スケートボーダーの堀米雄斗(ほりごめ ゆうと)選手。
2021年に開催された東京オリンピックの男子ストリート競技で金メダルを獲得し、一躍有名になりました。
堀米雄斗選手は、2024年7月27日開幕のパリオリンピックにも出場が決定しています。
今回の記事では、堀米雄斗選手のご家族についてご紹介します!
堀米雄斗選手は長男で、2人の弟がいます。
そして、堀米雄斗選手にスケートボードの魅力を伝えたのは、スケートボーダーである父親の堀米亮太(ほりごめ りょうた)さん。
堀米雄斗選手がスケートボードを始めたきっかけは、もちろん父親です!
今回の記事では、堀米雄斗選手の2人の弟や、父親、母親など家族について詳しくご紹介していきます。
堀米雄斗選手は、パリオリンピックのスケートボード男子ストリートで、金メダルを獲得されました!
2021年に行われた東京オリンピックに続き2大会連続の金メダルです!
堀米雄斗選手、おめでとうございます!
■堀米雄斗には弟が2人!
■堀米雄斗の父親はスケートボーダー!
■堀米雄斗は父の教えを胸にアメリカへ!
■堀米雄斗の母親はどんな人?
堀米雄斗には弟が2人!
掘米雄斗選手には弟が2人います。
弟たちの名前や年齢などの詳細は、公表されていません。
最初に気になるのは、この弟二人もスケートボードをしているかどうか、ですよね?
結論を言うと、スケートボード歴はあるものの、長男・雄斗さんのように本格的に取り組んではいないようです。
堀米雄斗選手のすぐ下の弟(次男)は、掘米雄斗選手の1歳下で、2000年生まれだと思われます。
というのも、2018年11月7日の「インタースタイル」のインタビュー記事の中で、堀米雄斗選手の父親の堀米亮太さんが「次男が大学受験を控えている」と答えているからです。
まだ次男がこれから大学受験を控えてたりさ、仕事もおろそかには出来ないから
そこまでの頻度では滑れないけどね。引用元:インタースタイル 2018/11/07 (父親の堀米亮太さんへのインタビュー)
すぐ下の弟が、2018年11月時点で大学受験を控えていることから、2019年3月に高校を卒業された可能性があります。
もし、そうだとしたら、弟さんは2000年4月~2001年3月生まれという計算になります。
堀米雄斗選手の誕生日は1999年1月7日で早生まれですから、すぐ下の弟とは、2学年差の可能性が高そうです。
父親の堀米亮太さんは、堀米雄斗選手が6歳の頃、毎週日曜にスケートボード場へ通っていました。
堀米雄斗選手だけではなく、次男や三男、さらに子供たちの友達も一緒に連れて行っていたそうです。
「次男も三男も」一緒に連れて行っていた、ということは、次男と三男も、それほど年齢は離れていない可能性がありますね。
イメージとしては、長男・堀米雄斗選手が6歳で、次男・5歳、三男・3歳とか?
息子3人(さらに、その友人たち)を連れて、スケートボードをするのは、父・堀米亮太さんは楽しくて仕方なかったのではないでしょうか。
堀米雄斗選手は、家族や仲間たちとワイワイ楽しみながらスケートボードをしていたのですね。
皆さん、ご存じの通り、スケートボードは、2021年の東京オリンピックから新競技となりました。
東京オリンピックでは、東京都江東区の有明アーバンスポーツパークが、スケートボード競技の会場になりました。
東京都江東区といえば、堀米雄斗選手の地元です。
堀米雄斗選手は、2021年7月25日に東京オリンピック、男子ストリート競技で金メダルを獲得しています。
東京オリンピックで金メダル取れました🥇未だに信じられないです! pic.twitter.com/Coo5EDD3G6
— 堀米雄斗 (@yutohorigome) July 28, 2021
地元で獲得したオリンピックの金メダル。
堀米雄斗選手も家族も、友人たちも、大喜びだったでしょうね!
