羽生結弦は引退していない!27歳でプロ転向した理由と引退後の現在

今回の記事では、フィギュアスケート男子でオリンピック2連覇を果たした羽生結弦さんの「引退」について、ご紹介します!

羽生結弦さんは、2014年ソチ・2018年平昌と冬季オリンピックを連覇し、冬季五輪の金メダリストとして初めて国民栄誉賞を受賞した選手です。

2022年7月19日に開いた記者会見が「引退会見」として大きく報じられたことから、いまも「羽生結弦は引退したの?」と検索する方がとても多くなっています。

 

しかし会見の内容を追っていくと、羽生結弦さん本人は「引退」という言葉を意識的に避けていたことがわかりました。

引退の時期や年齢、理由、最後の試合、そして引退後の活動まで、公表されている情報をもとに整理してご紹介します!

この記事の結論

・羽生結弦さんはスケートそのものを引退しておらず、プロスケーターとして現在も現役
・「引退」したのは競技会(アマチュアの試合)からで、表明したのは2022年7月19日・27歳のとき
・本人は会見で「引退という言葉があまり好きじゃないので使いたくない」と明言している
・最後の試合となったのは2022年2月の北京オリンピック(4位)

△この記事でわかること△
■羽生結弦は引退したのか?結論は「競技引退・プロ転向」
■羽生結弦の引退(プロ転向)はいつ?年齢は何歳だった?
■羽生結弦が「引退」という言葉を使わなかった理由
■羽生結弦がプロ転向を決めた4つの理由
■羽生結弦の最後の試合は2022年北京オリンピック
■羽生結弦の引退後(プロ転向後)の活動まとめ
■2025年の「メンテナンス期間」と2026年の再始動
【追記/2026.8付】
羽生結弦さんは2025年8月に「メンテナンス期間」に入ることを発表し、約8か月間、公の場から離れていました。2026年3月の宮城公演『notte stellata』で再始動し、4月には単独公演『REALIVE』を開催しています。新しい情報が出しだい、随時更新していきます。

同じ宮城県仙台市出身で、羽生結弦さんを憧れの選手に挙げている佐藤駿選手の家族やエピソードは、こちらの記事でまとめています。

 

羽生結弦は引退した?結論は「競技引退」でスケートは現役

まず結論からお伝えすると、羽生結弦さんはスケートを引退していません。

2022年7月19日に表明したのは「競技会(試合)に出ることをやめる」という決断であり、プロスケーターとしての活動はその後も続いています。

 

フィギュアスケートでは、オリンピックや世界選手権といった大会に出場する選手を「アマチュア(競技者)」、アイスショーを中心に活動する選手を「プロ」と呼び分けます。

そのため、競技会から退くことが一般的に「引退」と表現されるのですが、羽生結弦さんの場合はスケート自体をやめたわけではありません。

 

現在の状況を整理すると、次のようになります。

項目 内容
氏名 羽生結弦(はにゅう ゆづる)
生年月日 1994年12月7日(2026年8月時点で31歳)
出身地 宮城県仙台市
引退(プロ転向)表明日 2022年7月19日(当時27歳)
引退したもの 競技会への出場(アマチュア競技活動)
引退していないもの スケーターとしての活動(プロとして継続)
最後の試合 2022年北京オリンピック(4位)
現在の活動 単独アイスショーの出演・制作総指揮など

 

つまり「引退した/していない」は、どちらの言葉の意味で使うかによって答えが変わるということですね。

 

羽生結弦の引退(プロ転向)はいつ?年齢は27歳だった

羽生結弦さんがプロ転向を表明したのは、2022年7月19日です。

1994年12月7日生まれですので、このとき27歳でした。

 

会見は東京都内で開かれ、報道各社へのリリースには「羽生結弦による決意表明の場として記者会見を開催いたします」と記されていたと報じられています。

つまり、主催者側の名称も「引退会見」ではなく「決意表明」の会見だったということになります。

 

会見で羽生結弦さんが語った言葉が、こちらです。

「プロのアスリートとしてスケートを続けていくことを決意しました」

引用元:スポーツ報知(2022年7月19日)

 

なお、この日は羽生結弦さんが公の場で肉声を発するのが2022年2月20日の北京オリンピック・エキシビション以来149日ぶりで、上下スーツ姿で登場し、深く一礼してから話し始めたと報じられています。

