李承信(り すんしん)さんは、コベルコ神戸スティーラーズに所属しているラグビー選手です。
在日韓国人の李承信選手は、日本生まれの日本育ち。
そんな李承信選手は、2022年6月25日に日本vsウルグアイ戦に出場され、日本代表初キャップを獲得されました!
さらに、2023年9月8日から開催されたラグビーワールドカップ・パリ大会にも出場されました!
「日本代表選手」である李承信選手ですが、国籍は日本?それとも韓国?
李承信選手のご両親はどんな方?
李承信選手の兄2人もラグビー選手なんですよ!
そんなラグビー3兄弟の父も、元ラガーマン!
今回の記事では、李承信選手のご家族について深掘りしていきます!
■李承信(りすんしん)の国籍は?
■李承信(りすんしん)の両親はどんな人?
■李承信(りすんしん)の兄2人もラグビー選手!
■李承信(りすんしん)プロフィール
李承信(りすんしん)の国籍は?
李承信選手は、在日韓国人3世です。
国籍は韓国ですが、ずっと日本で育ち、過ごしています。
出身は兵庫県神戸市出身で、3人兄弟の末っ子として誕生しました
3歳から神戸朝鮮初中級学校付属幼稚園に入り、そのまま神戸朝鮮初中級学校(小・中)に進学。
高校は、大阪朝鮮高校に通いました。
つまり、高校卒業まで、ずっと在日コリアンのコミュニティの中で過ごしてきました。
#ラグビー #日本代表 #李承信
明日・再放送
先日、NHK BS1で放送された「桜のジャージに誇りを込めて 〜ラグビー日本代表・李承信〜」
NHK総合テレビで
8月26日(土) 16:20〜17:04
再放送されます。是非ご覧ください。https://t.co/7lhkRSo0vB
— 朝鮮学校 (@koreans_school) August 25, 2023
中学の時に、すでにラグビーで相当の実力があった李承信選手。
地元・兵庫県の複数のラグビー強豪校から声がかかっていて、高校を決める時に色々と悩んだようです。
この後、ご紹介しますが、李承信選手は小学校6年生の時に、母親が他界しています。
ですから、男手ひとつで育ててくれている父親の負担を減らすためにも、できるだけ自宅に近い、地元の高校に進んだ方がいいのでは?とも悩んだそうです。
しかし、選んだのは大阪朝鮮高等学校でした。
李承信選手のご自宅と大阪朝鮮高等学校がどのくらい遠いのか、距離感があまりわかりませんよね。
ですから、大阪朝鮮高等学校と、李承信選手が通った神戸朝鮮初中級学校との距離を調べてみました。
李承信選手のご自宅の場所が神戸朝鮮初中級学校の近くだとすると、電車で片道1時間半以上かかったのかもしれませんね。
往復3時間と考えると、毎日通うには近いとは言えない距離ですね。
この頃を振り返り、お父さんは以下のようなコメントをされています↓↓↓
3兄弟の通学のため、最寄り駅まで朝5時半、夜は9時に送り迎えの日々。
ラグビーに打ち込む息子たちを、父は必死に支えた。
「ラグビーや食べることで我慢をさせたくなかった。
妻の生前は家族全員で誰かの試合の応援に行って、一緒に風呂に入り、ご飯を食べ、何気ない日常が一番幸せだった。
亡くなった後、その生活がなくなるのが一番残念なので。
3兄弟の手助けを目いっぱいしました」
引用元:スポーツ報知(2023.9.28付)
李承信選手が、この学校を選んだ理由は2つ。
1つ目の理由は、兄二人がこの学校に進学していたから。
特に、次男である2歳年上の兄・李承爀(りすんひょん)さんは、3年生に在籍中でした。
先ほどご紹介したように、通学の為に片道1時間半程度、往復で3時間も時間がかかるのは、大変ですよね。
でも、お兄さんたちもその道のりを通学されていたのでしたら、本人はあまり遠く感じていなかったかもしれませんね。
そして、もう一つの理由は「大阪朝鮮高等学校の一員」として花園に出たかったとのこと。
在日3世として「大阪朝鮮高等学校で結果を出す」ことが、多くの人の励みや希望になることをわかっているからです。
李承信選手は、今回の日本代表選出の際にも、以下のようにコメントされています↓↓↓
在日コリアンである自分がワールドカップに日本代表として出場し、活躍することで、朝鮮学校の後輩たちや在日コミュニティーの人たちなど多くの人に夢と希望を与えられる存在になりたいです。
それはこれまで私を育ててくれた人たちへの恩返しでもあるんです。
ひとりで子育てをしてくれている父親の心配や、思いも持ちつつ、在日コリアンとしての自分のアイデンティティーやルーツも大切にする。
李承信選手の真面目で、優しい人柄が伝わってきます。
在日コリアンとしてのルーツなどを大切にしてきた李承信選手ですが、「日本代表としてプレーしたい」という気持ちも持っていたそうです。
長く在日コリアンというコミュニティーの中で育ってきましたが、自分がラグビーを始めたのは日本のラグビースクールですし、ラグビーの技術や魅力を教えてくれたのも日本の方たちが多かったです。
だから、日本代表のために、代表でプレーしたいって思いをごく自然に持っていました。
在日コリアンという自分のルーツ等も大事にしつつ、日本で育った自分や、周りへの感謝なども持ち、日本代表として頑張りたいという熱意が感じられますね。
李承信選手の想いを知ると、ますます応援したくなります!
