エナジックスポーツ高等学院野球部神谷監督はどんな人?経歴を調査!

野球
【当サイトでは、アフィリエイト広告を利用しています】

神谷嘉宗(かみや よしむね)監督は、沖縄県のエナジックスポーツ高等学院の野球部監督です。

2021年に創立されたばかりの新しい学校で、野球部が創部されたのは翌2022年です。

そんな新しい学校ですが、破竹の勢いで駆け上がり様々な好成績を残しています。

 

2024年10月に行われたドラフト会議では、エナジックスポーツ学院高等学院の龍山暖(たつやま はるき)選手が西武から6位指名を獲得!

創部3年目ドラフト指名という偉業を達成し、大きな話題となりました。

 

今回はエナジックスポーツ高等学院野球部の、神谷嘉宗監督について調査!

神谷嘉宗監督は一体どのような経歴なのでしょうか。

また神谷嘉宗監督の指導は「ノーサイン野球」が特徴。

一体どのような指導方法なのでしょうか?

神谷嘉宗監督のこれまでの甲子園での実績も、お伝えしていきます。

 

また神谷嘉宗監督自身の、高校時代・大学時代についても調べてみました。

神谷嘉宗監督のプロフィールと共にお伝えしていきます。

△この記事でわかること△
■エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の経歴は?
エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の指導の特徴
■エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の甲子園での実績
■エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の高校時代
■エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の大学時代
■エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督のプロフィール
エナジックスポーツ高等学院野球部の口コミは?偏差値や学費/寮費は?
2024年10月24日に行われた2024年度のドラフト会議で、注目を集めた高校があります。 それは、沖縄県名護市にあるエナジックスポーツ高等学院! この学校は、2021年に開校したばかりの新しい学校で、翌2022年に野球部が活動開始! 創部...

エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の経歴は?

神谷嘉宗監督は、琉球大学の教育学部を卒業後、1978年4月から2024年度現在まで野球部指導を行っています。

高校野球の指導歴46年!

大ベテラン監督ですね。

神谷嘉宗監督の指導歴をまとめました↓↓↓

1978年4月~ 私立/都城東高等学校(宮崎県)
沖縄県立/八重山高等学校(沖縄県石垣市)
沖縄県立/前原高等学校(沖縄県うるま市)
沖縄県立/中部商業高等学校(沖縄県宜野湾市)
沖縄県立/浦添高等学校(沖縄県浦添市)
2008年~2021年7月 沖縄県立/美里工業高等学校(沖縄県沖縄市)
2021年8月
2024年10月現在
私立/エナジックスポーツ高等学院(沖縄県名護市)

美里工業高等学校以前の学校は、期間がわかりませんでした。

46年間の監督業のなかで、たくさんの高等学校の野球指導に携わってきた事が分かりますね。

いずれの学校でも、県内選抜出場などの好成績を残しています。

甲子園出場歴については、のちほどお伝えしていきます。

 

エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の指導の特徴

神谷嘉宗監督の指導方法は、独自のやりかたで話題となっています。

その方法というのが「ノーサイン野球」「弱者の兵法」です。

それぞれについて詳しくご説明していきます。

ノーサイン野球

神谷嘉宗監督の指導はノーサイン野球のスタイルです。

こちらは名前の通り、監督からサインを送る事はなく選手達自身で考えて試合を進めていくという指導方法です。

神谷嘉宗監督の中でこの指導方法が確立されたのは、10年近く監督として携わった美里工業高等学校時代から。

ノーサイン野球は中野泰造(たいぞう)氏が伝道師として、野球界では知られています。

中野泰造:1954年8月22日生まれ、広島県出身。
公立高校で13年監督を務めた後、東亜大学監督へ就任し、3度の日本一に導いた。
著書に「シン・ノーサイン野球の授業」がある。

神谷嘉宗監督は、この中野泰造氏にノーサイン野球のノウハウを教えてもらい、実践へとつなげました。

 

神谷嘉宗監督自身のInstagramでも、中野泰造氏の事を紹介しています。

 

この投稿をInstagramで見る

 

神谷 嘉宗(@yoshimunekamiya)がシェアした投稿

 

神谷嘉宗監督がノーサイン野球を取り入れようと思った理由として、以下のことを挙げています。

送りバントのサインを出しても、内野手が突っ込んできたらヒッティングに切り替える方がいい場合もある
エンドランのサインを出しても、うまくスタートが切れなければ、やめる決断をした方がいい場合もある
サインを出していなくても、いけると思えば盗塁を狙っていい!