金メダルを獲得したお祝いに、家族で仲良くご飯を食べに行っています。
堀米雄斗選手はじめ男3人の兄弟は、小さい時は喧嘩もしていましたが、今ではとても仲が良いようです。
金メダルを獲得したあとの家族の様子を、父親の堀米亮太さんが語っています。
優勝したあとは(堀米雄斗選手は)かなり忙しかったみたいですけど、それでも家族でお祝いにご飯を食べに行きました。
奥さんに「やっぱり金メダル獲ったから、いいとこ予約しとけよ」って言って(笑)
そんな感じで家族でも仲良くしています。
引用元:文春オンライン 2021年10月24日
この話には続きがあります。
お祝いの食事のあと、お会計を見た父親の堀米亮太さんは、なんと、堀米雄斗選手に「雄斗、払っとけよ」と言ったそうです。
こんなことを言えてしまう関係性からも、家族の仲良しさがわかりますね。
さて、堀米雄斗選手は、金メダルのお祝いの食事を、自分で払ったのでしょうか。
堀米雄斗選手は、2024年7月に行われたパリオリンピックでも金メダルを獲得されました!
本当に感動的な大逆転での優勝でしたね!
さて、今回の金メダルのお祝いは、どのような感じなのでしょうか???
みんなでやり遂げました!パリオリンピックで2連覇できて本当に嬉しいです。今でも信じられないです。最後までサポートしてくれた家族、仲間、チームのみんな、ありがとうございます!サポートしてくれたみんなのおかげで滑りきる事ができたし最後にトリック乗れた鍵になったのかなと思ってます💫 pic.twitter.com/NBHNnpgiWO
— 堀米雄斗 (@yutohorigome) July 30, 2024
堀米雄斗の父親はスケートボーダー!
堀米雄斗選手の父親である堀米亮太さんは、スケートボーダー。
職業は、タクシーの運転手です。
堀米雄斗選手がスケートボードを始めたのは、父・堀米亮太さんの影響です。
1974年10月11日生まれの堀米亮太さんは、2024年の誕生日で50歳。
堀米亮太さんは、中学校時代に友人からスケートボードを借りたことがきっかけで、スケートボードにはまっていきました。
大人になってからも、堀米亮太さんはスケートボード中心の生活をしていました。
しかし、結婚を機に「スケートボードをやめる!」と奥様に宣言!
堀米亮太さんのスケートボード熱が再燃したのは、長男・堀米雄斗選手が生まれたあとでした。
堀米雄斗は大島小松川公園でデビュー
堀米亮太さんは、まだ歩けない堀米雄斗選手を連れて、毎週日曜に近所の大島小松川公園へ通い始めます。
大島小松川公園は、東京都江東区の自宅から徒歩10分ほどの距離にある、スケートボードができる公園です。
ご注意ください!
自分がスケートボードをしたいため、「お散歩しに、雄斗を公園に連れてくわ」と言いながら、公園へ行っていたそうです。
堀米亮太さんは、子供(堀米雄斗選手)をダシにして、スケートボードを楽しんでいたんですね!
奥様との約束を破ったことにはなりますが、その結果、堀米雄斗選手が幼少期からスケートボードに親しむことになったので、結果オーライといえます。
父親である堀米亮太さんは、公園でスケートボードに夢中。
その間、堀米亮太さんのスケートボード仲間が、まだ歩けない堀米雄斗選手を、デッキに乗せて面倒を見てくれていたそうです。
つまり、堀米雄斗選手のスケートボード歴は、歩く前から?
実際に、2024年6月・25歳の堀米雄斗選手は、自身のx(旧Twitter)で「スケートボード歴25年」と言っています。
スケボー25年間してて初めてスケボー折れた…
— 堀米雄斗 (@yutohorigome) June 15, 2024
幼い堀米雄斗選手がちょこんとデッキに座りながら、父親の堀米亮太さんがスケートボードをする姿を見ている光景が目に浮かびますね。
堀米雄斗の基礎を築いた舞浜スケートパーク
千葉県浦安市に、運動公園スケートボード場(通称:舞浜スケートパーク)ができると、堀米亮太さんは、堀米雄斗選手を連れて毎週通うようになります。
この時、堀米雄斗選手は、まだ6歳!
