佐々木朗希の出身高校は大船渡!強豪校を断り進学した理由と決勝登板回避の真相

千葉ロッテマリーンズからメジャーリーグへと羽ばたき、球界を代表する右腕として世界中から大きな注目を集めている「令和の怪物」こと佐々木朗希(ささき ろうき)選手。高校時代から高校生最速となる163km/hをマークするなど、その圧倒的なピッチングは多くのファンを魅了してきました。
 
そんな佐々木朗希選手について、ネット上では「出身高校はどこ?」「なぜ強豪私学ではなく公立高校を選んだの?」「甲子園出場や決勝の登板回避騒動の理由は?」といった学歴や高校時代に関する疑問を持つ人が増えています。
 
そこで本記事では、佐々木朗希選手の出身高校や進学理由、高校時代の凄まじい成績、物議を醸した決勝登板回避の裏側、さらに小中学校時代の学歴エピソードまで詳しくまとめました!
 

この記事の結論

・佐々木朗希選手の出身高校は岩手県立大船渡高等学校(岩手県大船渡市)!甲子園出場歴はなし。
・強豪私学(花巻東や盛岡大付など)を断り大船渡高校を選んだ理由は「中学時代の仲間と一緒に甲子園を目指したかったから」
・高校時代の最速球速は163km/h!2019年岩手大会決勝での登板回避は「選手の肘や肩の故障予防」を最優先した國保陽平監督の決断だった。

 

△この記事でわかること△
■佐々木朗希の出身高校は岩手県立大船渡高等学校!
■強豪私学ではなく大船渡高校を選んだ理由①〜⑤
■佐々木朗希の高校時代の成績と「最速163km/h」の衝撃
■2019年岩手大会決勝「登板回避騒動」の真相と背景
■佐々木朗希の中学校・小学校の学歴と当時のエピソード

 

【追記/2026.8付】
佐々木朗希選手のメジャーリーグ移籍やMLBでの活躍に伴い、米メディアでも「岩手県の公立高校出身のエース」として高校時代のコンディショニング管理や163km/h計測時のエピソードが改めて特集されています。最新情報が入り次第、随時追記いたします!

 

佐々木朗希さんの結婚相手(妻)の情報やアナウンサー説の噂は、こちらの記事でまとめています。
 

佐々木朗希の出身高校は岩手県立大船渡高等学校!

 
「令和の怪物」と称される佐々木朗希(ささき ろうき)選手の出身高校は、地元・岩手県にある公立高校の岩手県立大船渡(おおふなと)高等学校です。
 
大船渡高校は岩手県大船渡市に所在する県立の共学校で、1920(大正9)年に創立された伝統校です。文武両道を掲げており、野球部も過去に甲子園出場経験(1984年春の選抜甲子園ベスト4、同夏選手権出場など)を持つ岩手の伝統校として知られています。
 
佐々木朗希選手のプロフィールと学歴の概要は以下の通りです。
 

項目 詳細情報
名前 佐々木 朗希(ささき ろうき)
生年月日 2001年11月3日
出身地 岩手県陸前高田市
出身高校 岩手県立大船渡高等学校(2017年4月〜2020年3月)
出身中学校 大船渡市立第一中学校
出身小学校 陸前高田市立高田小学校 → 大船渡市立猪川小学校
高校最速球速 163km/h(高校生史上最速記録・当時)
ドラフト指名 2019年ドラフト1位(千葉ロッテマリーンズなど4球団競合)

 

岩手県内の高校野球界といえば、大谷翔平選手や菊池雄星投手を輩出した花巻東高校や、強豪私学の盛岡大附属高校が全国的にも有名です。
 
プロ注目の超大型ピッチャーであった佐々木朗希選手のもとには、全国や県内の強豪私学から熱烈なスカウトや勧誘が殺到していました。しかし、佐々木選手が選んだのは私学の強豪ではなく、地元の公立校である大船渡高校でした。
 
