松山恭助は実兄がコーチ?両親(父母)はどんな人なのかも調査!

フェンシング

フェンシング日本代表の松山恭助(まつやま きょうすけ)選手について調査しました。

松山恭助選手はフェンシング男子フルーレの選手で、2024年パリオリンピック出場が決まっています。

そんな松山恭助選手の活躍を語る時に欠かせない存在、それはお兄さんの松山大助(まつやま だいすけ)さんです。

松山恭助選手がフェンシングをするきっかけとなったのは何だったのでしょうか。

そのきっかけは、ご両親が関係している?

この記事では、松山恭助選手のお兄さんや、ご家族についてお伝えしていきたいと思います。

【追記/2024.8.5】
松山恭助選手を含む男子フルーレ団体がパリオリンピックで金メダルを獲得されました!
日本代表団体では、初金メダルです!
松山恭助選手他、団体の皆さま、おめでとうございます!
△この記事でわかること△
■松山恭助は実兄がコーチ?
■松山恭助の両親(父母)はどんな人?
■松山恭助のプロフィール

松山恭助の高校や中学時代を調査!早稲田大学卒で加納虹輝と同級生!

飯村一輝の大学や高校は?フェンシングを始めたきっかけについても調査!

敷根崇裕の父は元日本代表で母はどんな人?兄弟など家族構成も調査

松山恭助は実兄がコーチ?

松山恭助選手の、実のお兄さんは、2024年現在、フェンシングのコーチをされています!

 

しかし、松山恭助選手のコーチではありませんでした。

実兄の松山大助さんは、現在一般企業で働きながら、フェンシングのコーチをしています。

 

松山大助さんは、早稲田大学のご出身。

大学卒業までは、フェンシングの現役選手として活躍されていました。

 

そんな松山大助さんの選手時代の主な戦績をまとめました。

2010年(16歳) シンガポール
カデフルーレワールドカップ
3位
2011年(17歳) フランス
マラソンフルーレ
準優勝
2012年(18歳) インターハイ団体戦 優勝

↑こちらの表を見ていただいたら分かる通り、主な戦績は高校時代のものです。

 

早稲田大学在学最後の2017年に、弟の松山恭助選手と兄弟で団体戦に臨みましたが、思わぬ苦戦を強いられ準々決勝敗退という結果となっています。

このときの敗北について松山大助さんは、

「少しでも恭助に楽をさせようと思って頑張ったが笑って終われなかった事が悔しい」

と語っています。

弟を思う兄の優しさが伝わってくるコメントですよね。

松山大助さんは大学卒業後、フェンシング選手を引退し一般企業に就職しています。

 

現在は、社会人として働く一方で、杉並区フェンシング協会(杉並区フェンシングクラブ)で、メイン指導員をつとめています。

こちらのInstagramによると、「東京都から生涯スポーツ優良団体の部門で表彰を受けた」とのこと!

素晴らしいですね!

 

松山恭助選手と実兄の松山大助さんはとても仲が良く、幼稚園から大学まですべて同じ学校に進学しているんです。

 

 

フェンシングを始めたのも、兄弟2人、同時でした!

 

フェンシングを始めた時からずっと、兄弟で切磋琢磨しながらフェンシングの実力を磨いていったのでしょう。

そして兄・松山大助さんは、弟の松山恭助選手との思い出を次のように語っています。

小さいころは、僕のマネをすることが多かった。

ボクと一緒にいることが楽しい。

むしろ最初の方は(フェンシングより)そっちを楽しんでいるようだった。

引用元:フジテレビMUSCAT2018.03.26

また、松山恭助選手のインスタグラムには実兄の松山大助さんとともに、母校であ金竜小学校を訪れた投稿もありました。

 

何歳になっても兄弟仲良しで素敵ですね。

※Instagramのキャプションでは「金龍」と表記されていますが、正しくは「金竜」です。

松山恭助の両親(父母)はどんな人?

松山恭助選手の両親についても調べてみました。

お父さんの名前は松山武司(まつやま たけし)さんです。

年齢や職業などの情報は一般の方のため公表されていませんでした。

 

お母さんの名前は松山幸子(まつやま さちこ)さんです。

お父さん同様に年齢や職業などの情報は公表されていませんでした。

 

松山恭助選手がフェンシングを始めるきっかけとなったのは、お母さんの幸子さんが近所のスポーツクラブに連れて行ってくれた事なんです。

 

総合型地域スポーツクラブでその中にフェンシングクラブがあり、「なんとなく」と言う気持ちで兄の大助さんと一緒にフェンシングを始めました。

このスポーツセンターは、東京都台東区にある台東リバーサイドスポーツセンターでした

松山恭助選手の出身は台東区西浅草で、このスポーツセンターはご自宅から徒歩で行ける距離にあります。

リバーサイドスポーツセンターは、当時未就学児の受け入れはしていませんでした。

しかし当時4歳の松山恭助選手が、小学生の兄と一緒にどうしても通いたい!と無理を言って通わせてもらっていたようです。

 

そんな状況で通いだしたクラブですから、当然、周りは年上の選手ばかり。

つまり、年上の選手に囲まれて練習をしていました。

一緒に通っていたお兄さんも、松山恭助選手にとっては「年上の選手」ですよね!