李承信(りすんしん)の両親はどんな人?
李承信選手のご両親は、お2人共、在日韓国人2世。
つまり、李承信選手は在日韓国人3世ということになります。
ご両親が「承信」の名前に「信」という字を使ったのは「信頼される人になってほしい」という願いからだそうです。
「常に信頼される人になってほしいっていうのは言われていました。
まだ22歳ですけど、より信頼されて強くて優しい人間になりたいなと心の底から思いますね」
引用元:NHK NewsWeb(2023.6.5付)
李承信選手のInstagramから、ご家族で写っている写真を見つけました!
お父さんの横にいるのが、長兄さんだと思われます。
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李承信の父親は元ラガーマン
李承信選手の父親は、李東慶(りとんぎょん)さん。
元ラガーマンで、神戸朝鮮高校、朝鮮大学ではプロップのポジションで活躍しました。
スクラムの要のため、パワーが求められるポジションです。
お父さんがラガーマンだった頃の戦績などのデータは、見つけることが出来ませんでした。
大学卒業を機に、プレーヤーは引退されたのかもしれません。
現在は、親族の方たちと建設関係の会社を経営しているそうです。
先ほども少し触れましたが、李承信選手が小学校6年生のときに母親が他界しています。
奥様を亡くされてから、3人の息子を男手一つで育て、さらに息子たちのラグビー生活をサポートした立派なお父さんだと想像ができます。
「お米の炊き方も分からず、クックパッドを見て料理をしました」
引用元:スポーツ報知(2023.9.28付)
お父さんがどれだけ頑張られたのかが、よくわかるコメントですね。
李承信選手は、父親からはラグビーを教わったこともなく、ダメ出しもされたことがなかったと語っています。
息子たちには自由にラグビーをさせていたそうですが、李承信選手が大学を中退して留学をしたいと言ったときは反対をされ、意見が対立したこともあったそうです。
それでも、李承信選手の意志が固いことを知ると、最後には納得して、応援をしてくれたそうです。
今回、李承信選手が日本代表に選ばれたことをうけて、NHKのインタビューに以下のようにコメントされています。
韓国籍なのに日本代表ってどうなのでしょうか、と言われることもありました。
日韓をめぐる歴史は複雑で、文化的にもいろいろな問題があるかもしれませんが、そこを乗り越えられるのがスポーツだと思います。
だから承信には在日コリアンの学校に行っている子どもたちの目標となる存在になってほしいと伝えてきました。
李承信選手のお父さんは、さまざまなメディアのインタビューに応じてくださっていますが、息子・李承信選手のことを語る言葉や表情からも、李承信選手のことを心から見守り、サポートし、応援する思いが感じられますね!
また、2023年に開催されたラグビーワールドカップ・パリ大会。
2023年9月23日に行われたサモア戦でメンバー入りを果たした李承信選手に対して、
「誇らしい」
と語り、現地にも応援に行かれたようです。
「長男の承記ら親族6人でフランスへ応援に行きます。
チケットは何とか取れました。
現地でサモア戦も応援したいと思います」
実は、李承信選手、このサモア戦1試合のみの出場となり、しかも後半の36分からの登場でした。
結果、個人的には悔しい思いに終わってしまったのかもしれません。
しかし、お父様の声援や支えで、次回のワールドカップではきっと成長した姿を見せてくれるでしょう。
李承信の母は小6の時に他界
李承信選手の母親は、金永福(きむ よんぼく)さん。
李承信選手が小学校6年生の時に病気で他界されています。
お母さんが患っていたのは、乳がんの中でも進行が早いとされている「炎症性乳がん」でした。
亡くなる数年前から、入退院を繰り返していたそうです。
男3兄弟の末っ子だった李承信選手。
「承信が高校を卒業するまで生きたい」
お母さんは、その一心で病気と闘っていました。
しかし、その願いがかなわずに、李承信選手が小学6年のときに44歳の若さでこの世を去りました。
入退院を繰り返していたので、子供ながらに母親の病気について理解していましたが、まさか死なないだろうと思っていたという李承信選手。
母親が亡くなった時、なかなかその事実を受け入れられなかったそうです。
小学6年生って、やっぱりまだお母さんに頼るじゃないですか。
だから当時は寂しくてつらいというより3、4か月は現実を受け入れられない状況でした。
その後、だんだんと月日がたつにつれて悲しみやつらさが襲ってきました。
母親という自分の人生の中で大きな存在を失い、心にぽっかりと穴が空いた感じでした。
李承信選手のラグビーを誰よりも応援していたのは、母親の永福さん。
息子のプレーを温かく、厳しく見守ってくれていました。
元ラガーマンの父親よりも、お母さんに「練習しなさい」と言われていたそうです。
小学4年生の時にラグビースクールの県大会があり、始めて3位になって喜んでいたら、「なんで1位じゃないのに喜んでいるのか」と言われるほどだったとか。
生前にお母さんが繰り返し言っていた言葉。
それは「日本代表としてワールドカップに出てほしい」!
お母さんが亡くなられた後は、悲しさや辛さを埋めるためにもラグビーに全力を注いだ李承信選手。
母親の願いでもあった「日本代表としてワールドカップに出る」という目標を胸に、懸命に練習を重ねました。
そして、ついに、2023年9月。
お母さんが願っていたワールドカップに出場できるチャンスが巡ってきたのです!
しかも!
朝鮮学校出身者として初の日本代表だったのです!
2023年のラグビーワルドカップでは、きっとお母様も天国で見守っていてくれたことでしょう。
李承信(りすんしん)の兄2人もラグビー選手!
元ラガーマンという父親の影響で、李承信選手のお兄さん2人も、子供の頃からラグビーをしていました。
その兄たちの後ろを追いかけて、3男である李承信選手がラグビーを始めたのは4歳の頃でした。
長男:李承記(り すんぎ)はどんな人?
4歳年上の兄、李承記(りすんぎ)さんは1996年5月24日生まれです。
2024年5月の誕生日で、28歳になります。
二人の弟同様に、高校は大阪朝鮮高等学校を卒業されています。
そして、高校3年間、全国高校ラグビー大会に出場しています。
高校卒業後は、法政大学に進学しています。
ちなみに法政大学ラグビー部は、関東大学リーグ最多となる13回の優勝を誇る名門です。
ポジションは父親と同じプロップで活躍していました。
下記のX(旧Twitter)の画像では、承記さんが法政大学時代、東海大学との試合で活躍している模様が見られます。
※背番号1の選手が承記さんです
法政大学ではかなり活躍していたことがこの映像でもよくわかりますね!
法政大学 5-27 #東海大学
一矢報いたい法政大は、李承記が意地のトライ🔥
前半終了間際に1本返して、後半の巻き返しを狙う🏉J SPORTSでLIVE配信中👉https://t.co/MsiOplEQTd#大学ラグビー #rugbyjp pic.twitter.com/vIPDQRRv6Y
— J SPORTS🏉ラグビー公式 (@jsports_rugby) November 10, 2018
大学卒業後には、社会人でラグビーをされているとの情報は見つけることができませんでした。
もしかしたら、今でも趣味の範囲でラグビーを楽しんでいらっしゃるかもしれませんね。
次男:李承爀(り すんひょ)はどんな人?
2歳年上の兄、李承爀(りすんひょ)さんは、2024年現在も現役のラグビー選手です。
氏名 | 李承爀(りすんひょ) |
生年月日 | 1999年1月27日 (2024年1月の誕生日で25歳) |
身長 | 179㎝ |
体重 | 110㎏ |
所属 | 三重ホンダヒート |
ポジション | フッカー |
三重ホンダヒート公式HP | 三重ホンダヒート・李承爀選手紹介ページ |
スクラムハーフの選手がスクラムにボールを入れたら、足でボールをひっかけて(フックして)味方ボールにする役目を担う。
2017年に大阪朝鮮高校卒業後、帝京大学に入学。
高校時代は主将も務めたこともあるほど、人望も厚いチームの中心選手でした。
2021年の帝京大学卒業後に、ホンダヒート(現・三重ホンダヒート)に加入。
2022年1月16日に行われたジャパンラグビーリーグ第一節、釜石シーウェイブスRFC戦にて途中出場で公式戦初出場を果たしました。
李承爀さんがラグビーを始めたのは、9歳のとき。
兄の承記さんを尊敬しているとのことで、李承爀選手もお兄さんや、お父さんの影響でラグビーを始めたのでしょうね。
弟の李承信選手は、X(旧ツイッター)にて「兄と戦いたい」と言っています。
兄の影響でラグビーを始めた李承信選手。
李承爀選手を心から尊敬しているのがよくわかります。
全然似てないですが、兄弟です笑
来シーズンは兄と試合したいですね
入れ替え戦頑張って👍
皆さんもホンダヒートの応援お願いします‼︎ https://t.co/6I3wmVI28Y— 李承信 (@sungsin0113) May 9, 2022
李承信(りすんしん)プロフィール
父や兄たちの影響で、懸命にラグビーに打ち込んできた李承信選手。
2023年9月に開幕したラグビーW杯フランス大会では、お母さんの夢でもあった日本代表入りを果たしました!
2023年5月21日にOAされた情熱大陸に出演するなど、有望な若手選手として期待されています。
5月21日(日)よる11時~
MBS/TBS系 #情熱大陸
プロラグビー選手/#李承信桜のジャージーに袖を通し
フィールドに立つ
朝鮮学校出身初の日本代表🏉かつて五郎丸歩が務めたキッカーを担い
驚異の成功率で勝利へ導く。亡き母への約束胸に
フランスW杯代表を目指す。苦難の道のりと貫く信念とは― pic.twitter.com/i2akFe6mbV
— 情熱大陸 (@jounetsu) May 14, 2023
氏名 | 李承信(りすんしん) |
生年月日 | 2001年1月13日 |
年齢 | 23歳 (2024年7月現在) |
出身 | 兵庫県 |
ニックネーム | すんしん |
身長 | 176㎝ |
体重 | 88㎏ |
足のサイズ | 27.0㎝ |
好きな食べ物 | ビビンバ |
所属チーム | コベルコ神戸スティーラーズ |
ポジション | スタンドオフ |
高いスキルや試合展開の読みまでが求められ、ラグビーセンスの塊のような選手が適任のポジション。
李承信選手は、小学校6年生のとき、母を乳がんで亡くされたとご紹介しましたが、そのおよそ1か月後に、李承信選手自身が腎臓の病気にかかり、長い入院生活を余儀なくされました。
母親を亡くし、ショックを受けているときに、軽い運動も許されず、ラグビーもできない日々。
小学6年生の男の子には、精神的にも、肉体的にもかなり辛い日々だっただろうと想像できます。
そのときに、お父さんがずっと励まし続けてくれたのだそうです。
お父さん自身も、奥さんを亡くされたばかりで、お兄さん2人の世話もある中、本当に大変だったと思います。
幸いにも病気は回復に向かいました。
きっと、オモニ(お母さん)が可愛い三男坊・承信少年を助けてくれたのではないでしょうか。
まとめ
今回の記事では、在日韓国人3世であるラグビーの李承信選手について、ご紹介しました。
李承信選手の国籍は、韓国でしたね。
ご両親は、共に在日韓国人2世で、お父さんは元ラグビー選手!
お母さんは、李承信選手が小学校6年生の時に乳がんで亡くなられたことがわかりました。
李承信選手の二人のお兄さんもラグビー選手でしたね。
2歳年上のお兄さんは、2024年現在、三重ホンダヒートでプレーする現役ラガーマン!
お兄さんたちも、弟である李承信選手の活躍を、とっても喜んでいらっしゃることでしょう。
多くの悲しみや試練を乗り越えた李承信選手。
2023年9月に開催されたラグビーワールドカップでは、とうとう念願の日本代表入りも果たしました!
「日本代表としてワールドカップに出場する!」というのは、亡くなったお母さんの夢でもありました。
お母さんは、きっと天国で大喜びしてくださったことでしょう。
結果としてワールドカップは1試合のみの出場で終わりましたが、次回のワールドカップでの活躍に期待して、これからも、李承信選手を応援しましょう!
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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