ここでの父との練習で、堀米雄斗選手のスケートボードの基礎が築かれたと言っていいと思います。
先程ご紹介したように、父・堀米亮太さんが息子3人+友人を引き連れて通っていたのが、ここですね。
父・堀米亮太さんと一緒に、堀米雄斗選手は、スケートボードの練習を重ねました。
堀米雄斗選手は、周りから可愛がられるタイプのようです。
「この技できたらアイス買ってやるよ」
といじられながら、技を習得。
技を習得することで、スケートボードがどんどん楽しくなる。
相乗効果ですよね!
堀米雄斗選手は9歳になる頃には、父親の堀米亮太さんよりも、スケートボードが上手くなっていました。
息子・雄斗のために仕事+アルバイト!
中学に上がると、堀米雄斗選手は、父親の堀米亮太さんとよりも、同年代の仲間たちとスケートボードに熱中するようになります。
堀米雄斗選手には、中学生にもかかわらずスポンサーがつきました。
スポンサーが付くということは、経済的にも助かりますよね?
しかし、毎日時間があればスケートボードをしていたため、堀米雄斗選手のデッキや靴には破損が多く、スポンサーからの支給が追い付きません。
堀米雄斗選手は、破れた靴にガムテープを貼って使っていました。
また、堀米雄斗選手は、日本のみならず、海外で開催される試合に出ることも。
そんな海外遠征費も、必要となってきます。
父親の堀米亮太さんは、普段の仕事の他にもアルバイトをして、堀米雄斗選手のスケートボード活動を支えました。
タクシーの仕事だけでなく、もっとハードなトラックの運転手をしたり、洗車のアルバイトをしたこともあったようです。
息子の夢は、父の夢でもあったのでしょうね。
いや、父・堀米亮太さんの夢を、息子である堀米雄斗選手が引き継いでくれたと言えるかもしれません。
堀米雄斗は父の教えを胸にアメリカへ!
父親の堀米亮太さんの支えで、小学生の時から海外の大会に参戦していた堀米雄斗選手は、
という夢を、小学6年の時に作文で書いています。
その夢は、2016年に叶いました。
堀米雄斗選手は、「父の教え」を胸に単身アメリカへ渡ったのです。
堀米雄斗選手は17歳で拠点をアメリカに移し、プロリーグで優勝を重ねます。
そしてなんと、ロサンゼルスに練習場付き4LDKの家を購入!
まさに、アメリカン・ドリームの実現です!
堀米雄斗選手の「父の教え」とは、どのようなものだったのでしょうか。
父の教え①世界で成功するには「独創性」!
堀米雄斗選手は、父親の堀米亮太さんと世界のスケートボーダーの映像を見ながら育ちました。
今でも海外選手の映像を見て研究していますが、まねをすることはありません。
これは父・堀米亮太さんの「世界で成功するには、独創性が欠かせない」という教えを、大切に守っているからです。
「まね」をしているだけでは、同じレベルにはなれても、「超えることはできない」という考え方でしょう。
堀米雄斗選手が、スケートボードの世界最高峰のコンテスト「ストリートリーグ」で成功を収めたのも、この父親の教えがあってこそと言えます。
アメリカに拠点を移した翌年の2017年には準優勝。
2018年には、日本人初の優勝を成し遂げています。
堀米雄斗選手は、自身のx(旧Twitter)で「ストリートリーグ」を、小さい頃からの夢のコンテスト、と表現しています。
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父の教え②バーチカルで基礎を叩き込む!
堀米雄斗選手は、インタビューで、スケートボードが上手くなった理由をきかれて、父親のおかげ、と応えています。
お父さんの教え方ですかね。
本格的に始めたころから6年くらいは、バーチカルで練習していたんですよ。
それが良かったんだと思います。
引用元:VictorySportsNews 2019年7月17日
堀米雄斗選手は、幼いころからバーチカルを日常的に滑っていました。
父親の堀米亮太さんは、堀米雄斗選手に、バーチカルで体の使い方やバランス感覚など、基礎になる部分を徹底して教え込んだのです。
スケートボードには、「パーク」と「ストリート」という2種類の競技があり、堀米雄斗選手は、ストリートの選手です。
ストリートは、その言葉からイメージする通り、階段や手すり、スロープなど、現実の街や道路を再現したようなコースを滑ります。
ですから、最初から、そのようなコースでスケートボードを始める選手が多いようです。
しかし、堀米雄斗選手は、バーチカルで基礎をしっかりと学んでから、ストリートを始めました。
それが、良かったんですね。
何事も基礎、基本が大事!
