李承信(りすんしん)の国籍や両親は?兄2人もラグビー選手!

ラグビー

李承信(り すんしん)さんは、コベルコ神戸スティーラーズに所属しているラグビー選手です。

在日韓国人の李承信選手は、日本生まれの日本育ち。

そんな李承信選手は、2022年6月25日に日本vsウルグアイ戦に出場され、日本代表初キャップを獲得されました!

さらに、2023年9月8日から開催されたラグビーワールドカップ・パリ大会にも出場されました!

 

「日本代表選手」である李承信選手ですが、国籍は日本?それとも韓国?

李承信選手のご両親はどんな方?

李承信選手の兄2人もラグビー選手なんですよ!

そんなラグビー3兄弟の父も、元ラガーマン!

今回の記事では、李承信選手のご家族について深掘りしていきます!

▽この記事でわかること▽
李承信(りすんしん)の国籍は?
■李承信(りすんしん)の両親はどんな人?
■李承信(りすんしん)の兄2人もラグビー選手!
■李承信(りすんしん)プロフィール

 

李承信(りすんしん)の国籍は?

李承信選手は、在日韓国人3世です。

国籍は韓国ですが、ずっと日本で育ち、過ごしています。

 

出身は兵庫県神戸市出身で、3人兄弟の末っ子として誕生しました

3歳から神戸朝鮮初中級学校付属幼稚園に入り、そのまま神戸朝鮮初中級学校(小・中)に進学。

高校は、大阪朝鮮高校に通いました。

つまり、高校卒業まで、ずっと在日コリアンのコミュニティの中で過ごしてきました。

中学の時に、すでにラグビーで相当の実力があった李承信選手。

地元・兵庫県の複数のラグビー強豪校から声がかかっていて、高校を決める時に色々と悩んだようです。

 

この後、ご紹介しますが、李承信選手は小学校6年生の時に、母親が他界しています。

ですから、男手ひとつで育ててくれている父親の負担を減らすためにも、できるだけ自宅に近い、地元の高校に進んだ方がいいのでは?とも悩んだそうです。

しかし、選んだのは大阪朝鮮高等学校でした。

 

李承信選手のご自宅と大阪朝鮮高等学校がどのくらい遠いのか、距離感があまりわかりませんよね。

ですから、大阪朝鮮高等学校と、李承信選手が通った神戸朝鮮初中級学校との距離を調べてみました。

李承信選手のご自宅の場所が神戸朝鮮初中級学校の近くだとすると、電車で片道1時間半以上かかったのかもしれませんね。

大阪朝鮮中高級学校ホームページ
大阪朝鮮中高級学校ラグビー部ホームページ

往復3時間と考えると、毎日通うには近いとは言えない距離ですね。

 

この頃を振り返り、お父さんは以下のようなコメントをされています↓↓↓

3兄弟の通学のため、最寄り駅まで朝5時半、夜は9時に送り迎えの日々。

ラグビーに打ち込む息子たちを、父は必死に支えた。

「ラグビーや食べることで我慢をさせたくなかった。

妻の生前は家族全員で誰かの試合の応援に行って、一緒に風呂に入り、ご飯を食べ、何気ない日常が一番幸せだった。

亡くなった後、その生活がなくなるのが一番残念なので。

3兄弟の手助けを目いっぱいしました」

引用元:スポーツ報知(2023.9.28付)

 

 

李承信選手が、この学校を選んだ理由は2つ。

 

1つ目の理由は、兄二人がこの学校に進学していたから。

特に、次男である2歳年上の兄・李承爀(りすんひょん)さんは、3年生に在籍中でした。

先ほどご紹介したように、通学の為に片道1時間半程度、往復で3時間も時間がかかるのは、大変ですよね。

でも、お兄さんたちもその道のりを通学されていたのでしたら、本人はあまり遠く感じていなかったかもしれませんね。

 

そして、もう一つの理由「大阪朝鮮高等学校の一員」として花園に出たかったとのこと。

在日3世として「大阪朝鮮高等学校で結果を出す」ことが、多くの人の励みや希望になることをわかっているからです。

 

李承信選手は、今回の日本代表選出の際にも、以下のようにコメントされています↓↓↓

在日コリアンである自分がワールドカップに日本代表として出場し、活躍することで、朝鮮学校の後輩たちや在日コミュニティーの人たちなど多くの人に夢と希望を与えられる存在になりたいです。

