宮部藍梨の中学や小学校はどこ?金蘭会高校出身でミネソタ大学卒!

バレーボール
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女子バレーボールの宮部藍梨(みやべ あいり)選手が、2024年夏に行われるパリオリンピック日本代表のひとりとして選出されました!

そこで、そんな宮部藍梨選手の中学・小学校時代について調査!

さらにバレーボール強豪校である金蘭会高校での活躍ぶりと、留学されたミネソタ大学についても、ご紹介いたします!

▽この記事でわかること▽
宮部藍梨の中学校時代
■宮部藍梨の小学校時代
■宮部藍梨は金蘭会高校出身
■宮部藍梨はアメリカ/ミネソタ大学卒業!
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宮部藍梨の中学校時代

宮部藍梨選手は、金蘭会中学校を卒業されています。

後ほど詳しくご紹介しますが、宮部藍梨選手は金蘭会高校を卒業されていますので、6年間、金蘭会の学校に通われたことになりますね。

金蘭会中学校・高校は、大阪にある私立の女子校です。

【金蘭会中学校・高等学校】

 

高校同様、金蘭会中学も、かなりのバレーボール強豪校です。

でも、宮部藍梨選手は「バレーボールの強い学校に入って、バリバリ部活を頑張ろう!!!」と思って、この学校を選んだわけではないようです。

 

尼崎市が発行している「スマイルBOX」というフリーペーパー夏号vol.42(2015年7月発行)に、宮部藍梨選手のロングインタビューが掲載されていますので、ここから中学生時代のエピソードを拾っていきますね。

金蘭会がこんなに強いチームだとは知らなくて(笑)。

最初は練習についていくのもしんどかったし、気持ち的にも追い込まれて、何度も心が折れました。

 

なんと!

金蘭会中学が、強豪校とは知らずに入学・入部されたのですね!

とはいえ、「中学に入ったらバレー部に入ろう」というのは、小学生時代にすでに決めていたそうです。

 

バレーボールは、野球やサッカーなどと違い、中学に入ってから始める人も多いスポーツ。

宮部藍梨選手は、当時から体格にも恵まれていましたし、この後ご紹介するように、小学校時代からバレーボールをしていた経験者。

 

そんな宮部藍梨選手でも、心が折れるほどの厳しい練習だったのですね。

さすが、金蘭会!!!

それでもバレーを辞めなかったのは、私が練習に行かなかった時も、監督が戻れる場所を作ってくれていたから。

チームメイトのみんなが「大丈夫?」などと、いろんな声を掛けてくれたからです。

・・・こういう話を聞くと、本当に強いチームって、ただ厳しいだけじゃないんだなと痛感させられますよね。

ただ厳しいだけじゃなくて、一度離れてもまた受け入れてくれる大きな器があって、そんな中で絆が生まれていく。

 

こういうことを繰り返すことで、監督やチームメイトとの信頼関係が育まれていくんですね。

 

何度もくじけそうになりながらも、「金蘭会バレー」にしがみついて、努力を重ねた宮部藍梨選手。

中学3年生で臨んだ「全国都道府県対抗中学バレーボール大会」では、最も将来有望な選手に与えられるJOC・JVAカップを受賞するまでに成長されました!

 

「すまいるBOX」夏号vol.42のインタビュー記事は、こちらから読むことが出来ます!

 

宮部藍梨の小学校時代

宮部藍梨選手がバレーボールを始めたのは、小学校3年生の時です。

 

宮部藍梨選手は、兵庫県尼崎市出身で、通っていたのは尼崎市立・金楽寺(きんらくじ)小学校。

こちらの小学校のバレーボールチームに入ったのがバレーボールとの出会いでした。

しかも、入った理由が「人数が足りないから」と誘われたからで、自分から「やりたい!」というわけではなかったというのが面白い!