ってことですね!
【 ㊗️News 】#堀米雄斗 くんの活躍をきっかけとした、#夢の島スケートボードパーク(東京都江東区)が完成!初心者・中級者コース、バーチカルを有する夢の施設で、「スケートボードが大好き」な早川大輔さん(監修)やスケーターの想いがこもったNewパークが新しい歴史を生み出します! pic.twitter.com/AMPbkyg7zB
— スケートボード☾ フジテレビ (@sk8_fujitv) November 13, 2022
突然、金メダリストが現れて、滑り出したらビックリですね!
こんなスーパースターでも、こうやって基礎練習をし続けていたと知ったら、ここに通っているちびっこたちも頑張って練習に励むようになるのではないでしょうか。
堀米雄斗選手を追って、多くの素晴らしい選手たちが誕生すると素敵ですね!
バーチカルで軽やかに舞う堀米雄斗選手。
まるで羽が生えているようですね!
堀米雄斗の母親はどんな人?
堀米雄斗選手の母親についての情報は少ないですが、父親の堀米亮太さんによるインタビューの中で「スポンサー」として表現されています。
えっと、、昭和49年10月11日生まれ。スポンサーは、、、ヨメ!
引用元:インタースタイル 2018/10/03 (父親の堀米亮太さんへのインタビュー)
父親のコーナーでご紹介したように、堀米亮太さんは結婚した当初「スケボーはやめる」と、奥様と約束されました。
約束通り、一度はスケートボードをやめて仕事をしていましたが、堀米雄斗選手が生まれたあと、再びスケートボードを始めています。
堀米雄斗選手の母親は、そんな夫・堀米亮太さんを応援し、スケートボードにかけるお小遣いを、目をつぶって許してくれる存在だったようです。
きっと「好きなことを夢中でやっている人」を応援する人柄なのでしょう。
そんな人柄の母親ですから、堀米雄斗選手がスケートボードに集中できるよう日常生活をサポートしていたと考えられます。
堀米雄斗選手がスケートボードに熱中する姿を見守り、応援している母親の姿が想像されます。
家族をはじめ色々な方々のサポートもあり、堀米雄斗選手は、2024年のパリオリンピック出場権を獲得!
諦めかけていたパリオリンピック、最後のオリンピック予選で優勝してパリオリンピックの出場権獲得できました!皆さんいつもサポート応援ありがとうございます🙏🏼
本番はこれから… pic.twitter.com/qWhbURxi01— 堀米雄斗 (@yutohorigome) June 23, 2024
2024年パリオリンピックでは、どんな活躍をするのでしょうか。
堀米雄斗選手のスケートボード姿を見るのが、楽しみです!
まとめ
今回の記事では、スケートボードの堀米雄斗選手のご家族について、ご紹介しました。
堀米雄斗選手は長男で、弟が2人います。
2人とも、スケートボード歴はあるものの、兄・雄斗選手ほどのめり込むことはなかったようです。
兄弟仲は、とてもいいようです。
父親の堀米亮太さんは、中学時代からスケートボードをはじめ、現在も現役のスケートボーダーです。
堀米亮太さんは、堀米雄斗選手が幼い頃からスケートボードに連れて行き、スケートボードの魅力を伝えました。
母親についての詳細な情報は少ないですが、堀米雄斗選手の成功を支える重要な存在であることは間違いありません。
家庭内でのサポートを通じて、堀米雄斗選手がスケートボードに集中できる環境を整えてきたのでしょう。
2024年7月27日に開幕するパリオリンピック。
堀米雄斗選手の活躍がとても楽しみです!
堀米雄斗選手は、パリオリンピックのスケートボード男子ストリートで、金メダルを獲得されました!
2021年に行われた東京オリンピックに続き2大会連続の金メダルです!
堀米雄斗選手、おめでとうございます!
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