それはこれまで私を育ててくれた人たちへの恩返しでもあるんです。

引用元:NHK SPORTS(2023.7.13付)

 

ひとりで子育てをしてくれている父親の心配や、思いも持ちつつ、在日コリアンとしての自分のアイデンティティーやルーツも大切にする。

李承信選手の真面目で、優しい人柄が伝わってきます。

 

在日コリアンとしてのルーツなどを大切にしてきた李承信選手ですが、「日本代表としてプレーしたい」という気持ちも持っていたそうです。

長く在日コリアンというコミュニティーの中で育ってきましたが、自分がラグビーを始めたのは日本のラグビースクールですし、ラグビーの技術や魅力を教えてくれたのも日本の方たちが多かったです。

だから、日本代表のために、代表でプレーしたいって思いをごく自然に持っていました。

引用元:NHK SPORTS(2023.7.13付)

 

在日コリアンという自分のルーツ等も大事にしつつ、日本で育った自分や、周りへの感謝なども持ち、日本代表として頑張りたいという熱意が感じられますね。

李承信選手の想いを知ると、ますます応援したくなります!

 

李承信(りすんしん)の両親はどんな人?

李承信選手のご両親は、お2人共、在日韓国人2世。

つまり、李承信選手は在日韓国人3世ということになります。

 

ご両親が「承信」の名前に「信」という字を使ったのは「信頼される人になってほしい」という願いからだそうです。

「常に信頼される人になってほしいっていうのは言われていました。

まだ22歳ですけど、より信頼されて強くて優しい人間になりたいなと心の底から思いますね」

引用元:NHK NewsWeb(2023.6.5付)

 

李承信選手のInstagramから、ご家族で写っている写真を見つけました!

お父さんの横にいるのが、長兄さんだと思われます。

 

李承信の父親は元ラガーマン

 李承信選手の父親は、李東慶(りとんぎょん)さん。

 

元ラガーマンで、神戸朝鮮高校、朝鮮大学ではプロップのポジションで活躍しました。

プロップとは、スクラムを組んだ時に直接相手と組み合う一列目。
スクラムの要のため、パワーが求められるポジションです。

 

お父さんがラガーマンだった頃の戦績などのデータは、見つけることが出来ませんでした。

大学卒業を機に、プレーヤーは引退されたのかもしれません。

 

現在は、親族の方たちと建設関係の会社を経営しているそうです。

 

先ほども少し触れましたが、李承信選手が小学校6年生のときに母親が他界しています。

奥様を亡くされてから、3人の息子を男手一つで育て、さらに息子たちのラグビー生活をサポートした立派なお父さんだと想像ができます。

「お米の炊き方も分からず、クックパッドを見て料理をしました」

引用元:スポーツ報知(2023.9.28付)

お父さんがどれだけ頑張られたのかが、よくわかるコメントですね。

 

李承信選手は、父親からはラグビーを教わったこともなく、ダメ出しもされたことがなかったと語っています。

 

息子たちには自由にラグビーをさせていたそうですが、李承信選手が大学を中退して留学をしたいと言ったときは反対をされ、意見が対立したこともあったそうです。

それでも、李承信選手の意志が固いことを知ると、最後には納得して、応援をしてくれたそうです。

 

今回、李承信選手が日本代表に選ばれたことをうけて、NHKのインタビューに以下のようにコメントされています。

韓国籍なのに日本代表ってどうなのでしょうか、と言われることもありました。

日韓をめぐる歴史は複雑で、文化的にもいろいろな問題があるかもしれませんが、そこを乗り越えられるのがスポーツだと思います。

だから承信には在日コリアンの学校に行っている子どもたちの目標となる存在になってほしいと伝えてきました。

引用元:NHK SPORTS(2023.7.13付)

 

李承信選手のお父さんは、さまざまなメディアのインタビューに応じてくださっていますが、息子・李承信選手のことを語る言葉や表情からも、李承信選手のことを心から見守り、サポートし、応援する思いが感じられますね!