 

その環境が、負けず嫌いの性格な松山恭助選手の闘争心に、火をつけました!

「僕は小さいから、負けても仕方ない」とは考えない少年・恭助くん。

年上相手にも勝てないと納得しない性格なのが功を奏して、どんどん上手になっていきました。

クラブに通い出してすぐ頭角を現し、小学生になった頃には、多くの大会で好成績を残しています。

 

ここで、フェンシング教室の実情について、ご紹介しておきますね。

フェンシングを始めたばかりの時期は、所属クラブから用具を貸し出してくれる事がほとんどの様です。

また月謝も月2,000~3,000円と、予想に反して比較的通いやすいお値段設定になっています。

意外にリーズナブルだと思いませんか?

 

しかし!

松山恭助選手は、小学生の頃から全国大会に出場していた強豪選手。

早いうちから、レンタルした用具一式ではなく、自分専用のものを購入したのではないかと考えられます。

また、中学生の頃には日本国内の大会だけでなく世界大会にも出場していた為、その先々への遠征費宿泊費もたくさんかかっていますね。

 

そうなってくると、やはり相当お金がかかっていたのではと想像できます。

費用面に対しては、ご両親の大きなサポートがあったのでしょうね。

 

松山恭助のプロフィール

小さい頃からフェンシングで数々の大会を制覇してきた松山恭助選手。

2021年の東京オリンピックに続き、2024年のパリオリンピックにも出場が決まっています。

そんな松山恭助選手のプロフィールをまとめました!

氏名 松山恭助
生年月日 1996年12月19日
年齢 2026年7月現在29歳
出身地 東京都台東区西浅草
身長 180cm
体重 75kg
学歴 幼稚園:台東区立金竜幼稚園

小学校:台東区立金竜小学校

中学校:台東区立駒形中学校

高等学校:東亜学園高等学校

大学:早稲田大学スポーツ学科

所属 JTB
趣味 浅草にベビーカステラを食べに行くこと
利き手 左利き
公式X(旧Twitter) https://x.com/kyosuke_1219
公式Instagram Kyosuke Matsuyama/松山恭助

松山恭助選手はフェンシングをはじめた時から、「フルーレ」の選手です。

そのため、テクニックにはすごく自信を持っているそうです。

※「フルーレ」については、この後、解説します!

 

松山恭助選手は、細かい指の動きで狭いスペースを突くことや、ダイナミックな動きのなかでもミスなくプレイする事を得意としています。

 

また大舞台の要所で出てくるのが、「ジャンピング振り込み」と言う松山恭助選手の得意技です。

この技は、相手の背中にタイミングを見て振り込む技で、いつも大きな大会などで松山恭助選手はこの技がでてくる事も「強みのひとつ」と語っています。

2024年のパリオリンピックでも是非、ジャンピング振り込みが見てみたいですね!

 

【フェンシング豆知識】

ここで、フェンシングの競技方法である「フルーレ」、「エペ」、「サーブル」について簡単に説明します!

【フルーレ】
攻撃は剣の先端での突きのみが認められます。
攻撃が有効とみなされるのは背中の部分です。
【エペ】
攻撃は剣の先端での突きのみが認められます。
攻撃が有効とみなされるのは全身です。
【サーブル】
攻撃は剣の先端での突きと剣の側面での斬りつけが認められます。
攻撃が有効とみなされるのは腰より上の上半身です。

まとめ

松山恭助選手の実兄は松山恭助選手のコーチではありませんでした。

現在はフェンシング選手引退後、一般企業で勤めながらフェンシングの指導員をしている様です。

松山恭助選手のご両親については氏名以外の詳しい情報はわかりませんでした。

フェンシング界のエースと言われている松山恭助選手。

2024年パリオリンピックでの活躍を楽しみにしています!

【追記/2024.8.5】
松山恭助選手を含む男子フルーレ団体がパリオリンピックで金メダルを獲得されました!
日本代表団体では、初金メダルです!
松山恭助選手他、団体の皆さま、おめでとうございます!
【追記/2026.7.25】
パリオリンピック後も松山恭助選手の活躍は続いています!
2025年12月の全日本選手権(男子フルーレ個人)で5大会ぶりに優勝、2026年6月にはアジア選手権(インド・デリー)の個人戦でも2大会ぶり2度目の優勝を果たしました。
さらに2026年7月開催の世界選手権(香港)でも個人予選を突破し、決勝トーナメントに進出しています。
2028年ロサンゼルスオリンピックに向けて、引き続き目が離せません!