岩手の高校野球に関する詳しい情報は、大谷翔平選手の出身高校(花巻東高校)や小中学校の学歴についても別記事で解説しています。
 

強豪私学ではなく大船渡高校を選んだ理由①〜⑤

 
中学時代から既に140km/hを超える速球を投げていた佐々木朗希選手には、全国最高峰の私立強豪校からの特待生勧誘がいくつも届いていました。
 
なぜ佐々木朗希選手は、甲子園常連の私立強豪校ではなく、地元の県立・大船渡高校への進学を決断したのでしょうか?その裏には5つの明確な理由がありました。
 

理由①:中学時代の野球部の仲間と地元の公立校から甲子園を目指したかった

 
最大の理由は、「中学時代のチームメイトと一緒に甲子園に行きたい」という強い仲間意識と絆でした。
 
佐々木朗希選手は大船渡市立第一中学校の軟式野球部出身です。同じチームで汗を流した仲間たちや、地元の気心の知れたメンバーと「地元の公立高校から甲子園を目指そう」と約束を交わしていました。
 
強豪私立校に単身で進学するよりも、気心の知れた幼馴染や地元の親友たちと同じユニフォームを着て戦うことを佐々木選手自身が強く希望したのです。
 

理由②:地元・岩手県(陸前高田市・大船渡市)への深い愛着と感謝の思い

 
佐々木朗希選手は、2011年の東日本大震災で被災した経験を持っています。
 
震災によって陸前高田市の実家が流出し、大切な家族との別れを経験しました。その後、避難先となった大船渡市で地域の人々に温かく支えられながら野球を続けることができました。
 
そのため、佐々木選手の中には「お世話になった地元の岩手や大船渡の人々に野球で恩返しがしたい」という感謝の思いが非常に強くありました。地元を離れて遠方の私立校へ進学するのではなく、地元・岩手の公立校で活躍することを選んだのです。
 

理由③:大船渡高校野球部・國保陽平監督の指導方針とコンディショニング理論

 
大船渡高校野球部の監督を務めていた國保陽平(こくぼ ようへい)氏の指導方針も大きな決め手となりました。
 
國保監督は筑波大学体育専門学群の出身で、アメリカの独立リーグでもプレー経験がある人物です。精神論や過度な投げ込みに頼る従来の高校野球の指導スタイルとは一線を画し、スポーツ科学やコンディショニング理論を重視する柔軟な考え方を持っていました。
 
「高校時代に投げ過ぎて肘や肩を壊すことなく、将来プロで大成できるように体を守りながら育てる」という國保監督の方針が、佐々木選手やご家族の意向と見事に合致したのです。
 

理由④:実家から通学できる生活環境と家族のサポート

 
高校時代は身体が急激に大きくなる成長期であり、毎日の食事や十分な睡眠、栄養管理が欠かせません。
 
寮生活を行う私立強豪校の場合、生活環境の変化やストレスがかかることもあります。地元の公立校である大船渡高校であれば、実家から通学しながら母親による愛情込めた手料理や手厚い生活サポートを受けることができました。
 
怪我を防ぎ健やかに成長するための生活基盤として、実家から通える大船渡高校は最適な選択肢でした。
 

理由⑤:過密なレギュラー争いを避け自分のペースで体を成長させられた

 
部員が100人を超えるような超強豪私学では、下級生の時期から結果を求められて無理なアピールや登板を重ねてしまうリスクがあります。
 
大船渡高校は部員数が比較的コンパクトであったため、佐々木選手はチームのエースとして大切に育成され、骨成長や筋肉の発達に合わせたフィジカルトレーニングを自身のペースで進めることができました。
 
結果として、無理な登板で関節を痛めることなく、順調に球速と骨格を伸ばすことに成功しました。
 

「地元の仲間と一緒に甲子園に行きたかった。強豪校に行くよりも、みんなで大船渡を甲子園に連れて行く方が絶対に面白いと思った」

引用元:高校野球取材記・地元メディアインタビュー

 

なお、ネット上では「私学の特待生枠で提示された条件が合わなかったのではないか」といった噂が囁かれたこともありますが、本人やご家族、当時の関係者からの公式発表はなく、あくまでネット上の推測の域を出ません。佐々木朗希選手本人の意思に基づき、仲間との約束と地元への思いから大船渡高校を選んだというのが動かしがたい事実です。
 
高校球界の監督や指導者の影響については、花巻東高校・佐々木洋監督の指導と佐々木麟太郎選手についての記事でも詳しく紹介しています。
 

佐々木朗希の高校時代の成績と「最速163km/h」の衝撃

 
大船渡高校に進学した佐々木朗希選手は、1年生の春から公式戦に登板し、着実にその才能を開花させていきました。
 

高校3年間の球速の伸びとフィジカルの変化

 
高校に入学した当初の最高球速は140km/h台前半でしたが、徹底した股関節の柔軟性トレーニングと食トレにより、球速は驚異的なスピードで上昇していきました。
 

・高校1年夏:最速147km/h(岩手大会ベスト8)
・高校2年春:最速153km/hを計測
・高校2年秋:最速157km/hを計測し全国ニュースに
・高校3年春:高校日本代表候補合宿にて163km/hを計測!
 

2019年4月に行われた高校日本代表(U-18)候補合宿の紅白戦で、NPBのプロスカウト陣が差し出したスピードガンに表示された数値は、なんと163km/hでした。
 
これは当時、大谷翔平選手が花巻東高校時代に記録した高校生最速記録(160km/h)を3km/hも更新する高校生史上最速記録となり、日本中に衝撃を与えました。
 

高校3年夏(2019年第101回岩手大会)の圧倒的成績

 
高校3年生となった2019年夏の第101回全国高等学校野球選手権岩手大会で、佐々木朗希選手は圧巻のピッチングを披露しました。
 

・2回戦(不来方戦):6回無失点、13奪三振、最速155km/h
・3回戦(一関秀峰戦):6回無失点、13奪三振、最速154km/h
・4回戦(盛岡四戦):延長12回完投、21奪三振、最速160km/h(決勝本塁打も自ら打つ)
・準決勝(一関工戦):9回完封、15奪三振、最速157km/h(129球)
 

大会通算で29イニングを投げ、奪った三振はなんと61個。圧倒的な奪三振率を記録し、大船渡高校を35年ぶりの決勝進出へと導いたのです。
 

「佐々木朗希投手のストレートは一線級のプロ投手でも投げられない軌道。高校生の域を完全に超えている」

引用元:NPBプロスカウト陣の評価コメント

 

同世代のライバルたち(星稜の奥川恭伸投手、創志学園の西純矢投手、横浜の及川雅貴投手)とともに「高校BIG4」と呼ばれ、2019年ドラフト会議では千葉ロッテマリーンズ、北海道日本ハムファイターズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、東京ヤクルトスワローズの4球団から1位指名を受けました。抽選の結果、千葉ロッテマリーンズへの入団が決まりました。
 
球界を代表する投手の体格やポテンシャルについては、大谷翔平選手の身長193cmや体格推移のデータと比較しても佐々木選手の規格外の凄さがよく分かります。
 

2019年岩手大会決勝「登板回避騒動」の真相と背景

 
佐々木朗希選手の高校時代を語る上で欠かすことができないのが、2019年7月25日に行われた岩手大会決勝(対花巻東高校)での「登板回避騒動」です。
 

決勝戦で登板回避に至った経緯

 
あと1勝で念願の甲子園出場が決まる花巻東高校との決勝戦。日本中が「佐々木朗希の甲子園での投球」を期待して注目する中、発表された先発メンバーに佐々木朗希選手の名前はありませんでした。それどころか、控え投手や野手としても途中出場することなく、ベンチで見守るだけとなりました。
 
試合は大船渡高校が2-12で大敗し、35年ぶりの甲子園出場の夢は目前で潰えることとなりました。
 

國保陽平監督が登板回避を決断した理由

 
試合後の記者会見で、國保陽平監督は登板回避の理由について明確に語りました。
 

・前日の準決勝(一関工戦)で129球を投げており、疲労が蓄積していたこと
・猛暑の中での連投となり、肘や肩の関節にかかる負担が限界に達していたこと
・無理に投げさせれば「将来にわたる致命的な故障」を起こす可能性が極めて高かったこと
 

國保監督は「壊れてからでは遅い。故障を防ぐため、僕の判断で登板させなかった」と断言しました。
 

「故障を防ぐためです。連投と猛暑の中で、投げて壊れるリスクが一番高い状態でした。僕の判断です」

引用元:2019年7月25日 岩手大会決勝後 國保陽平監督の記者会見

 

社会的議論と高校野球界への大きな影響

 
この登板回避に対し、日本全国で激しい議論が巻き起こりました。
 

・賛成派:「選手の将来を第一に考えた素晴らしい英断」「球数制限や投手保護の先駆けとなるべき」
・反対派:「甲子園をかけた大一番でエースを投げさせないのは納得がいかない」「チームメイトの夢はどうなる」
 