 

羽生結弦が「引退」という言葉を使わなかった理由

この会見でもっとも話題になったのが、羽生結弦さんが「引退」の2文字を自ら封印したことでした。

 

「引退という言葉があまり好きじゃない」と即座に撤回

会見では「競技会に出ない決断に至った経緯」を問われた場面がありました。

羽生結弦さんは「そもそも(2連覇を達成した2018年の)平昌五輪の時点で引退しようと思っていて…」と言いかけたところで、すぐに自分の言葉を訂正しています。

「引退という言葉があまり好きじゃないので使いたくないんですけど」

引用元:東スポWEB(2022年7月19日)

 

さらに「ネガティブに引退とか…」と切り出したあとには、「不思議ですよね、フィギュアスケートって。現役がアマチュアしかないみたいで」と、競技のあり方そのものに疑問を投げかけました。

 

「甲子園の選手がプロになったら引退なのか」という考え方

羽生結弦さんが自身の考えを説明する際に使ったのが、野球にたとえた表現です。

「実際、甲子園の選手が優勝しました、プロになりましたっていったら引退なのかな?って言われてたら、そんなことないじゃないですか。僕はそれと同じだと思っていて。むしろここからがスタートで、これからどう見せて頑張っていくかが大事だと思っていて。そういう意味で新たなスタートが切れたなと思っています」

引用元:東スポWEB(2022年7月19日)

 

高校野球で活躍した選手がプロ野球に進んでも「引退」とは言わない。それと同じだ、という理屈ですね。

羽生結弦さんにとってプロ転向は「終わり」ではなく「スタート」だったということが、はっきり伝わってくる言葉です。

 

小学2年生から高校1年生まで羽生結弦さんを指導した都築章一郎コーチも、会見の翌日に「『引退ではなく新たな挑戦』はさすがだな、と」と語ったと報じられています。

 

ISUや海外メディアは「retire(引退)」と発表している

一方で、国際スケート連盟(ISU)は会見当日に「オリンピック2連覇のスーパースター、羽生結弦(JPN)は競技から引退しました」という趣旨の発表を出しています。

日本国内でも、松野官房長官(当時)が「心から敬意」とコメントし、IOCのバッハ会長(当時)も羽生結弦さんの功績をたたえるメッセージを寄せました。

 

つまり「競技からの引退」という事実は公式に確定している一方で、本人はその表現を好まなかった、というのが正確な理解になります。

「羽生結弦 引退」と検索して情報が食い違って見えるのは、この2つの立場が混在しているためですね。

 

羽生結弦がプロ転向を決めた理由は?会見で語られた4つの理由

では、なぜ競技会から退く決断をしたのでしょうか。

会見で語られた内容をもとに、理由を整理してみました。

 

理由①4回転アクセルは競技会でなくても跳べると考えたから

羽生結弦さんが長年追い続けてきたのが、前人未到の4回転アクセル(クワッドアクセル・4A)です。

会見では「4回転アクセルにも、より一層取り組んで皆さんの前で成功させられることを強く、考えながらこれからも頑張っていく」と語っています。

 

つまり4回転アクセルへの挑戦をやめたのではなく、挑戦の場を競技会の外に移したということになります。

 

理由②理想のフィギュアスケートは競技会以外でも追求できるから

競技会は採点ルールの中で戦う場です。

羽生結弦さんは、自分が理想とするフィギュアスケートの形を追い求めるなら「むしろ競技会じゃない方が皆さんに見ていただけるのではないか」という趣旨の考えを示しました。

 

理由③競技者として「獲るべきものは獲れた」から

ソチ・平昌の五輪2連覇、世界選手権2度の優勝、グランプリファイナル4連覇、そして男子シングル史上初のスーパースラム達成。

競技者としてのタイトルはほぼすべて手にしており、会見でも競技会との別れについて「獲るべきものは獲れた」という趣旨の発言が伝えられています。

 

理由④北京オリンピック後の右足首の状態

北京オリンピックでは右足首を痛めた状態で4回転アクセルに挑んでおり、2022年3月には右足関節の捻挫が完治していないことを理由に世界選手権を欠場しました。

 

ただし、会見で羽生結弦さん自身がケガを転向の理由として明言したという報道は確認できませんでした。

ケガが決断にどこまで影響したのかは、あくまで推測の域を出ません

 

なお、このとき羽生結弦さんの代わりに世界選手権へ出場したのが、三浦佳生選手でした。

 

羽生結弦の最後の試合は2022年北京オリンピック!4回転アクセルはISU初認定

羽生結弦さんにとって最後の試合となったのは、2022年2月の北京オリンピックです。

3月の世界選手権を欠場したため、結果的に北京オリンピックが競技者としてのラストステージになりました。

 

北京オリンピックでの成績は、以下のとおりです。

種目 得点 順位
ショートプログラム 95.15点 8位
フリースケーティング 188.06点 3位
合計 283.21点 4位

 

ショートプログラムでは、冒頭の4回転サルコウの踏み切り位置がリンクの穴にはまるという不運があり、ジャンプが1回転になってしまいました。

それでも巻き返しを図ったフリーで、羽生結弦さんは冒頭に4回転アクセルを跳んでいます。

 

結果は回転不足での転倒となり大幅な減点となりましたが、この試技はISU公認大会で史上初めて「4A」として採点表に記録されました。

日本スケート連盟の竹内強化部長も「羽生結弦の4回転アクセルへの挑戦そして、世界初の認定は、金メダル同等の価値があるような記録とともに記憶に残る結果となった」と評価しています。

 

オリンピック3連覇と表彰台は逃したものの、最後の試合で夢のジャンプを歴史に刻んだ形になりました。

 

なお、この北京オリンピックで銀メダルを獲得したのが鍵山優真選手です。

 

羽生結弦の引退後(プロ転向後)の活動は?アイスショー年表

プロ転向後の羽生結弦さんは、単独アイスショーを軸に活動しています。

しかも単に出演するだけでなく、自ら制作総指揮を務めるという点が大きな特徴です。

 

主な活動を年表にまとめました。

時期 おもな出来事
2022年8月 公式YouTubeチャンネル「HANYU YUZURU」開設
2022年11月〜12月 初の単独公演『プロローグ』(横浜・ぴあアリーナMM ほか)
2023年2月 『GIFT』東京ドーム公演。スケーター史上初、約3万5000人を動員
2023年3月〜 地元宮城で座長公演『羽生結弦 notte stellata』を毎年開催
2023年11月〜 初の単独ツアー『ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR』
2024年3月 GUCCIのブランドアンバサダーに就任
2024年9月 能登半島復興支援チャリティー演技会を配信限定で開催
2024年12月〜2025年2月 『ICE STORY 3rd Echoes of Life TOUR』(さいたま・広島・千葉)
2025年7月 仙台・ゼビオアリーナ開館記念のアイスショーに出演
2026年3月 『notte stellata 2026』で約8か月ぶりに再始動
2026年4月 単独公演『REALIVE』(宮城)。2日間で約1万5000人を動員

 

特に大きな話題になったのが、2023年2月26日の『GIFT』です。

スケーターがひとりで東京ドームを埋めるという前例のない公演で、12曲のプログラムを約2時間半にわたって滑りきりました。

 

また、東日本大震災で被災した宮城県で毎年3月に開かれる『notte stellata』は、震災の追悼と復興をテーマにした座長公演です。

競技を離れたからこそできる表現と社会的な活動に、軸足を移しているといえますね。

 

2025年の「メンテナンス期間」で引退説が再燃?2026年に再始動

プロ転向後もハイペースで公演を続けてきた羽生結弦さんですが、2025年8月15日に自身のX(旧Twitter)で活動についての報告を行いました。

「今シーズンですが、より進化するためにメンテナンス期間を設けることにしました!」

引用元:スポーツニッポン(2025年8月15日)

 

さらに「来年の春頃を目指して、たくさん勉強し、肉体改造もして、更に頑張っていきますので、期待して待っていてください!」とも呼びかけています。

 

この報告のあと、羽生結弦さんは約8か月にわたって公の場から離れました。

長期の休養だったため心配する声も上がりましたが、本人が説明したとおり、これは引退ではなく進化のための準備期間でした。

 