 

また、2023年に開催されたラグビーワールドカップ・パリ大会。

2023年9月23日に行われたサモア戦でメンバー入りを果たした李承信選手に対して、

「誇らしい」

と語り、現地にも応援に行かれたようです。

「長男の承記ら親族6人でフランスへ応援に行きます。

チケットは何とか取れました。

現地でサモア戦も応援したいと思います」

引用元:スポーツ報知(2023年9月28日付)

 

実は、李承信選手、このサモア戦1試合のみの出場となり、しかも後半の36分からの登場でした。

結果、個人的には悔しい思いに終わってしまったのかもしれません。

しかし、お父様の声援や支えで、次回のワールドカップではきっと成長した姿を見せてくれるでしょう。

 

李承信の母は小6の時に他界

李承信選手の母親は、金永福(きむ よんぼく)さん。

李承信選手が小学校6年生の時に病気で他界されています。

 

お母さんが患っていたのは、乳がんの中でも進行が早いとされている「炎症性乳がん」でした。

亡くなる数年前から、入退院を繰り返していたそうです。

 

男3兄弟の末っ子だった李承信選手。

「承信が高校を卒業するまで生きたい」

お母さんは、その一心で病気と闘っていました。

 

しかし、その願いがかなわずに、李承信選手が小学6年のときに44歳の若さでこの世を去りました。

 

入退院を繰り返していたので、子供ながらに母親の病気について理解していましたが、まさか死なないだろうと思っていたという李承信選手。

母親が亡くなった時、なかなかその事実を受け入れられなかったそうです。

小学6年生って、やっぱりまだお母さんに頼るじゃないですか。

だから当時は寂しくてつらいというより3、4か月は現実を受け入れられない状況でした。

その後、だんだんと月日がたつにつれて悲しみやつらさが襲ってきました。

母親という自分の人生の中で大きな存在を失い、心にぽっかりと穴が空いた感じでした。

引用元:NHK SPORTS(2023.7.13付)

 

李承信選手のラグビーを誰よりも応援していたのは、母親の永福さん。

息子のプレーを温かく、厳しく見守ってくれていました。

元ラガーマンの父親よりも、お母さんに「練習しなさい」と言われていたそうです。

 

小学4年生の時にラグビースクールの県大会があり、始めて3位になって喜んでいたら、「なんで1位じゃないのに喜んでいるのか」と言われるほどだったとか。

 

生前にお母さんが繰り返し言っていた言葉。

それは「日本代表としてワールドカップに出てほしい」!

 

お母さんが亡くなられた後は、悲しさや辛さを埋めるためにもラグビーに全力を注いだ李承信選手。

母親の願いでもあった「日本代表としてワールドカップに出る」という目標を胸に、懸命に練習を重ねました。

 

そして、ついに、2023年9月。

お母さんが願っていたワールドカップに出場できるチャンスが巡ってきたのです!

しかも!

朝鮮学校出身者として初の日本代表だったのです!

2023年のラグビーワルドカップでは、きっとお母様も天国で見守っていてくれたことでしょう。

 

李承信(りすんしん)の兄2人もラグビー選手!

元ラガーマンという父親の影響で、李承信選手のお兄さん2人も、子供の頃からラグビーをしていました。

その兄たちの後ろを追いかけて、3男である李承信選手がラグビーを始めたのは4歳の頃でした。

 

長男:李承記(り すんぎ)はどんな人?

4歳年上の兄、李承記(りすんぎ)さんは1996年5月24日生まれです。

2024年5月の誕生日で、28歳になられました。

 

二人の弟同様に、高校は大阪朝鮮高等学校を卒業されています。

そして、高校3年間、全国高校ラグビー大会に出場しています。

 

高校卒業後は、法政大学に進学しています。

ちなみに法政大学ラグビー部は、関東大学リーグ最多となる13回の優勝を誇る名門です。

ポジションは父親と同じプロップで活躍していました。

 

下記のX(旧Twitter)の画像では、承記さんが法政大学時代、東海大学との試合で活躍している模様が見られます。

※背番号1の選手が承記さんです

法政大学ではかなり活躍していたことがこの映像でもよくわかりますね!

大学卒業後には、社会人でラグビーをされているとの情報は見つけることができませんでした。

もしかしたら、今でも趣味の範囲でラグビーを楽しんでいらっしゃるかもしれませんね。

 

次男:李承爀(り すんひょ)はどんな人?