高校には抗議電話や意見の電話が殺到するなど大騒動となりました。しかし、佐々木朗希選手本人はのちに「監督の判断に感謝している。あの決断があったからこそ、プロで元気に投げられている」と語っています。
 
この出来事は、その後の高校野球界における「1週間500球の球数制限ルールの導入」や、健康管理・コンディショニング重視の風潮を生む歴史的なターニングポイントとなりました。
 

プロ球界で活躍する日本人トップ投手の動向については、山本由伸投手の結婚や噂の真相についての解説も合わせてご覧ください。
 

佐々木朗希の中学校・小学校の学歴と当時のエピソード

 
佐々木朗希選手が高校時代に「令和の怪物」と呼ばれるまでの原点となった、幼少期から小中学校時代の学歴やエピソードを紹介します。
 

小学校時代:陸前高田市立高田小学校 → 大船渡市立猪川小学校

 
佐々木朗希選手は岩手県陸前高田市で生まれ、陸前高田市立高田小学校に入学しました。
 
小学3年生の時に「高田ふるさとスポーツ少年団」で野球をスタートさせます。しかし、小学3年生の終わりとなる2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。
 
津波によって自宅が全壊し、最愛の父と祖父母を亡くすという過酷な悲劇に見舞われました。その後、母や兄弟とともに大船渡市へと避難し、大船渡市立猪川(いがわ)小学校へ転校。転校先でも「猪川野球クラブ」に入部し、野球を続けました。
 

中学校時代:大船渡市立第一中学校(軟式野球部)

 
小学校卒業後は、地元の大船渡市立第一中学校へ進学しました。
 
中学時代はシニアなどの硬式クラブチームではなく、学校の部活である「軟式野球部」に所属。中学3年時には県大会で準優勝を果たし、オール岩手(岩手県選抜)のチームメイトとともに東北大会で好成績を収めました。
 
この中学3年時に、すでに身長186cm、球速141km/hを計測しており、地元岩手では「とんでもない中学生がいる」と大きな話題になっていました。
 
同じ岩手県出身のスター選手である大谷翔平選手の母親・加代子さんや実家の二刀流エピソードも、岩手県が生んだ偉大な投手の背景として興味深い内容です。
 

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佐々木朗希の高校時代についてのよくある質問

 

Q. 佐々木朗希の出身高校はどこ?甲子園出場経験はある?
A. 出身高校は岩手県立大船渡高等学校(岩手県大船渡市)です。高校3年夏の岩手大会準優勝が最高成績で、春夏ともに甲子園への出場経験はありません。
 

Q. 「佐々木朗機」や「佐々木朗樹」という表記を見かけますが正しいですか?
A. 正しい表記は「佐々木朗希(ささき ろうき)」です。「朗機」や「朗樹」はインターネット上の漢字変換ミスや誤記クエリです。
 

Q. 佐々木朗希の高校時代の最高球速は何キロ?
A. 高校3年春(2019年4月)の高校日本代表候補合宿で記録した「163km/h」が高校時代の最高球速です。当時の高校生史上最速記録となりました。
 

Q. 佐々木朗希が高校時代に花巻東高校へ転校したという噂は本当ですか?
A. 転校の噂は完全なデマです。佐々木朗希選手は高校3年間を一度も転校することなく岩手県立大船渡高校で過ごし、卒業しました。
 

まとめ

 
・佐々木朗希選手の出身高校は地元・岩手の公立校である岩手県立大船渡高等学校
・強豪私学ではなく大船渡高校を選んだ理由は「中学時代の仲間と地元の公立校から甲子園を目指すため」。
・高校時代の最速球速は高校生最速となる163km/hを記録。
・2019年岩手大会決勝の登板回避は、故障予防と将来を守るための國保監督の決断だった。
・小中学校時代は陸前高田市立高田小学校、大船渡市立猪川小学校、大船渡市立第一中学校で野球の原点を築いた。
 

佐々木朗希選手のプライベートな素顔やご家族については、佐々木朗希さんの妻(奥さん)や結婚に関する真相まとめ記事もぜひチェックしてみてください!
 
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

この記事を書いた人
きちのすけ

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