松山恭助選手についてのよくある質問

Q. 松山恭助選手の実兄はコーチですか?

実兄の松山大助さんは、現在は一般企業で働きながら杉並区フェンシング協会でメイン指導員をつとめていますが、松山恭助選手自身のコーチではありません。

Q. 松山恭助選手の両親はどんな人?

父・松山武司さん、母・松山幸子さんという名前は分かっていますが、一般の方のため年齢や職業など詳しい情報は公表されていません。松山恭助選手がフェンシングを始めたきっかけは、母・幸子さんが近所のスポーツクラブに連れて行ってくれたことでした。

Q. 松山恭助選手の現在の成績は?

2024年パリオリンピックの金メダル獲得後も、2025年12月の全日本選手権優勝、2026年6月のアジア選手権優勝など好成績を残し続けています。2026年7月の世界選手権(香港)にも出場しています。

松山恭助の高校や中学時代を調査!早稲田大学卒で加納虹輝と同級生!

飯村一輝の大学や高校は?フェンシングを始めたきっかけについても調査!

敷根崇裕の父は元日本代表で母はどんな人?兄弟など家族構成も調査

松山恭助(まつやま きょうすけ)選手は、2024年パリオリンピックのフェンシング代表選手です。

2021年の東京オリンピックの時から、フェンシング男子フルーレ団体の主将をつとめています。

 

東京オリンピックでは、男子フルーレ団体で4位という好成績を残している松山恭助選手。

学生時代はいったいどんな学生だったのでしょうか。

 

今回の記事では、松山恭助選手の高校時代、中学時代、大学時代について調べました!

また大学での同級性だった加納虹輝(かのう こうき)選手とのエピソードについてもお伝えしますね。

 

△この記事でわかること△
■松山恭助の高校時代
■松山恭助の中学時代
■松山恭助は早稲田大学出身
■松山恭助と加納虹輝は早稲田大学の同級生

松山恭助の高校時代

松山恭助選手は2012年から2015年まで、東亜学園高等学校に在籍していました。

東亜学園高等学校は、フェンシング強豪校として有名な学校です。

【東亜学園高等学校】
所在地 東京都中野区上高田5丁目44−3
公式ホームページ https://toagakuen.ac.jp/

 

 

松山恭助選手は、高校時代のフェンシング部でのエピソードとして、夏期合宿の過酷さを語っています。

朝5時に起床し、5時半から3~5km走。

それから15分程度の筋力トレーニングをして朝食を摂るが、お茶碗3杯以上は必須。

その後、9時から12時までフットワークで脚を動かすのもやっとという疲労を抱えながら、昼食は牛丼や中華丼など丼ぶりメニューにしっかり主菜や副菜、汁物もつくボリュームメニューを食す。

午後はフェンシングの実戦メニュー中心に3~4時間汗を流し、夕食もしっかり食べて20時から22時までは夜間練習。

ヘトヘトに疲れ果てて就寝し、また翌朝5時に起床、というハードメニューが1週間続くのだが、その合宿でも「誰よりも追い込んだ」と松山は言う。

引用元:4years(2020/11/17付)

読むだけで、どれだけ過酷な合宿だったのかが想像できますね。

でも、最後に「誰よりも追い込んだ」と言っているところが、さすがですね。

ストイックな性格を表しています。

「これだけやったんだから、結果はついてくる」と思えるような日々を送っていたのでしょうね。

 

この合宿が、松山恭助選手をフェンシングの強豪選手への成長を手助けしたと言っても過言ではないでしょう。

 

というのも、松山恭助は高校時代にインターハイの男子フルーレで3連覇しているんです!

 

それだけではなく、2012年4月(高校1年生)にモスクワで開催された世界ジュニア・カデ・フェンシング選手権大会個人優勝もしています。

ジュニアという年齢制限のある試合ですが、世界1位です!!!

 

この頃から松山恭助選手はフェンシング界では「ポスト太田雄貴(おおた ゆうき)」と呼ばれていました。

【太田雄貴】
日本のフェンシング界のレジェンド。
2008年北京五輪にて日本初のフェンシング銀メダリスト。
東京五輪2020では、誘致活動でも活躍。

 

3連覇がかかった高校3年生の時のインターハイ前は、プレッシャーがすごく、自信をつけるために「とにかく練習して自分を追い込んでいた」と語っています。

 

プレッシャーや周囲の期待に押しつぶされることなく3年間優勝し続けた松山恭助選手、その信念はとてもかっこいいですね!

