関田誠大(せきた まさひろ)選手は、2024年のパリオリンピックで、男子バレーボール日本代表として活躍された選手です。
2024年現在は、愛知県を拠点とするジェイテクトSTINGSに所属しています。
今回はそんな関田誠大選手の、出身中学・高校・大学について調査しました。
中央大学在学中には、石川祐希選手と運命の出会いをされます!
そのことについても、ご紹介しますね!
また、大学卒業後パナソニック所属時代の活躍はどうだったのでしょうか?
これまでの関田誠大選手の、日本代表歴についてもまとめてみました!
■関田誠大の中学時代は?
■関田誠大の高校時代は?
■関田誠大は中央大学卒!
■関田誠大は大卒後パナソニックへ
■関田誠大の代表歴
関田誠大の中学時代は?
関田誠大選手の出身中学校は、東京都北区にある駿台(すんだい)学園中学校です。
この学校は私立ですので、中学受験されたことになります。
関田誠大選手は、小学校1年生の時に「東金町ビーバーズ」でバレーボールを始めています!
学校名 | 駿台学園 駿台学園中学校・高等学校 |
住所 | 〒114-0002 東京都北区王子6丁目1−10 |
公式ホームページ | https://www.sundaigakuen.ac.jp/ |
関田誠大選手の実家があると思われるのは、東京都江東区。
実家の正確な場所は分かりませんが、江東区内から駿台学園中学校までは、車で50分以上、電車でも50分はかかります。
なかなかの通学距離ですが、関田誠大選手がこの学校を選んだ理由は「バレーボール強豪校だから」だと思われます。
駿台学園中学校は、私立の学校で部活動が盛んな学校です。
特にバレーボール部は男女ともに、全国大会常連校!
関田誠大選手は中学3年生の時に、全日本中学校選手権大会で優勝しています。
それまで、駿台中学校は全国大会に出場しても準優勝止まりでしたが、関田誠大選手の代で初めて優勝することが出来たんです。
関田誠大選手は中学3年生の時から、ポジションをリベロからセッターに変更しています。
この頃から、今につながる実力を、発揮していたのでしょうね。
しかし、関田誠大選手が在学していた頃の駿台中学校バレー部は、規則が厳しかったようです。
具体的には、
などの規則があった事で、関田誠大選手も戸惑ったそうですよ。
中高一貫である駿台学園ですが、関田誠大選手が在籍したのは中学時代だけで、高校は別の学校に進学しています。
なぜ、そのまま高校に進まなかったのかについては、この後、ご紹介しますね!
関田誠大の高校時代は?
関田誠大選手の出身高校は、東京都千代田区にある東洋高等学校です。
2009年4月に入学し、2012年3月に卒業されています。
学校名 | 東洋高等学校 |
住所 | 〒101-0061 東京都千代田区神田三崎町1丁目4−16 |
公式ホームページ | https://www.toyo.ed.jp/ |
関田誠大が東洋高校に進学した理由は?
関田誠大選手が通っていた駿台中学校は中高一貫校ですが、そのまま高校には進学せずに、東洋高校へ。
では、なぜ東洋高等学校に進学したのでしょうか。
関田誠大選手が東洋高等学校に進学したきっかけは、1学年上だった柳田将洋(やなぎだ まさひろ)選手に誘われた事にあります。
関田誠大選手と柳田将洋選手は小学校の頃から面識があり、お互いのお父さんが知り合いだったそうです。
もともとそのまま上(駿台学園高)に上がる気はなくて、
東洋か東亜(学園高)どっちにしようかと思っていた時に、
マサ(柳田将洋)から誘われたんです。
結局、それが決め手になりました
東洋高等学校はスポーツに力を入れている高校で、関田誠大選手の他にもバレーボール選手がこちらの高校を卒業しています。
関田誠大の高校時代の主な戦績
関田誠大選手は高校1年生の時に春高バレーに出場し、見事優勝しました。
2010年3月のことで、これが東洋高校にとっても初優勝でした。
しかし、高校2年生の時の春高バレーは3位という結果。
高校3年生の時には、関田誠大選手はバレーボール部の主将に任命されました。
しかしこの年は東日本大震災があった年で、東洋高等学校は東京ではありますが、東京でも計画停電などがあり思うように練習することが出来ませんでした。
その後のインタビューで関田誠大選手は、毎日1時間ほどしか練習時間が取れなかったと語っています。
そして、高校最後の春高バレーでは、3回戦で敗退。
高校生活の最後は、良い成績が残せずに心残りがあるまま卒業しています。
関田誠大は中央大学卒!