そして予告どおり、2026年3月7日から宮城県のセキスイハイムスーパーアリーナで『羽生結弦 notte stellata 2026』を開催し、再始動しています。

このときのゲストは、坂本龍一さんが発起人となった東北ユースオーケストラでした。

 

続く2026年4月11日・12日には、東日本放送の開局50周年記念公演として単独公演『Yuzuru Hanyu “REALIVE” an ICE STORY project』を開催。

2日間で約1万5000人を動員し、過去のプログラムを含む演目を披露しました。

 

羽生結弦が競技に復帰する可能性はある?現在の年齢は31歳

「またオリンピックに出てほしい」という声は根強くありますが、羽生結弦さんが競技会に復帰するという発表は、2026年8月時点でありません。

2026年2月のミラノ・コルティナオリンピックにも出場していません。

 

羽生結弦さんは2026年8月時点で31歳です。

年齢だけでいえば競技を続けている選手もいますが、プロ転向から4年が経ち、アイスショーの制作総指揮という新しい立場を確立しているのが現状です。

 

2024年12月の公演初日には、30代を迎えたことについて「まだまだやれる」「感覚や技術、脂が乗ってくる時期」という趣旨のコメントも残しています。

競技会に戻るかどうかについては公式な発表がなく、現時点では確定した情報はありません

 

なお、羽生結弦さんが競技を離れたあとの日本男子は、坂本花織選手ら女子勢とともに世界のトップを争う世代交代の時期に入っています。

 

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羽生結弦の引退についてのよくある質問

Q. 羽生結弦はいつ引退しましたか?
A. 2022年7月19日に記者会見を開き、競技会に出場しないことを表明しました。ただし本人は「引退」ではなくプロ転向と説明しています。

 

Q. 羽生結弦は何歳で引退しましたか?
A. 1994年12月7日生まれですので、プロ転向を表明した2022年7月19日の時点で27歳でした。

 

Q. 羽生結弦の引退理由は何ですか?
A. 会見では、4回転アクセルへの挑戦や理想とするスケートの追求は競技会でなくても続けられると考えたこと、競技者として獲るべきタイトルは獲れたことなどを挙げています。

 

Q. 羽生結弦の最後の試合はどれですか?
A. 2022年2月の北京オリンピック(4位)です。3月の世界選手権を右足関節の捻挫で欠場したため、北京オリンピックが最後の競技会になりました。

 

Q. 羽生結弦は引退後、何をしていますか?
A. プロスケーターとして単独アイスショーに出演し、制作総指揮も務めています。『GIFT』『RE_PRAY』『Echoes of Life』『REALIVE』などの公演のほか、東日本大震災の復興をテーマにした『notte stellata』を地元・宮城で毎年開催しています。

 

Q. 「羽生結弦」と「羽生善治」は同じ読み方ですか?
A. 違います。フィギュアスケートの羽生結弦さんは「はにゅう ゆづる」、将棋棋士の羽生善治さんは「はぶ よしはる」と読みます。同じ「羽生」でも読み方が異なるため、検索時にはご注意ください。

 

Q. 「羽生結弦」を「羽生弓弦」「羽生結玄」と書くのは間違いですか?
A. 正しい表記は「羽生結弦」です。「弓弦」「結玄」などは変換ミスによる誤記で、公式プロフィールでは使われていません。

 

まとめ

羽生結弦さんは2022年7月19日、27歳のときに競技会から退きプロスケーターへ転向しました。

本人は会見で「引退という言葉があまり好きじゃないので使いたくない」と語り、甲子園からプロ野球に進む選手にたとえて「むしろここからがスタート」と説明しています。

最後の試合となったのは2022年2月の北京オリンピックで、フリーの冒頭で跳んだ4回転アクセルはISU公認大会で史上初めて「4A」として記録されました。

プロ転向後は『GIFT』『RE_PRAY』『Echoes of Life』『REALIVE』などの単独公演を制作総指揮として手がけ、2025年8月から約8か月のメンテナンス期間を経て、2026年に再始動しています。

 

つまり「競技からは引退したが、スケーターとしては現役」というのが、羽生結弦さんの現在地ということですね。

 

同じ宮城出身で羽生結弦さんに憧れてきた佐藤駿選手や、次世代のエースとして注目される島田麻央選手の記事もあわせてどうぞ。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

この記事を書いた人
きちのすけ

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