フェンシング日本代表の松山恭助(まつやま きょうすけ)選手について調査しました。
松山恭助選手はフェンシング男子フルーレの選手で、2024年パリオリンピック出場が決まっています。
そんな松山恭助選手の活躍を語る時に欠かせない存在、それはお兄さんの松山大助(まつやま だいすけ)さんです。
松山恭助選手がフェンシングをするきっかけとなったのは何だったのでしょうか。
そのきっかけは、ご両親が関係している?
この記事では、松山恭助選手のお兄さんや、ご家族についてお伝えしていきたいと思います。
松山恭助選手を含む男子フルーレ団体がパリオリンピックで金メダルを獲得されました!
日本代表団体では、初金メダルです!
松山恭助選手他、団体の皆さま、おめでとうございます!
■松山恭助は実兄がコーチ?
■松山恭助の両親(父母)はどんな人?
■松山恭助のプロフィール
松山恭助は実兄がコーチ?
松山恭助選手の、実のお兄さんは、2024年現在、フェンシングのコーチをされています!
しかし、松山恭助選手のコーチではありませんでした。
実兄の松山大助さんは、現在一般企業で働きながら、フェンシングのコーチをしています。
松山大助さんは、早稲田大学のご出身。
大学卒業までは、フェンシングの現役選手として活躍されていました。
そんな松山大助さんの選手時代の主な戦績をまとめました。
2010年(16歳) | シンガポール カデフルーレワールドカップ |
3位 |
2011年(17歳) | フランス マラソンフルーレ |
準優勝 |
2012年(18歳) | インターハイ団体戦 | 優勝 |
↑こちらの表を見ていただいたら分かる通り、主な戦績は高校時代のものです。
早稲田大学在学最後の2017年に、弟の松山恭助選手と兄弟で団体戦に臨みましたが、思わぬ苦戦を強いられ準々決勝敗退という結果となっています。
このときの敗北について松山大助さんは、
と語っています。
弟を思う兄の優しさが伝わってくるコメントですよね。
松山大助さんは大学卒業後、フェンシング選手を引退し一般企業に就職しています。
現在は、社会人として働く一方で、杉並区フェンシング協会(杉並区フェンシングクラブ)で、メイン指導員をつとめています。
こちらのInstagramによると、「東京都から生涯スポーツ優良団体の部門で表彰を受けた」とのこと!
素晴らしいですね!
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松山恭助選手と実兄の松山大助さんはとても仲が良く、幼稚園から大学まですべて同じ学校に進学しているんです。
松山恭助選手の学生時代については、こちらの記事で詳しくご紹介しています!
フェンシングを始めたのも、兄弟2人、同時でした!
フェンシングを始めた時からずっと、兄弟で切磋琢磨しながらフェンシングの実力を磨いていったのでしょう。
そして兄・松山大助さんは、弟の松山恭助選手との思い出を次のように語っています。
小さいころは、僕のマネをすることが多かった。
ボクと一緒にいることが楽しい。
むしろ最初の方は(フェンシングより)そっちを楽しんでいるようだった。
また、松山恭助選手のインスタグラムには実兄の松山大助さんとともに、母校であ金竜小学校を訪れた投稿もありました。
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何歳になっても兄弟仲良しで素敵ですね。
※Instagramのキャプションでは「金龍」と表記されていますが、正しくは「金竜」です。
松山恭助の両親(父母)はどんな人?
松山恭助選手の両親についても調べてみました。
お父さんの名前は松山武司(まつやま たけし)さんです。
年齢や職業などの情報は一般の方のため公表されていませんでした。
お母さんの名前は松山幸子(まつやま さちこ)さんです。
お父さん同様に年齢や職業などの情報は公表されていませんでした。
松山恭助選手がフェンシングを始めるきっかけとなったのは、お母さんの幸子さんが近所のスポーツクラブに連れて行ってくれた事なんです。
総合型地域スポーツクラブでその中にフェンシングクラブがあり、「なんとなく」と言う気持ちで兄の大助さんと一緒にフェンシングを始めました。
このスポーツセンターは、東京都台東区にある台東リバーサイドスポーツセンターでした。
松山恭助選手の出身は台東区西浅草で、このスポーツセンターはご自宅から徒歩で行ける距離にあります。
リバーサイドスポーツセンターは、当時未就学児の受け入れはしていませんでした。
しかし当時4歳の松山恭助選手が、小学生の兄と一緒にどうしても通いたい!と無理を言って通わせてもらっていたようです。
そんな状況で通いだしたクラブですから、当然、周りは年上の選手ばかり。
つまり、年上の選手に囲まれて練習をしていました。
一緒に通っていたお兄さんも、松山恭助選手にとっては「年上の選手」ですよね!
その環境が、負けず嫌いの性格な松山恭助選手の闘争心に、火をつけました!
「僕は小さいから、負けても仕方ない」とは考えない少年・恭助くん。
年上相手にも勝てないと納得しない性格なのが功を奏して、どんどん上手になっていきました。
クラブに通い出してすぐ頭角を現し、小学生になった頃には、多くの大会で好成績を残しています。
ここで、フェンシング教室の実情について、ご紹介しておきますね。
フェンシングを始めたばかりの時期は、所属クラブから用具を貸し出してくれる事がほとんどの様です。
また月謝も月2,000~3,000円と、予想に反して比較的通いやすいお値段設定になっています。
意外にリーズナブルだと思いませんか?
しかし!
松山恭助選手は、小学生の頃から全国大会に出場していた強豪選手。
早いうちから、レンタルした用具一式ではなく、自分専用のものを購入したのではないかと考えられます。
また、中学生の頃には日本国内の大会だけでなく世界大会にも出場していた為、その先々への遠征費や宿泊費もたくさんかかっていますね。
そうなってくると、やはり相当お金がかかっていたのではと想像できます。
費用面に対しては、ご両親の大きなサポートがあったのでしょうね。
松山恭助のプロフィール
小さい頃からフェンシングで数々の大会を制覇してきた松山恭助選手。
2021年の東京オリンピックに続き、2024年のパリオリンピックにも出場が決まっています。
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そんな松山恭助選手のプロフィールをまとめました!
氏名 | 松山恭助 |
生年月日 | 1996年12月19日 |
年齢 | 2024年現在27歳 |
出身地 | 東京都台東区西浅草 |
身長 | 180cm |
体重 | 75kg |
学歴 | 幼稚園:台東区立金竜幼稚園
小学校:台東区立金竜小学校 中学校:台東区立駒形中学校 高等学校:東亜学園高等学校 大学:早稲田大学スポーツ学科 |
所属 | JTB |
趣味 | 浅草にベビーカステラを食べに行くこと |
利き手 | 左利き |
公式X(旧Twitter) | https://x.com/kyosuke_1219 |
公式Instagram | Kyosuke Matsuyama/松山恭助 |
松山恭助選手はフェンシングをはじめた時から、「フルーレ」の選手です。
そのため、テクニックにはすごく自信を持っているそうです。
松山恭助選手は、細かい指の動きで狭いスペースを突くことや、ダイナミックな動きのなかでもミスなくプレイする事を得意としています。
また大舞台の要所で出てくるのが、「ジャンピング振り込み」と言う松山恭助選手の得意技です。
この技は、相手の背中にタイミングを見て振り込む技で、いつも大きな大会などで松山恭助選手はこの技がでてくる事も「強みのひとつ」と語っています。
2024年のパリオリンピックでも是非、ジャンピング振り込みが見てみたいですね!
【フェンシング豆知識】
ここで、フェンシングの競技方法である「フルーレ」、「エペ」、「サーブル」について簡単に説明します!
攻撃は剣の先端での突きのみが認められます。
攻撃が有効とみなされるのは胸と背中の部分です。
攻撃は剣の先端での突きのみが認められます。
攻撃が有効とみなされるのは全身です。
攻撃は剣の先端での突きと剣の側面での斬りつけが認められます。
攻撃が有効とみなされるのは腰より上の上半身です。
まとめ
松山恭助選手の実兄は松山恭助選手のコーチではありませんでした。
現在はフェンシング選手引退後、一般企業で勤めながらフェンシングの指導員をしている様です。
松山恭助選手のご両親については氏名以外の詳しい情報はわかりませんでした。
フェンシング界のエースと言われている松山恭助選手。
2024年パリオリンピックでの活躍を楽しみにしています!
松山恭助選手を含む男子フルーレ団体がパリオリンピックで金メダルを獲得されました!
日本代表団体では、初金メダルです!
松山恭助選手他、団体の皆さま、おめでとうございます!
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