関田誠大選手は東洋高等学校を卒業後、中央大学法学部に進学しています。
2012年4月に入学し、2016年3月に卒業されています。
関田誠大が中央大学を選んだ理由は?
関田誠大選手が中央大学に進学した理由は、
この2つです。
インタビューでは、進学について次のように語っています。
同じ歳で仲の良かった今村も中大へ行くと聞いていて、
ヒコ(今村)と一緒にやろうと思っていたので、迷いはありませんでした。
高校最後の1年間は主将でありながらも、良い成績が残せなかった事をバネに、大学進学後の関田誠大選手はバレーに打ち込みます。
関田誠大選手は大学3年生の時にインカレ優勝し、個人でもセッター賞を受賞しています。
そして大学生活最後の4年生の時には、バレーボール部主将となり再びインカレで優勝しました。
この時は最優秀選手賞受賞しています!
関田誠大と石川祐希の出会い
このような素晴らしい結果を残した大学時代の2年間、実はある人物と共にバレー生活を送っていました。
それは2024年のパリオリンピックで、共に男子バレーボール代表で活躍した石川祐希(ゆうき)選手です。
関田誠大選手が大学3年生の時に、石川祐希選手が新入生として入学しました。
その後、石川祐希選手は、すぐにレギュラーとして試合出場しています。
中央大学在学中に、石川祐希選手と出会ったことは、関田誠大選手にとっても、石川祐希選手にとっても、今後のバレーボール人生に大きな影響を与えることになりました。
関田誠大選手がボールを上げれば、どんなトスでも決めてくれる石川祐希選手。
そんな石川祐希選手の存在が、関田誠大選手のセッターとしての新たな引き出しを増やす分岐点になったそうですよ。
高校時代は、最後に結果が出せず悔しい思いをした関田誠大選手。
大学では最高のチームメイトに出会い、また関田誠大選手自身もスキルアップしたことで、最高の成績を収めることができましたね!
関田誠大は大卒後パナソニックへ
関田誠大選手は2016年3月に中央大学卒業し、パナソニックランサーズに入団しました。
インスタグラムのこの記事の、1番右端が関田誠大選手です。
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そして入団した同年に、関田誠大選手は日本代表へ選出されました。
しかし、パナソニックパンサーズとしては、試合に出場する機会がほとんど得られませんでした。
試合を数をこなして、相手との駆け引きや、様々な状況を経験することが重要とされているセッター。
そんなポジションの関田誠大選手にとって、パナソニックでは思うように試合に出られない事が苦痛だったようです。
そして、新たな活躍の場を求めて、2018年に堺ブレイザーズへ移籍しました。
その後、ポーランドのクプルム・ルビンで海外経験を積んだ後、2022年から2024年現在まで、ジェイテクトSTINGSでプレーしています。
関田誠大選手は、2021年に結婚されています!
詳しくは、こちらの記事をご一読くださいね↓↓↓
関田誠大の代表歴
2016年から2024年現在まで、日本代表を続けている関田誠大選手。
これまでの代表歴をまとめました。
堺ブレイザーズに移籍した2018年からの活躍が、めざましいですね!
関田誠大選手は、男子バレーボールの主要となる大会に、ほぼすべてに出場されています。
2024年現在30歳の関田誠大選手、これからも日本代表として活躍されるでしょう!
まとめ
関田誠大選手はバレーボール強豪校の、私立/駿台中学校出身でした。
その後は中高一貫校である高等学校には進学せず、東洋高等学校に進学しています。
そして大学は、今村貴彦選手に誘われて中央大学へ!
中央大学時代には、石川祐希選手との出会いもありました!
大学卒業後はパナソニックランサーズに入団しましたが、試合出場が少なく、わずか2年で堺ブレイザーズへ移籍しました。
関田誠大選手は、2018年以降バレーボールの主要となる大会の日本代表選手を務め続けています。
2024年のパリオリンピックでの活躍も、目を見張る物がありましたね。
これからの活躍も楽しみにしています!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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