伊藤ふたばが大学に進学せずに高校卒後でプロを選択した理由は?

クライミング
伊藤ふたばさんは、スポーツクライミングの選手です。
2024年夏に開催されるパリオリンピックの、日本代表候補にも選ばれていました。
しかし、2024年6月22日に行われたオリンピック予選最終戦で、思ったような結果が出せず、残念ながらパリ行きの切符をつかむことができませんでした。
そんな伊藤ふたば選手は、2024年6月現在、22歳。
2021年3月に高校卒業後は、大学には進学せず、プロクライマーとしての道を歩んでいます。
伊藤ふたば選手が、高校卒業後プロの道を選んだ理由とは?
伊藤ふたば選手のこれまでのインタビュー記事などを参考に、その理由について考察してみました。
△この記事でわかること△
■伊藤ふたばは盛岡中央高校卒!
■伊藤ふたばが高卒でプロクライマーの道を選択した理由は?
■伊藤ふたばのプロフィール

伊藤ふたばは盛岡中央高校卒!

伊藤ふたば選手は、岩手県盛岡市にある盛岡中央高等学校に通っていました。

在籍していたのは2018年4月~2021年3月までです。

【盛岡中央高等学校】
所在地 岩手県盛岡市盛岡市みたけ4丁目26-1
公式ホームページ https://chuo-hs.ed.jp/hs/

 

盛岡中央高等学校は、岩手県内でも有数の進学校のようですね。

卒業後の進学先として、旧帝大などの難関国立大学や、慶應大学・早稲田大学といった難関私立大学の名前も並んでいます。

 

勉強面だけでなくスポーツに力をいれていて、伊藤ふたば選手が在籍していたのは進学総合Bコースというスポーツに特化したコースです!

盛岡中央高校の卒業生には、ノルディックスキージャンプ北京オリンピック代表の小林陵侑(こばやし りょうゆう)選手などたくさんの有名選手や有名人がいます。

 

伊藤ふたば選手は、中学時代からすでに有名な選手だったので、高校ではすでに一目置かれていたのではないでしょうか。

伊藤ふたば選手の地元は、岩手県盛岡市。

ご実家の場所はわかりませんが、高校までは自宅から通いやすい距離だと言えそうですね。

 

伊藤ふたばが高卒でプロクライマーの道を選択した理由は?

伊藤ふたば選手は、2021年3月に盛岡中央高等学校卒業後、大学には進学せずにプロクライマーの道に進んでいます。

最近のスポーツ界の傾向として、多くの選手が大学へ進学されます。

その理由は、人それぞれだとは思いますが、選手生活引退後のセカンドキャリアに向けて、可能性を広げるためと考える人も少なくないようです。

クライミング界でも、体育科がある大学などに進学する選手が多い印象です。

伊藤ふたば選手は、高校時代にすでに世界大会にも出場経験がありましたので、大学側から推薦のお声がかかっていても、なんら不思議はありません。

 

そんな中で、伊藤ふたば選手はなぜ高卒でプロへの道を選んだのでしょうか。

その理由について、いくつか考察してみました。

 

理由①幼少期から「プロになる」と決めていたから

伊藤ふたば選手は、幼い頃から「クライミングのプロになる」と心に決めていたといいます。

さらには「クライミングと生きていきたい」とも。

 

伊藤ふたば選手が、クライミングに出会ったのは、小学校3年生の頃。

そして、まだ小学生のうちに「自分はプロでやっていくんだ」と心が決まっていたそう。

あっという間に「クライミングの沼」にガッツリとはまってしまったんですね。

 

そして、その気持ちは、中学・高校と成長していく中でも、まったく揺るぎませんでした。

そこまで気持ちが決まっているのなら、「高校卒業したら、すぐにプロになりたい!」と思うのは自然なことかもしれません。

実際に、

「プロになりたかった」のではなく、やりたい道を進んでいたら「自然とプロになった」

という感覚だったとも語っています。

 

理由②野口啓代を目標にしていたから

伊藤ふたば選手は、幼い頃から野口啓代(あきよ)選手に憧れていて、野口啓代選手みたいな選手になることを目標としてきました。

その目標を達成するためには、少しでも早く「プロになる」必要があったのではないでしょうか。

 

野口啓代選手といえば、日本のスポーツクライマーの第一人者です。

レジェンドと言ってもいいでしょう。

伊藤ふたば選手は、「クライミングを始めた時からずっとあこがれの存在」「トップレベルで活躍していたのは啓代ちゃんだけ」と語っています。

小さい頃から野口選手のクライミング映像を何度もみて「自分もこうなりたい」とシュミレーションを重ねていたようです。

 

野口啓代選手は、1989年5月30日生まれ。

一方で、伊藤ふたば選手は、2002年4月25日生まれ。

お2人の年齢差は13歳ほどです。

 

伊藤ふたば選手が、憧れの野口選手と初めて会話したのは、小学校3年生の時。

つまり、クライミングを始めて、まだ間もない頃です。

クライミングの大会に出場したとき、その会場にいた野口選手に、Tシャツにサインをしてもらいツーショットを撮ってもらいました。

当時の野口啓代選手は、22歳頃。

東洋大学を中退し、すでにプロの道を歩んでいました。

すでに、日本国内だけでなく、世界大会でも上位入賞されるなど、まさに日本を代表するトップクライマーとして君臨されていました。

クライミングを始めて、まだ日が浅かった伊藤ふたば選手でしたが、その時点で「目指すは野口啓代」だったのですね!

 

伊藤ふたば選手と野口啓代選手の交流は長く続いており、伊藤ふたば選手のインスタグラムでは、野口選手の誕生日を祝う投稿もありました。

2人共、お茶目でとってもキュートですよね!!!

そんな野口選手は、2021年の東京オリンピックで銅メダル獲得後、現役引退しています。

そして2021年の12月に、同じクライミング選手の楢崎智亜さんと結婚!

2024年現在は、一児の母として育児とクライミングのコーチを続けています。

 

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理由③オリンピックに出たいから

高校時代に、すでに世界大会にも出場し結果を残していた伊藤ふたば選手。

そんな伊藤ふたば選手が高校を卒業したのは、2021年3月でした。

もともと、東京オリンピックの開催が予定されていたのは、2020年夏。

高校3年生でオリンピアンになることは、射程圏内だったハズです。

 

しかし、コロナ禍の影響で、翌年2021年に延期されました。

そして、翌2021年の夏にオリンピックに出ることを想定した時に、学生である必要は全くなかったのではないかと思います。

むしろ、プロになって、クライミングだけに集中できる環境に身を置きたかったのではないでしょうか。

 

結果的に、伊藤ふたば選手は、東京オリンピックには出場できませんでした。
その時の、とっても辛いエピソードは、後ほどご紹介します。

 

理由④コロナ禍を経験したから

伊藤ふたば選手が高等学校を卒業したのは2021年3月で、在学3年間のうちの1年以上が、コロナが流行している時期と重なります。

スポーツ界でも、2020年、2021年は多くの国内外の試合が軒並み中止になりました。

東京オリンピックでさえ、1年延期になるという前代未聞の状況でしたよね。

このようなコロナ禍を経験したことも、伊藤ふたば選手の「少しでも早くプロになりたい!」という気持ちに影響を与えたのではないかと思います。

 

一時は、クライミングの練習も思うようにできなかったでしょうし、予定されていた試合も開催されず、不安でいっぱいだったことでしょう。

だからこそ、「やりたいことは、絶対に成し遂げたい!」という気持ちが強まったのではないでしょうか。

「今まで出来なかった事や、新しいことをしたい」

そんな、チャレンジ精神を持ってプロへの道を選択されたのではと思います。

 

理由⑤新しい環境を求めて

伊藤ふたば選手は高等学校卒業後、地元の岩手県を離れ、東京を拠点にプロクライマーとして活動しています。

そう決断したのは、新しい環境を求めていたからだと言えそうです。

 

伊藤ふたば選手は、上京した理由について、以下の2点を挙げています。

①リード用ウォールは天気に左右されるので、冬場は雪で練習出来ない地元では不利になる
②東京にいれば、関東圏内のさまざまなジムにいきクライミングができるので成長につながる

 

より良いトレーニング環境を求めたがゆえの上京だったのですね。

しかし、それだけが目的なら、首都圏の大学に進学することでも、その目的は達成できたかもしれません。

それでも、「プロとして上京する」選択をしたのは、先ほどからご紹介していたような複数の理由によるものではないでしょうか。

知らない土地・しかも都会への上京は、どうしても不安なことも多く、とても勇気が必要だったと思います。

しかし、伊藤ふたば選手のクライミングへの情熱は、そんな不安も吹き飛ばしたのでしょうね。

 

2024年現在も、伊藤ふたば選手の活動拠点は東京です。

しかし、所属しているのは「デンソー岩手」という岩手県の車載半導体の会社です。

こんなところに、伊藤ふたば選手の郷土愛を感じますね!

 

伊藤ふたばのプロフィール

つづいて、伊藤ふたば選手のプロフィールについて紹介していきます。

伊藤ふたば選手は、2011年の小学校3年生からクライミングを始めており、そのきっかけはお父さんにありました。

元々伊藤ふたば選手はヒップホップダンスを習っていて、クライミングに特に興味はなかったそうです。

そんな中、伊藤ふたば選手のお父さんが、趣味としてクライミングを始めました。

父の持っているクライミングシューズをみて「ゴムで出来ている不思議な靴」「これを履いてスポーツをしてみたい」と興味を抱くようになりました。

実際に競技を始めると、すぐに壁を15m上ることができ、早いうちからクライミングの才能を発揮していた様です!!

その後、2017年のボルダリングジャパンカップに出場した際、史上最年少の14歳で優勝したことから一躍注目を浴びるようになりました。

※ちなみに、その前年2016年と、翌年2018年の優勝者は野口啓代選手です!
氏名 伊藤ふたば
生年月日 2002年4月25日
年齢 22歳
(2024年6月現在)
出身地 岩手県盛岡市
身長 162cm
体重 44kg
ウィングスパン 非公開
※両腕を左右に水平に広げたときの、指先からもう片方の指先までの長さ
性格 几帳面
好きな食べ物 チョコレート、特にガトーショコラ
好きな音楽 awich
所属 デンソー岩手
スポンサー 株式会社オノデラサイン

 

ボルダリングジャパンカップで初優勝した後も、たくさんの大会で好成績を収めていた伊藤ふたば選手。

2021年の東京オリンピックも代表候補でしたが、国際連盟とクライミング日本協会のオリンピック出場基準の解釈の行き違いによるトラブルに巻き込まれてしまいます。

国際連盟が示していたオリンピック出場基準(選抜の条件)に対し、クライミング日本協会が違う解釈をして、間違った方法で選抜を行った、と言えばいいでしょうか。

その結果、スポーツ仲裁裁判所の判断により、オリンピックへの道が断たれてしまったのです。

 

悔しい思いをたくさん経験した分、2024年のパリオリンピックではぜひリベンジして欲しかったですよね。

でも、伊藤ふたば選手には、さらなる伸びしろしかない!!!

この悔しさを胸に、今よりも何倍も成長して、私たちに素敵な笑顔を見せてくれる日が来ると思います!

 

まとめ

今回の記事では、スポーツクライミングの伊藤ふたば選手についてお伝えしてきました。

伊藤ふたば選手は、地元・岩手県の盛岡中央高等学校卒業しています。

この学校は、有名人やスポーツ選手も数多く卒業しているエリート高等学校です。

 

高校卒業後は、大学には進学せず、プロになる選択をされました。

本人としては、「やりたい道を選んだら自然とプロになっていた」のだそうです。

小さい頃から憧れていた野口啓代選手の背中を追いかけて、今後もますます進化していって欲しいですよね!

東京オリンピック、パリオリンピックと、2回続けて悔し涙を流した伊藤ふたば選手。

このままでは終われないと、強く誓っていると思います!

今後の伊藤ふたば選手に注目していきましょう!

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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