 

先ほどもご紹介した「スマイルBOX」というフリーペーパー夏号vol.42(2015年7月発行)に、小学生時代のエピソードも登場しているので、ご紹介します。

子どもの頃から体格には恵まれていたけど、特にこの身長を活かして何かスポーツをしてみよう、というような考えは全くなくて(笑)。

ふむふむ、特別にスポーツ大好き少女というわけではなかったのかな?

でも、バレーボールに出会って、そこからはドンドン夢中になっていったってこと?

と思ったら・・・

同学年の選手が私を含めて2人しかいなかったから、彼女を置いて辞めにくかった(笑)

なんと!

そこまで夢中になっている感じでもないですね(笑)

ですが、この後、宮部藍梨選手の心の変化が!

6年生の時に出場した県大会。

私たちは決して強いチームではなかったのに、初戦で全国大会でも優勝経験のある「東条ジュニア」と対戦することになって。

結果的には1セットもとれずに負けてしまったけど、強豪チームを相手に、どのセットも17点くらい取ることができましたから、試合が終わった後も「やった~!」と喜んでいる自分がいました。

この試合が、宮部藍梨選手にとって、最初のターニングポイントになったようですね。

こんな、ちょっとふんわりした感じ?の少女が、金蘭会・中高を経て、日本バレー界が注目するバレーボール選手に成長していったのですね!

 

宮部藍梨は金蘭会高校出身!

宮部藍梨選手は、金蘭会中学校を卒業後、そのまま金蘭会高校へと進学されました。

 

宮部藍梨・金蘭会高校に入学

宮部藍梨選手が金蘭会高校に入学されたのは、2014年4月。

そして、その2014年6月に、日本バレーボール協会が東京オリンピックに向けた選手育成強化を目的とした取り組み「Team CORE」を発足させ、そのメンバーに選ばれています。

この「Team CORE」は、日本バレーボール界の悲願である「東京オリンピック2020で金メダルを!」という目標に向けて、指名した強化選手を対象にした定期的な合宿や海外遠征を行うというもの。

宮部藍梨選手は、高校1年生の時点で、すでにここまで注目されていた選手だったのですね!

※実際には、東京2020オリンピックには出場されていません。

 

宮部藍梨選手は、高校1年生の時から大活躍!

2014年10月に行われたU17のアジアユースバレーボール選手権にキャプテンとして出場、日本の優勝に大きく貢献!

大会MVPに選出される活躍ぶり!

 

金蘭会高校バレー部としても、宮部藍梨選手が入学した2014年は大躍進の年になりました。

もちろん、すでにバレーボール強豪校として有名ではありましたが、ベスト4やベスト8にはなるものの、それ以上にはなかなかなれない状況が続いていました。

しかし、 2014年8月に行われた「全国高等学校総合体育大会(インターハイ)」で熊本信愛女学院高校を破って初優勝!

宮部藍梨選手は、1年生ながら、チームの中心選手として大活躍!

ちなみに、この決勝の相手・熊本信愛女学院高校の当時のエースは、古賀紗理那選手です!

 

さらに、2014年10月に栃木で行われた第69回国民体育大会では、下北沢成徳高校を決勝で破り、こちらも初優勝を飾りました!

ちなみに、この決勝の相手・下北沢成徳高校の当時のエースは、黒後愛選手です!

 

さらにさらに、2015年1月に行われた全日本高校選手権(通称:春高バレー)でも、しっかりとエースとして活躍!

ここでも、金蘭会高校は、初優勝という結果で終えました!

つまり、この年の金蘭会高校は、インターハイ・国体・春高の3冠を達成したのです!

こちらの動画(2分8秒にまとめた速報動画です)で、宮部藍梨選手の活躍ぶりがわかります!

宮部藍梨選手は、背番号5番です→動画はこちら!

 

宮部藍梨・金蘭会高校2年で代表入り!

2015年、金蘭会高校2年生に進級した4月、宮部藍梨選手は、全日本メンバーに選出されます!

その年の7月に行われた「ワールドグランプリ大会(現在のネーションズリーグ)」に向けた代表メンバーの発表で、高校生としては唯一、宮部藍梨選手がメンバー入りしました。

 

当時の女子日本代表の監督は、眞鍋政義氏。

2024年現在も、再び眞鍋政義監督が日本女子バレーを指導されていることに、運命的な縁を感じますね。

宮部藍梨選手は、7月10日に行われた日本対イタリア戦の第2セットから出場!

18点をあげる活躍をされ、見事なシニア国際大会デビューを果たしました。

こちらは、古賀紗理那選手との貴重なツーショット↓↓↓

金蘭会高校バレー部としては、この年は優勝には手が届かず。

それでも、国体と春高バレーでは、準決勝まで駒を進めることが出来ています。

インターハイ 3回戦敗退 vs八王子実践高校
国体 準決勝敗退 vs九州文化学園高校
春高バレー 準決勝敗退 vs八王子実践高校

宮部藍梨・金蘭会高校の集大成!

では、宮部藍梨選手の高校最後の1年は、どのような感じだったのでしょうか。

金蘭会高校での集大成として、どのような戦績を残したのか気になりますね!

宮部藍梨選手の高校最後の1年は、まずはインターハイで準優勝!

そして、国体ではインターハイの時の雪辱を果たし、下北沢成徳高校を決勝で下して見事優勝!

高校卒業前の最後の試合である春高バレーでは、準決勝敗退となってしまいましたが、それでも全国大会でこれだけの結果を出し続けた3年間は、「お見事!」と言えると思います!

インターハイ 準優勝 vs下北沢成徳高校
国体 優勝! vs下北沢成徳高校
春高バレー 準決勝敗退
(ベスト4)
vs就実高校

 

宮部藍梨はアメリカ/ミネソタ大学卒業!

宮部藍梨選手の、金蘭会高校での活躍ぶりは、先ほどご紹介した通り。

当然、「高校卒業後、宮部藍梨はどうするの???」と、高校卒業後の進路が注目されていました。

高卒で、Vリーグデビュー?

または、大学進学?

ですが、宮部藍梨選手が選んだのは、周りを驚かせる進路だったようです。

サウスアイダホ大学へ2年間の留学

宮部藍梨選手は、2017年3月に金蘭会高校を卒業後、いったんは神戸親和女子大学に入学されましたが、同年9月から、アメリカのサウスアイダホ大学という2年制大学に留学する決断をされました。

宮部藍梨選手は、留学を決意した理由を、次のように話しています。

「もともと勉強が嫌いじゃなかったというのもあります。

それに、やっぱり体って消耗品だから。

35歳ぐらいで現役をやられている方ってすごく少ないと思うし、会社員のように定年までできる仕事ではない。

怪我をするかもしれないし、どんなに好きでもいつかは選手を辞めないといけない時がくる。

そうなった時に、自分からバレーを取ったら何もない、という状態になるのは理想的じゃないなと思ったんです。

引用元:Number Web

高校時代から日本代表に召集され、1年生の時点で「三冠」を経験し、周りから大注目されて、順風満帆に見えるアスリート人生を歩みつつも、将来のことを冷静に考えていたんですね。

今でこそ、アスリートのセカンドキャリアについて話題になることも増えましたが、高校卒業の時点でそのことまで考えて、進路を選択していたとは、あっぱれです!