2歳年上の兄、李承爀(りすんひょ)さんは、2024年現在も現役のラグビー選手です。

氏名 李承爀(りすんひょ)
生年月日 1999年1月27日
(2024年1月の誕生日で25歳)
身長 179㎝
体重 110㎏
所属 三重ホンダヒート
ポジション フッカー
所属 三菱重工相模原ダイナボアーズ
※2024年6月から

 

フッカーとは、スクラムを組むときの、最前列の中央のポジション。
スクラムハーフの選手がスクラムにボールを入れたら、足でボールをひっかけて(フックして)味方ボールにする役目を担う。

2017年に大阪朝鮮高校卒業後、帝京大学に入学。

高校時代は主将も務めたこともあるほど、人望も厚いチームの中心選手でした。

 

2021年の帝京大学卒業後に、ホンダヒート(現・三重ホンダヒート)に加入。

2022年1月16日に行われたジャパンラグビーリーグ第一節、釜石シーウェイブスRFC戦にて途中出場で公式戦初出場を果たしました。

 

また、2024年6月には三菱重工相模原ダイナボアーズに移籍!

さらに、日本代表にも召集され、2024年11月24日に行われた「リポビタンDツアー2024イングランド戦」にて途中出場!

日本代表初キャップを獲得されました!!!

 

李承爀さんがラグビーを始めたのは、9歳のとき。

兄の承記さんを尊敬しているとのことで、李承爀選手もお兄さんや、お父さんの影響でラグビーを始めたのでしょうね。

 

弟の李承信選手は、X(旧ツイッター)にて「兄と戦いたい」と言っています。

兄の影響でラグビーを始めた李承信選手。

李承爀選手を心から尊敬しているのがよくわかります。

李承信(りすんしん)プロフィール

父や兄たちの影響で、懸命にラグビーに打ち込んできた李承信選手。

 

2023年9月に開幕したラグビーW杯フランス大会では、お母さんの夢でもあった日本代表入りを果たしました!

2023年5月21日にOAされた情熱大陸に出演するなど、有望な若手選手として期待されています。

氏名 李承信(りすんしん)
生年月日 2001年1月13日
年齢 23歳
(2024年7月現在)
出身 兵庫県
ニックネーム すんしん
身長 176㎝
体重 88㎏
足のサイズ 27.0㎝
好きな食べ物 ビビンバ
所属チーム コベルコ神戸スティーラーズ
ポジション スタンドオフ
スタンドオフとは、常に攻撃の起点となる司令塔の役割。
高いスキルや試合展開の読みまでが求められ、ラグビーセンスの塊のような選手が適任のポジション。

 

李承信選手は、小学校6年生のとき、母を乳がんで亡くされたとご紹介しましたが、そのおよそ1か月後に、李承信選手自身が腎臓の病気にかかり、長い入院生活を余儀なくされました。

母親を亡くし、ショックを受けているときに、軽い運動も許されず、ラグビーもできない日々。

小学6年生の男の子には、精神的にも、肉体的にもかなり辛い日々だっただろうと想像できます。

そのときに、お父さんがずっと励まし続けてくれたのだそうです。

 

お父さん自身も、奥さんを亡くされたばかりで、お兄さん2人の世話もある中、本当に大変だったと思います。

幸いにも病気は回復に向かいました。

きっと、オモニ(お母さん)が可愛い三男坊・承信少年を助けてくれたのではないでしょうか。

 

まとめ

今回の記事では、在日韓国人3世であるラグビーの李承信選手について、ご紹介しました。

李承信選手の国籍は、韓国でしたね。

ご両親は、共に在日韓国人2世で、お父さんは元ラグビー選手!

お母さんは、李承信選手が小学校6年生の時に乳がんで亡くなられたことがわかりました。

李承信選手の二人のお兄さんもラグビー選手でしたね。

2歳年上のお兄さんは、2024年現在、三重ホンダヒートでプレーする現役ラガーマン!

お兄さんたちも、弟である李承信選手の活躍を、とっても喜んでいらっしゃることでしょう。

 

多くの悲しみや試練を乗り越えた李承信選手。

2023年9月に開催されたラグビーワールドカップでは、とうとう念願の日本代表入りも果たしました!

「日本代表としてワールドカップに出場する!」というのは、亡くなったお母さんの夢でもありました。

お母さんは、きっと天国で大喜びしてくださったことでしょう。

結果としてワールドカップは1試合のみの出場で終わりましたが、次回のワールドカップでの活躍に期待して、これからも、李承信選手を応援しましょう!

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

2023年6月に、ラグビー日本代表として初キャップを取得した李承信(りすんしん)選手。

2023年9月8日から開催されたラグビーワールドカップにも出場しました。

2024年現在は、コベルコ神戸スティーラーズ所属のラグビー選手として活躍されています。

 

そんな李承信選手は、高校卒業後、ラグビー強豪校のひとつである帝京大学に入学。

しかし、途中で帝京大学のラグビー部を退部!

大学も退学(中退)されました。

その理由は???

 

李承信選手の高校時代の活躍ぶりや、大学退学(中退)後、コベルコ神戸スティーラーズ(略称:神戸S)に加入された経緯についても、ご紹介していきます!

▽この記事でわかること▽
■李承信が大学を退部(退学)した理由は?
■李承信の中学時代
■李承信の高校時代
■李承信が神戸Sに加入した経緯
【コベルコ神戸スティーラーズの名称について】
チームの名称は、以下のように変更されてきた歴史があります。
■神戸製鋼

■神戸製鋼コベルコスティーラーズ

■コベルコ神戸スティーラーズ
こちらの記事では「コベルコ神戸スティーラーズ」という表記で統一させていただきます。

 

 

李承信が大学を退部(退学)した理由は?

李承信選手は、2019年にラグビーの強豪校である帝京大学に進学しましたが、2年生のときに大学を退学(中退)します。

そして、当然のことではありますが、同時に帝京大学ラグビー部も退部されました。

 

その理由は、海外へ留学するため!

 

留学先に選んだのは、ラグビー強豪国であるニュージーランド!

「オールブラックス」の国です!

 

帝京大学では、1年生から試合に出ていた李承信選手。

翌年の2020年2月には、ジュニアジャパンにも選ばれ、主将を務めました。

※李承信選手は、一番右側の下です!

大学生でありながら、海外の選手たちと試合をする中で、芽生えた気持ち。

それが、海外へ留学したいという想いでした。

海外では同世代の選手がプロで活躍していることを知り、

「違う環境、タフな環境で成長したい」

と大学中退を決意。

引用元:JIJI.COM(2022.9.9付)

 

海外のプロラグビー選手たちの多くは大学には進学せず高校を卒業する頃からプロとしてプレーしています。

それを知った李承信選手は、大学でプレーするよりも少しでも早くプロになりたい!と考えるようになったのでしょう。

 

実は、李承信選手は高校時代にすでに世界と戦っています。

高校日本代表に選ばれ、主将として海外(ウェールズ/イギリス)遠征も経験しています。

※李承信選手は、右側です↓

 

すぐにでも海外へ行って、世界レベルの環境の中でラグビーがしたい!

 

そんな気持ちは、実は高校時代から持ち続けていたのではないでしょうか。

 

当初、大学を辞めて留学することは、父親に大反対されました。

しかし、何度も話し合いを重ね、理解してもらって、ようやく実行できる!

と思った矢先に、世界中がコロナ禍に見舞われてしまいました。

 

大決心をして準備をしていたニュージーランド留学でしたが、コロナ禍により渡航できず断念。

 

まずは英語を勉強して、その後ニュージーランドのワイカト大学へ進学をしたかった李承信選手は、ものすごくショックを受けたそうです。

 

もしこのときに、予定通りニュージーランドへ留学へ行っていたら。

李承信選手は、また違うラグビー人生を歩んでいたことでしょう。

 

渡航を断念したあとから、李承信選手の辛い日々が始まります。

留学の話がなくなったからと言っても、すでに大学は辞めてしまっています。

ですから、大学に戻るわけにもいきません。

 

大学も中退し、所属チームもなく、地元・神戸の公園で一人黙々とラグビーの練習する日々が続きました。

 

途中、バイトをするなど、先も見えずに不安な日々を過ごしていたことが想像できますね。

しかし、この後、李承信選手は地元神戸を拠点とするラグビーの名門チーム「コベルコ神戸スティーラーズ」に加入することになるのです!

 

その辺りの経緯については、後ほどご紹介しますね!

 

 

李承信の中学時代

李承信選手は、3歳から神戸朝鮮中級学校幼稚園に入り、そのまま神戸朝鮮初中級学校に進学しました。

神戸朝鮮初中級学校は、幼稚班(幼稚園)・初級部(小学校)・中級部(中学校)までを指します。

李承信選手は、幼稚園から中学校を卒業するまで、この学校に通いました。

神戸朝鮮初中級学校 公式HPはこちら!