 

 

松山恭助の中学時代

松山恭助選手の出身中学校は、東京都台東区にある、台東区立駒形(こまがた)中学校です。

松山恭助選手は、2009年から2012年までこの中学校に在籍していました。

 

松山恭助選手は東京都台東区西浅草出身なので、自宅から学校までは徒歩10~15分ほどで通える距離だったようです。

松山恭助選手の中学時代は、フェンシングで無双状態が続いていました。

その強さは日本だけにとどまらず、世界大会にも出場しています。

中学1年生だった2009年には、フランスのマラソンフルーレ大会優勝しました。

そのほか国内の大会でも優秀な成績を収めており、まさに負けなしの状態だったようですね。

 

 

松山恭助は早稲田大学出身

松山恭助選手は、高校卒業後、早稲田大学のスポーツ学科に進学しました。

大学在籍は、2015年から2019年まででした。

早稲田大学といえば慶應義塾大学と並ぶ、日本最難関の私立大学です。

早稲田大学には、多種多様な学部があり、全学部合わせて約40,000人の学生が在籍しています。

 

大学2年生で日本一に!

松山恭助選手は、2016年大学2年の時に、全日本選手権で初優勝しています。

「全日本選手権」は、その名の通り、日本国内で1位を決める大会ですから、学生だけでなく社会人選手も出場する年齢制限のない大会です。

 

しかし、中高生までは無双状態だった松山恭助選手でも、大学進学とともに勝つことが難しくなってきました。

2017年21歳の時の世界選手権では、1歳年下の西藤俊哉(にしふじ としや)選手が銀メダルを獲得。

シニアの個人戦の難しさと、負けたことでのジェラシーを感じます。

ライバル出現です!!!

 

大学時代の後半は、なかなか思うような結果が出せない日々が続きました。

 

今まで特別なライバルもいない中、夢想状態で常勝してきた選手だからこそ、一回の敗戦の経験で自分の限界を感じたり、競技から足が遠のいてしまいそうですよね。

実際に、「負けた後の対処法がわからなかった」という言葉を残しています。

 

しかしその経験さえも自分の成長に変えてしまうのが、松山恭助選手のすごい所なんです!

 

結果が出せない時期でも、その経験をきっかけに、自分自身のメンタリティに向き合うようになり、冷静に自分を見つめる事が出来るようになりました。

大学時代に苦悩と挫折を味わった事で、自分自身と向き合うことができた松山恭助選手。

この時期の頑張りが、大学卒業してからのフェンシング人生をより良いものにしてくれているようです!

 

大学卒業からパリ五輪まで

先ほどご紹介したように、松山恭助選手は、2016年/大学2年生で全日本選手権を制し初優勝。

 

しかし、その後は、この大会において、なかなか結果を出すことが出来ず、2020年になってようやく2回目の優勝を果たすことが出来ました。

ここで、ちょっと安心されたことでしょうね。

本来の調子が戻ってきたところで、東京オリンピック2020出場決定!

前代未聞の1年延期を経て、2021年に東京オリンピックが開催され、男子フルーレ団体4位という結果を残しました。

さらに、2022年10月ドイツワールドカップでは初めて個人で優勝を飾っています。

 

そして迎える、パリオリンピック2024!

自身2回目のオリンピックでは、前回の東京オリンピックよりも良い結果が残せるといいですね。

 

松山恭助と加納虹輝は早稲田大学の同級生

松山恭助選手が早稲田大学在籍中、同級生だったのが加納虹輝選手です。

2人とも、2015年4月から2019年3月まで、早稲田大学に在籍していました。

ふたりともフェンシング部に所属しながら一緒にトレーニングを重ね、切磋琢磨した学生生活だった様です。

 

フェンシング部OBとして、松山恭助選手と加納選手2人そろって早稲田大学を訪問した時の記事がこちらです。

早稲田大学卒業後、松山恭助選手は、JTBへ入社されます。

加納虹輝選手は、JALへ。

所属は別々になりましたが、日本代表チームでは相変わらずチームメイト。

今回のパリオリンピックという舞台でも、共闘する2人。

お互いの活躍が刺激になってよい結果になること間違いなしですね。

 

なお、松山恭助選手のご実家や両親、実兄について詳しく知りたい方は、松山恭助は実兄がコーチ?両親(父母)はどんな人なのかも調査!もあわせてご覧ください。

 

まとめ

今回の記事では、フェンシング日本代表の松山恭助選手の学生時代について調べました。

 

高校時代は東亜学園高等学校で、インターハイ3連覇し無双状態でした。

早稲田大学時代には、それまでの松山恭助選手とは一変、勝てない時期が続きました。

しかし、同級生の加納虹輝選手と切磋琢磨しながら、メンタル面の成長も行った様ですね。

フェンシング発祥の国フランスで開催される2024年オリンピック。

得意の「ジャンピング振り込み」での活躍を楽しみにしています!

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

この記事を書いた人
きちのすけ

はじめまして。「アスリート応援ノート」を運営している、きちのすけです。

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