さらに、「アメリカでやりたいこと」についても、目標がしっかり定まっていたようです。

「自分が経験したことのなかった環境に行きたかったんです。

その中で、ちゃんと勉強もしたいし、バレーも高いレベルでやりたかった。

アメリカの大学スポーツにはルールがあって、勉強で決められた評定ラインをクリアしないと、試合に出られない。

文武両道が求められる。

勉強も疎かにならず、バレーもできる厳しいところに自分の身を置くためには、アメリカが一番いいのかなと思いました。

『何を勉強したかわからへんけど大学行った』っていうのは、あんまり意味がないかなと思って」

引用元:Number Web

宮部藍梨選手は、お父さんがナイジェリア人でお母さんが日本人のハーフですが、だからといって、特別に英語が得意だったわけではなく、普通に中学・高校で習っただけの実力だったそうです。

それでも、アメリカの大学の講義に出席し、優秀な成績をキープしながら、バレーボールをやる、という生活環境に飛び込んだのですね。

 

日本にいる時には、かなり恵まれていると思えた自分の体格も、アメリカに行って、バレーボール選手の中に入ってしまうと「チームで下から2番目の身長」だったそうです。

それでも、サウスアイダホ大学2年目には、2年制大学の全米大会で優勝し、なんとMVPまで獲得しちゃったのだから、本当にすごい!!!

 

ミネソタ大学へ編入!

サウスアイダホ大学は、2年制大学でしたので、2019年夏に卒業となりましたが、その後、9月からはミネソタ大学に編入されます。

このミネソタ大学に編入するにあたり、宮部藍梨選手は自分がバレーボールをしている動画を撮影、それを自ら複数の大学に持ち込んで、編入先を探したというから、感心しきり!

自分の道は自分で切り開く!

なんてたくましい!

こうして、まさに自分の力で、バレーボールの強豪大学であるミネソタ大学に編入することになりました。

 

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ミネソタ大学のバレーボールを指導されていたのは、ヒュー・マッカーチョン監督。

この方は、アメリカのナショナルチームを率いた経験のある名将!

2008年北京五輪では、アメリカ男子代表を指揮して金メダルを獲得!

さらに、2012年のロンドン五輪では、女子チームを指揮して銀メダルを獲得されています。

宮部藍梨選手は、そんなすごい方に、指導してもらったんですね~

宮部藍梨選手は、2019年9月にミネソタ大学に編入した後、同大学の大学院に進学されました。

 

ミネソタ大学大学院を卒業し帰国!

宮部藍梨選手は、2022年5月に、ミネソタ大学大学院を無事に卒業されました!

アメリカでの留学生活は、2017年9月からですから、約4年9カ月ですね。

そして、日本に帰国すると同時に、再び日本代表に呼ばれた!というわけです。

宮部藍梨選手は、日本に帰国するやいなや、代表合宿に参加されています。

さらに、宮部藍梨選手は、V1リーグのチームである「ヴィクトリーナ姫路」に入団されたことも発表されました!

ですから、これからは、宮部藍梨選手の活躍を日本のV1リーグでも見ることができますよ!

日本代表選手として、そして、ヴィクトリーナ姫路の選手として、宮部藍梨選手が活躍されますように、応援していきたいと思います!

【ヴィクトリーナ姫路】
2016年3月に設立された日本のプロバレーボールチーム。
本拠地は、兵庫県姫路市
チームの公式WEBサイト:https://www.victorina-vc.jp/

まとめ

今回の記事では、『宮部藍梨の中学や小学校はどこ?金蘭会高校出身で現在はミネソタ大学?』と題して、宮部藍梨選手の学生時代について、深堀してみました。

現在の活躍ぶりからは想像できないですが、小学校・中学校時代は「バレーボールに夢中!!!」といった感じでもなく、バレーボールに取り組まれていたのが意外でしたね。

あまり勝ち負けにこだわらずバレーボールを楽しんでいた時代があったからこそ、今があるのかなとも感じます。

周囲の意見や、ライバル選手たちの進路に惑わされることなく、自分で考えて、自分に合ったやり方でバレーボールと向き合ってきた宮部藍梨選手。

アメリカでの約4年9カ月に渡る留学生活は、宮部藍梨選手の人生の宝物になったことでしょう。

宮部藍梨選手のこれからの活躍が楽しみでなりません!

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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