 

中学校ではサッカー部!

神戸朝鮮初中級学校の中級部(中学校)では、李承信選手はサッカー部に所属していました。

調べてみると、中級部のサッカー部は神戸市内の大会で優勝するなど、なかなかの強豪チームのようです。

 

当時、李承信選手がレギューラーだったのか調べてみましたが、詳細はわかりませんでした。

 

しかし、コベルコ神戸スティーラーズの公式ホームページ内の選手紹介のページに、以下のようなエピソードを発見!↓↓↓

Q:今までで一番の武勇伝は?

A:サッカーをしていたが試合でPKを決めたことがない

引用元:コベルコ神戸スティーラーズ選手紹介

なんと、サッカーをやっていた中学時代に、一度もPKを決めたことがない!と告白?されています。

もう、このことは「ネタ」にしているんでしょう。

「武勇伝」としているところに、関西人の匂いを感じます!

 

中学時代から、すでにラグビーセンスが評価されていた李承信選手ですから、運動神経が悪かったとは思えません。

ましてや、サッカーが下手だったとは思えないのですが、真相は???

 

「兵庫県ラグビースクール」でプレー

学校ではサッカー部に所属していた李承信選手ですが、ラグビーに関しては「兵庫県ラグビースクール」でプレーしていました。

 

この兵庫県ラグビースクールは、幼児~中学生までが対象のスクールです。

ですから、李承信選手は中学校卒業まで、この兵庫県ラグビースクールでラグビーをやっていたと考えられます。

兵庫県ラグビースクール 公式HPはこちら!

 

李承信選手はこのチームに在籍中、兵庫県選抜のキャプテンとしてジュニアの大会で優勝もしています。

 

↓こちらのX(旧Twitter)が、当時の試合のことを指しているのではと思われます。

一番最初の写真に写っているのが、当時中学3年生だった李承信選手かな?と思うのですが、もし違っていたらすみません!!!

 

神戸ラグビースクールのHPのお知らせ欄には、以下のような記載があります↓↓↓

「当スクール出身の李承信選手(コベルコ神戸スティーラーズ)が、9月8日に開幕するラグビーワールドカップ2023フランス大会の日本代表メンバーに選出されました!」

引用元:神戸ラグビースクールHP(2023.8.15付)

きっと、今こちらのスクールに通っている子供たちは、偉大な先輩・李承信選手の活躍を楽しみにしていたことでしょう!

神戸からワールドカップが開催されていたパリまで、皆さんの応援の声は届いていたと思います!!!

 

神戸ラグビースクールは、練習場所として「神戸製鋼灘浜グラウンド」を使用しています。

勘の良い人なら、もうお気付きですね?

「神戸製鋼灘浜グラウンド」は、その名の通り、李承信選手が所属しているコベルコ神戸スティラーズが所有するグラウンドなのです!

子供の頃に使っていたグランドで、プロ選手として練習に励んでいる李承信選手。

縁があり、入るべくして入ったような・・不思議な印象を受けますね。

 

学校では部活でサッカーを、そして学校外ではラグビースクールでラグビーをと、二刀流で頑張ってきた李承信選手。

体力のある学生時代だったとはいえ、中学のサッカー部はレベルも高かったようですし、試合もあったと思います。

ラグビースクールでも当然、練習、試合があったと思いますので、両立するのは相当大変だったことが想像できますよね。

その経験があったからこそ、今の実力を身につけられたのかもしれません。

 

 

李承信の高校時代

李承信選手は、2016年4月に大阪府東大阪市にある大阪朝鮮中高級学校(高校)に入学しました。

 

大阪朝鮮中高級学校 公式HPはこちら!

 

小中学校時代は、ラグビースクールでラグビーをする傍ら、サッカー部に所属していましたが、高校ではラグビー部に所属!

ここからラグビー1本の生活が始まります。

 

大阪朝鮮中高級学校ラグビー部 公式HPはこちら!

 

3年生で念願の花園へ!

高校生ラガーマンにとっての聖地である「花園(全国高等学校ラグビー大会)」に出場したいという強い思いを持って入学した李承信選手は、早速実力を発揮!

 

高校3年生のときに、目標であった花園に出場しました!

これは、大阪朝鮮中高級学校にとって4年ぶり10回目の花園でした。

ベスト8を狙っていたものの、2回戦で敗退しています。

この時は、2回戦敗退ですが、2023年現在では、大阪朝鮮中高級学校ラグビー部は花園には11回出場・ベスト4入りは3度という記録を残しています。

 

李承信選手の高校3年間の花園へ向けた戦績は、以下の通りです↓↓↓

第96回大会(2016年/高1) 大阪府予選 決勝で敗退   vs東海大大阪仰星高校
第97回大会(2017年/高2) 大阪府予選 決勝で敗退   vs大阪桐蔭高校
第98回大会(2018年/高3) 本大会出場 2回戦で敗退 vs報徳学園高校(兵庫県)

 

在日コリアンが通う学校なので、他のラグビー強豪校に比べて部員数は少ないそうですが、卒業生の中にはラグビーの名門大学に進学したり、李承信選手のように社会人チームでプレーする選手を輩出しています。

 

その中の一人は、李承信選手の兄・李承爀(リ スンヒョ)選手。

李承爀選手は、三重ホンダヒートでプレーする現役ラガーマンです。

その他には、金勇輝(キム ヨンヒ)選手がNTTドコモレッドハリケーンズ大阪、金秀隆(キム スリュン)選手がクボタスピアーズ船橋東京ベイに所属されています(2024年1月現在)。

※他にもいらっしゃるようですが、今回は割愛させていただきます!ご了承ください!

そんな強豪校で、このような素晴らしい戦績をおさめた李承信選手は、当時からかなりの実力があったことが分かります。

 

高校日本代表でも活躍!

2018年2月、高校2年生のときに、高校日本代表に選出されます!

そして、翌年3年生の時には、主将も務めました。

 

ダン・カーター選手と運命の出会い⁉

2018年7月、高校3年生の李承信選手は、コベルコ神戸スティーラーズの練習を見学するために灘浜グラウンドを訪れたことがありました。

その時にグランドにいたのは、当時来日間もなかったダン・カーター選手!

 

ダン・カーター選手は、2018-2019シーズンにコベルコ神戸スティーラーズでプレーされていたのです。

その際に、李承信選手はダン・カーター選手から、直接キックについてアドバイスをしてもらったそうです!

ラグビー界のスーパースターであるダン・カーター選手に会えるだけでもスゴイことなのに、指導してもらえるなんて、夢のような瞬間だったのではないでしょうか!

 

【ダン・カーター選手】
ニュージーランドの元ラグビー選手
ポジションはSO(スタンドオフ)
ワールドラグビー年間最優秀選手賞3回
テストマッチ個人通算ポイント数歴代最多記録保持者
2021年に現役引退

この時、ダン・カーター選手と李承信選手を出会わせてくれたのは、当時コベルコ神戸スティーラーズのチームディレクターをしていた福本正幸氏。

実は、李承信選手は中学時代に福本正幸さんから指導を受けていたのです。

先ほど、李承信選手が中学時代に「兵庫県ラグビースクール」でプレーしていたとご紹介しましたが、福本正幸さんはこのチームでコーチを務めていた時期があり、旧知の仲でした。

色んなところで、運命の糸がつながっていますね!!!

ちなみに!

この福本正幸さんは、李承信選手がコベルコ神戸スティーラーズに入団する際にもキーマンとなる方です!

 

さて、ダン・カーター選手と李承信選手の出会いには、後日談があります!

2022年10月29日に行われた日本代表対ニュージーランド代表戦に合わせて、ダン・カーター選手が来日。

その際に、当時の日本代表チームの気になる若手選手のひとりとして、李承信選手の名前を挙げています。

それ自体は嬉しいことなのですが、以下のようにコメントしているのです↓↓↓

「彼と神戸で一緒にプレーしたことはないが、非常にいい選手だと思っている。

退団後に神戸の試合を見ていて、アーロン・クルーデンやヘイデン・パーカーがけがで出ていない時に、李のことは知らなかったが、この若い選手は誰だろう?と注目して見ていたら、今は日本代表までになっている。

間違いなく彼は成長している。

経験が彼をさらに良くなる」

引用元:スポーツ報知(2022.10.28付)

高校2年生だった李承信選手に、神戸のグランドで会ったことをすっかり忘れてる?

もしかしたら、あの時の高校生と同一人物だと思わなかったのかもしれませんね。

 

李承信が神戸Sに加入した経緯

李承信選手が、コロナ禍で海外留学を断念した話は、先ほどご紹介した通り。

所属チームもなく、たった一人で練習する日々は、なんと9カ月も続きました!

 

李承信選手にとって、何とも辛かった9カ月の日々は、コベルコ神戸スティーラーズに加入することで幕を閉じました。

そのきっかけとなったキーマンは、先ほどご紹介した福本正幸さんです。

 

李承信選手の中学時代のコーチだった福本正幸さんは、コベルコ神戸スティーラーズのチームディレクターを務めていました。

李承信選手は、福本正幸チームディレクターに声をかけられ、チームの練習場を使わせてもらえるようになったのです。

 

ラグビースクール時代から必死に練習をしてきた李承信選手。

そんな昔の愛弟子がおかれている状況を知った福本正幸さんは、どうにかして力になりたいと思ったそうです。

 

次第に、クラブの選手がトレーニングに付き合ってくれるようになり、相談に乗ってもらえるようにもなりました。

そしてついに!!

李承信選手は、2020年10月、コベルコ神戸スティーラーズへ加入することになりました!

福本正幸チームディレクターは、李承信選手にとってまさに恩人ですよね!

先の見えなかった日々を、李承信選手はこのように語っています。

先が真っ暗になったというか、何を目指したら良いのか分からなくなりましたが、いつかチャンスが訪れると思いながら公園で走り込みをしたりジムでトレーニングしたりしていました。

自分にはラグビーしか無いと思ったので、歯を食いしばって耐えるしかなかったんです。

引用元:NHK SPORTS(2023.7.13付)

この先どうなるかわからない・・相当辛かったと思います。

 

普通なら諦めて別の道を考えることもあるかもしれません。

 

それでも諦めず、練習を積み重ねてきた結果が実った瞬間ともいえますね!

 

コベルコ神戸スティーラーズに入団後、李承信選手は2022年7月に副キャプテンに就任するなど、チームになくてはならない存在に成長しました。

 

さらに!

2022年のウルグアイ戦で日本代表デビューを果たしました。

途中、目に大けがを負ってしまい、戦線離脱を余儀なくされましたが、けがからおよそ40日後にはリーグ戦復帰を果たしています。

そして、2023年9月に開幕したワールドカップのメンバーにも選出され、出場されました!

今後を期待される若手としても注目していきたいですね。

【追記】
2023年のワールドカップでは、李承信選手が出場したのは9月29日のサモア戦のみでした。
次回のワールドカップに期待しましょう!!

 

まとめ

今回は、2023年9月8月から開催された、ラグビーワールドカップ日本代表として出場された、李承信選手が、大学を退部(退学)した理由と、コベルコ神戸スティーラーズに入団した経緯までをお伝えしました。

 

大学時代に海外挑戦を視野に、ニュージーランドへの留学を決意!

しかし、コロナ禍で渡航できずに断念するという辛い経験をされた李承信選手。

 

中学卒業までは、神戸ラグビースクールでラグビーをやりつつ、小中学校の部活ではサッカー部に所属していましたね。

 

大阪朝鮮中高級学校では、高校日本代表に選出され、主将も経験!

目標であった花園には、3年生の時に念願の出場を果たしました!

 

しかし大学入学後に、留学を断念してからは所属チームもなく、一人公園で練習する日々を送っていました。

先が見えない辛い日々を救ってくれたのが、かつて通っていたラグビースクールのコーチで、コベルコ神戸スティーラーズの福本正幸チームディレクターでしたね。

まさに、李承信選手にとって恩人とも呼べる人です。

 

そして、2020年10月、李承信選手はコベルコ神戸スティーラーズへ加入しました!

加入後は副キャプテンを務めたりと活躍し、ついに2022年に日本代表としてデビュー!

代表キャップを得てから1年あまりで、33人の仏ワールドカップのメンバーの一人に選ばれました。

 

苦難の連続だった李承信選手ですが、その経験があるからこそ、2023年のワールドカップメンバーにも選ばれたのでしょう!

 

今後の活躍にも期待したいですね。

この記事を書いた人
きちのすけ

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