大選手は、唯一無二の存在ですね。
バレーボールは高校からということに驚きでしたが、スポーツ経験者ということもあり、センスや努力もあったのでしょう!
今や、山内晶大選手なしでは考えられない日本代表チームですね!
これからの活躍にも注目していきましょう!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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