このような野球場の中で常にある、一瞬の駆け引きを大事にしたいと思い始めたとの事。

実際にプレーしている選手たちが、その場の状況から判断する方がいいのでは?と思うようになったということでしょう。

そして、「自分で考える」ことの大切さを、生徒たちに教えたいと思ったのではないでしょうか。

 

また、神谷嘉宗監督は選手に

「根拠のあるサイン無視はオッケー」

と指導しています。

その結果、選手達の観察力が養われ、攻撃で相手の隙を突く場面が増えていきました!

 

「弱者の兵法」

神谷嘉宗監督のもうひとつの指導方法が、「弱者の兵法」です。

この指導法は、中部商業高等学校での監督時代がきっかけとなっています。

 

九州遠征で熊本県の伝統高である、済々黌(せいせいこう)高等学校と行った練習試合。

個々の能力が高いわけではなかった済々黌に、徹底してバント攻撃を仕掛けられた事で、エースは足を削られ、ピッチングが崩壊。

また2死満塁の場面でも、スクイズで不意を突かれ1点を献上してしまいました。

 

「こういう攻め方もあるのか」と衝撃をうけると共に、新たな発見になったそうです。

特別にスゴイ4番打者がいなくても、頭と技を使って、つなげる野球をすることでも勝つことができる。

実際に美里工業高等学校での監督時代、格上といわれていた沖縄水産高等学校との公式戦で、当たる度にバント攻撃を徹底し何度も金星を挙げています。

 

エナジックスポーツ高等学校でも、ノーサイン野球と弱者の兵法が実用されています。

2024年夏の甲子園予選大会では、準々決勝で4番打者によるスクイズという意表を突く攻撃で得点を獲得し話題となりました。

今後も神谷嘉宗監督らしい、機動力あふれる試合に期待が高まりますね!

 

※この時の「4番打者」が、2024年のドラフト会議で指名を受けた龍山暖選手です!

エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の甲子園での実績

神谷嘉宗監督の、甲子園での実績をご紹介しましょう!

 

神谷嘉宗監督が始めて甲子園に進んだのは2008年の夏、浦添商業高等学校での監督時代です。

この時は甲子園ベスト4に輝きました。

 

その後就任した美里工業高等学校では、2014年に選抜出場を果たしています。

 

2024年現在、監督を務めているエナジックスポーツ高等学院では、監督に就任した2021年から2024年10月現在まで、甲子園出場は叶っていません。

しかし創部・監督就任3年で沖縄大会4強入りを果たしており、今後の甲子園出場への期待は高まるばかりです!

何よりも、エナジックスポーツ高等学院野球部の創部1年目に入学した「1期生」である龍山暖選手が、2024年10月に行われたドラフト会議で、西武ライオンズから6位指名されたわけですから、これも神谷嘉宗監督の実績のひとつと言っていいのではないでしょうか。

 

エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の高校時代

神谷嘉宗監督は、沖縄出身。

高校は、沖縄県立読谷(よみたん)高等学校を卒業しています。

学校名 沖縄県立読谷高等学校
住所 〒904-0303 沖縄県中頭郡読谷村伊良皆198
公式HP http://www.yomitan-h.open.ed.jp/

神谷嘉宗監督は1971年4月~1974年3月まで通っていました。

高校時代の詳細はわかりませんでしたが、「中学生の頃から野球少年だった」と語っているので、中学時代も野球部に所属していたのだと思います。

 

神谷嘉宗監督が、読谷高校に在籍していた期間には甲子園出場は叶わなかったようですが、1992年に春の甲子園出場しています。

また2019年には、全国高等学校野球選手権大会の沖縄ベスト8入りしています。

 

神谷嘉宗監督にとって、現在は、読谷高校はライバル校のひとつかもしれませんね。

 

エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督の大学時代

神谷嘉宗監督の出身大学は、琉球大学の教育学部です。

学校名 琉球大学
住所 〒903-0129 沖縄県中頭郡西原町千原1
公式HP http://www.edu.u-ryukyu.ac.jp/

神谷嘉宗監督は、1974年4月~1978年3月まで在学していました。

大学時代の活躍なども、高校時代同様に詳細はわかりませんでした。

神谷嘉宗監督は、中学生の事から将来の夢を「高校野球の監督」と決めていました。

そのため、大学では教育学部を選択したようですね。

 

また、琉球大学には硬式野球部があるので神谷嘉宗監督も所属していたのかもしれません。

琉球大学公式野球部のInstagramはこちら↓↓↓

 

 

エナジックスポーツ高等学院野球部/神谷嘉宗監督のプロフィール

神谷嘉宗監督のプロフィールをまとめました。

氏名 神谷 嘉宗
(かみや よしむね)
生年月日 1955年6月?
年齢 2024年10月現在69歳
出身地 沖縄県中頭部

明確な誕生日がわかりませんでしたが、2018年6月19日のInstagramに誕生日を祝ってもらっている様子がUPされています↓↓↓

 

この投稿をInstagramで見る

 

神谷 嘉宗(@yoshimunekamiya)がシェアした投稿

↑2018年の誕生日なので、63歳になられた時ではないかと思いますが、お若く見えます!!!

高校生たちと毎日グランドで野球をしていることが、若さを保つ秘訣なのでしょうね!

 

神谷嘉宗監督は、子どもの頃から野球少年。

中学1年生の時に、興南(きょうなん)高等学校が夏の甲子園ベスト4に入り沖縄中で興南旋風が巻き上がりました。

地元球児が聖地で躍動する姿をみて

「体育の先生になって高校野球の監督になり、甲子園に行きたい」

と将来の夢を決めたそうです。

自分が選手として甲子園に行きたいのではなく、監督として甲子園に行きたいと思ったというのが面白いですね!

そしてその夢を叶えて、大学卒業後から現在まで野球監督として第一線で活躍し続けています。

 

神谷嘉宗監督は、教え子達に野球だけで無く人生についても指導しています。

子どもたちに常々言っているのは、

将来、人生の勝利者になれるかということです。

いかに社会に出てから仕事をちゃんとやって、幸せな人生を送るか。

そのためには高校時代に勉強して、会社に入るのが大事だよ。

引用元:News Picks(2016/3/31付)

40年以上指導者として高校球児に関わってきている神谷嘉宗監督。

2024年10月にドラフト指名された龍山暖(たつやま はるき)捕手は、神谷嘉宗監督のことを

親しみを込めて「おじいちゃんみたいな感じ」

引用元:OKITIVE 2024.10.25

と話しています。

教え子から信頼されている様子が伝わってきますね!

 

神谷嘉宗監督は、2021年に定年退職されたのですが、2021年7月からはエナジックスポーツ高等学院の監督兼学院副院長に就任されました。

実は、県内外から多数のオファーがありましたが、

「チームをゼロから作り上げることに魅力を感じた」
「転勤も無くて自分の色を出しやすいから」

と開拓精神をくすぐられた事から、2021年4月に新しく開校したばかりのエナジックスポーツ高等学院を選んだそうですよ!

 

まとめ

今回の記事では、エナジックスポーツ高等学院の神谷嘉宗監督についてお伝えしてきました。

神谷嘉宗監督は、大学卒業後から2024年10月現在まで、高校野球監督を務めています。

神谷嘉宗監督の指導の特徴は「ノーサイン野球」と「弱者の兵法」です。

どちらも長年の野球監督経験からあみだされた、神谷嘉宗監督ならではの指導です。

また、これまでに2度の甲子園出場を経験しています。

高校時代・大学時代については詳細はわかりませんでしたが、いずれも野球にどっぷりつかった学生時代を過ごされていたのではないでしょうか。

 

創立3年目でドラフト指名を獲得したエナジックスポーツ高等学院。

その初代監督として、度々話題になっている神谷嘉宗監督。

2024年10月からは、秋の高校野球選抜大会が始まっています。

神谷嘉宗監督とエナジックスポーツ高等学院の活躍が楽しみですね!

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

エナジックスポーツ高等学院野球部の口コミは?偏差値や学費/寮費は?
2024年10月24日に行われた2024年度のドラフト会議で、注目を集めた高校があります。 それは、沖縄県名護市にあるエナジックスポーツ高等学院! この学校は、2021年に開校したばかりの新しい学校で、翌2022年に野球部が活動開始! 創部...

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました